第10話 影に眠る力
病室のベッドの上。
神谷蓮は掌の上に浮かぶ小さな結晶を、じっと見つめていた。
【インスタンスダンジョンチケット〈D級〉】
先日のペナルティダンジョンを生き延びた報酬。
ただの石にしか見えないが、これを使えば再び“あの空間”へ転移できるらしい。
「……使うか、使わないか」
息を吐き、結晶を指で転がす。
脳裏に蘇るのは、真紅のネームを冠したヘルハウンドに追い立てられた記憶。
ただ逃げることしかできず、死に怯えながら走り続けた一分間。
あんな恐怖を、もう一度味わうことになるかもしれない。
しかし、協会も仲間もあてにはできない。
この力の正体を確かめ、制御できるようにならなければ——自分は生き残れない。
「……行くしか、ない」
決意を込めて結晶を握りしめた瞬間、眩い光が蓮の身体を包み込んだ。
◆
視界が反転する。
皮膚を内側から裏返されるような感覚。
骨の軋む音さえ自分に聞こえてくる。
やがて光が収まると、そこは病室とは正反対の空間だった。
湿った石壁。
苔の匂い。
天井の裂け目から、僅かな燐光が差し込んでいる。
だが出口はない。閉鎖された空洞だ。
目の前に、半透明のウィンドウが浮かび上がる。
【インスタンスダンジョン〈D級〉へようこそ】
達成条件:ボスモンスター討伐
脱出条件:達成、または《転移結晶》の使用
蓮は眉をひそめた。
「やっぱり……一度足を踏み入れたら、逃げ道はないのか」
帰還を望むなら、以前デイリーミッションで入手した《転移結晶》を使うしかない。
だが、あれがどれほどの希少性を持つのか、自分には分からない。
そんな切り札を、そう易々と切れるはずもない。
「……最後の保険、か」
そう呟き、蓮は前を向く。
◆
通路の先で、小型のモンスターが息絶えていた。
おそらく先行した挑戦者か、あるいはこの空間に自動的に配置される“素材”だろう。
蓮はごくりと唾を飲む。
試したいことが、一つあった。
システムウィンドウに表示されていた、新たなスキル。
【スキル:シャドウバインド】
死した存在を影に取り込み、従属させる。
まだ使えるかどうか分からない。
だが、もし発動できるのなら——これ以上ない武器になる。
蓮は膝をつき、冷たく硬直したモンスターの死骸に手を伸ばした。
「……従え」
その瞬間。
床に落ちていた影が脈動し、死骸を飲み込むように蠢いた。
どろり、と黒い靄が広がり、死骸を深淵へと引きずり込む。
次の瞬間、蓮の背後にひときわ濃い影が立ち上がり、赤黒い光を宿した眼が開いた。
「……本当に、発動したのか」
鳥肌が立つ。
恐怖と同時に、体の芯から湧き上がる高揚感。
影は静かに揺らぎ、蓮の命令を待っているように見えた。
「これが……俺の、力……」
確信と同時に、喉の奥で小さな笑いが漏れた。
だがそのスキルがどこまで通用するのか、どんな制約があるのか——蓮はまだ、何一つ理解していない。
だからこそ。
このダンジョンで、試す必要がある。
◆
闇の奥から、複数の足音が響いた。
次なる敵が姿を現す。
蓮は震える手を握りしめ、背後に立つ影へ命じる。
「……行くぞ」
声は小さく、しかし確かな決意を帯びていた。
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