第四回「冰原の鬼才、茶館の談に上る」

禛皇国 東陽道 丹橋たんきょう


「“冰弦麗君ひょうげんれいくん”? ――ああ、冰公子ひょうこうし柳影りゅうえい様ですね」


 皇宮を出て半日。白夜と令潔は目的地である冰原へ通ずる東部への入り口、丹橋王守護府に到着し、茶館に入った。遅めの昼食を済まそうという考えだ。

 昼下がりの茶館は、湯気とともに立ちのぼる茶の穏やかな香気に包まれ、客たちが親しい者どうしで落ち着いた会話を楽しむ声が心地良い空気を作り出していた。


「――夜空に輝く三日月のように、俗を寄せつけぬ冷たさと、鋭い美しさを備えた麗しの君!! 故に“冰弦麗君”。お父君の冰護国公閣下は渋くて格好いい、男も憧れる大人の男!!って感じですけれども。……僕もあの位の歳になったら、護国公閣下みたいになりたいですねぇ!!」


 碧眼をきらめかせた令潔に、白夜はそうか、と頷く。

 

 令潔と白夜は同い年である。実年齢よりも遥かに上に見られる白夜と並ぶと――どう見ても少年にしか見えない。

 峻厳な雰囲気の護国公の如き美壮年への道のりは遠そうである。


「――と! それで、冰公子ですね。……結構、変わった経歴の方なんです」


 白夜は目だけで先を促す。

 

「15でまず、冰原官学で1年ほど学んで、冰原の武学所に2年所属。その後に大学府の経学科に編入したそうです」

「……経学科? ――武学所出身で? 確かにその前に官学で学んだとなれば……」


 皇族から庶人まで、幅広い階層の英才が集められた国内最高学府たる大学府。

 大学府には、文官養成の経学科、武官や術官養成の武学科、技術者養成の工科の三科が存在する。

 基本的には四年制で、前半二年は教養課程、後半二年が主科課程である。

 冰柳影の様に、地方出身者が所定の考試を経て後半の主科課程から編入してくることもある。

 

「普通なら武学科ですよねえ!? それで、編入早々、武学科の学徒5人くらいに絡まれたらしいです。……まあ、ありそうなことですよねー」

「冰原武学所といえば、大学府の武学科とも並び称される名門。そこから編入してきて、わざわざ経学科に入ったともなれば――」


 学問の第一たる経学科と。国是としての武学科。両者は大学府における双璧である。――しかし、非常に仲が悪く、何かにつけて張り合っている。


 学科間の対立に加え、上級生から下級生へ。あるいは、内部生から外部生へのは通過儀礼のようなもの。


 皇族も例外では無い。


「……僕が言うのもなんですが、冰公子はどちらかというと小柄で、お名前の通り、柳の様にすらっとした、ちょっと陰のある感じの、超!絶!美形!!だそうです。――で、武学科の数名が、『粉黛化粧くさい顔』だか『剣より筆や花枝でも持ってろ』だかとからかったそうで、」


 ここで令潔は、もったいぶるように言葉を切った。


「そうしたら冰公子、どうしたと思います?」


 妙に得意げな笑みを浮かべる。


「傍にあった柳の枝を折りとって――『確かに、剣より柳枝こちらが相応しいようです』って、武学科の上級生たちを全員にしたんです!」


 指先を剣のように立てて大仰に腕を動かしてみせる。


「その剣さばき――じゃない、柳さばきといったら!! 剣を抜いていたらしい五人組は手も足も出なかった上、全員医局送りだそうで」

「……冰原は霧魔発生の境界に存在する、禛の国防――否、大陸の防衛の最前線。産まれながらに霧魔の脅威に曝されながら冰原で鍛えられたであろう冰公子が、見目はどうあれ、軟弱な筈はないが……」


 令潔は腕を組み、うんうん、と頷く。


「――ま、目立つ方は、色々言われますからね。通り名もその分……あ、殿下のも色々あるんですよ! 聞きます?」

「……いい」

 

 どうせ碌なものではない。

 令潔は、少し眉を下げた。


「令潔は、もっと白夜様は正当に評価されるべきだと思います」


 白夜が茶杯を持つ手が僅かに止まる。


「……そなたは買いかぶりすぎだ」


 沈黙が落ちた。

 漏れ聞こえてくる琴の音が、白夜と令潔の間を通り抜けていく。

 龍泉茶の爽やかで清廉な香りが静かに立ち上る。


「――それで?」

 

 先を促すと、気を取り直したように令潔が再び口を開く。

      

「あ、はい! ――経学科で学び始めた冰公子ですが、半年もせず講義に出なくなり――噂では冰原に戻られたとか。ところが年末の大試(修了試験)にはひょっこり現れて、あっさり合格。“冰原の鬼才”と大騒ぎになったのに、すぐまた冰原へ帰ってしまったそうで。第二……烈王殿下と在学が重なってるはずなので、お顔はご存じかもしれませんね」

 

 皇族の子女は、余程の理由がない限り、大学府の武学科で一年以上学ぶことが義務付けられている。

 そのため、白夜も崇への遊学前に一年在籍した。

 一方の晃夜は四年通して武学科にいたと聞く。

 

「ああ――晃夜こうやは、一度見たら絶対に忘れない顔だと言っていた」

「魂抜けるようなお顔らしいですよ~!! 楽しみですねぇ!!」


 そこへ、山と積まれた豆沙包(餡饅)が運ばれて来た。

 令潔は嬉しげに声を立て、白夜はうっと眉を顰めた。

 大喜びで口一杯に詰め込み始めた令潔だったが、ふと首を傾けた。

 

「それにしても、なぜ急に柳影様が話題に上がったのですか? 冰原に向かうこともそうですが」

「……出る前に説明したが」

「――そうでしたっけ? どうせ白夜様が『行く』と仰ったら僕は付いて行くだけですから~」


 言ってまた、更に豆沙包を口に放り込む。


「……件の冰公子に会いに行けと皇上に命じられた」

「――ということは、いよいよ主従契約を?」

「晃夜も、ともに命じられたが」


 え?と令潔が瞬いたその時。


 ふと、濁った水の匂いが鼻腔を掠めた。

 伏せられていた白夜の目が、鋭く窓の外を向いた。


「――ふ!?白夜様ふゃふやはは?」 


 白夜の視線の鋭さに、令潔は口いっぱいに詰めていた包を飲み込むことも忘れて固まる。


「――霧魔だ!!」

 

 外から響いた悲鳴交じりの声に、令潔の手から、ポロリと豆沙包が落ちた。



――――――――――――――

お読みいただき、ありがとうございました。


作中登場の「龍泉茶」は緑茶の女王・龍井ロンジン茶がイメージ。

「龍井」が産地の名のため、そのまま出せないなーと思い。


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