第10話 影に眠る力

 病室のベッドの上。

 神谷蓮は掌の上に浮かぶ小さな結晶を、じっと見つめていた。


【インスタンスダンジョンチケット〈D級〉】

 先日のペナルティダンジョンを生き延びた報酬。

 ただの石にしか見えないが、これを使えば再び“あの空間”へ転移できるらしい。


「……使うか、使わないか」


 息を吐き、結晶を指で転がす。

 脳裏に蘇るのは、真紅のネームを冠したヘルハウンドに追い立てられた記憶。

 ただ逃げることしかできず、死に怯えながら走り続けた一分間。

 あんな恐怖を、もう一度味わうことになるかもしれない。


 しかし、協会も仲間もあてにはできない。

 この力の正体を確かめ、制御できるようにならなければ——自分は生き残れない。


「……行くしか、ない」


 決意を込めて結晶を握りしめた瞬間、眩い光が蓮の身体を包み込んだ。



 視界が反転する。

 皮膚を内側から裏返されるような感覚。

 骨の軋む音さえ自分に聞こえてくる。


 やがて光が収まると、そこは病室とは正反対の空間だった。


 湿った石壁。

 苔の匂い。

 天井の裂け目から、僅かな燐光が差し込んでいる。

 だが出口はない。閉鎖された空洞だ。


 目の前に、半透明のウィンドウが浮かび上がる。


【インスタンスダンジョン〈D級〉へようこそ】

 達成条件:ボスモンスター討伐

 脱出条件:達成、または《転移結晶》の使用


 蓮は眉をひそめた。


「やっぱり……一度足を踏み入れたら、逃げ道はないのか」


 帰還を望むなら、以前デイリーミッションで入手した《転移結晶》を使うしかない。

 だが、あれがどれほどの希少性を持つのか、自分には分からない。

 そんな切り札を、そう易々と切れるはずもない。


「……最後の保険、か」


 そう呟き、蓮は前を向く。



 通路の先で、小型のモンスターが息絶えていた。

 おそらく先行した挑戦者か、あるいはこの空間に自動的に配置される“素材”だろう。


 蓮はごくりと唾を飲む。

 試したいことが、一つあった。


 システムウィンドウに表示されていた、新たなスキル。


【スキル:シャドウバインド】

 死した存在を影に取り込み、従属させる。


 まだ使えるかどうか分からない。

 だが、もし発動できるのなら——これ以上ない武器になる。


 蓮は膝をつき、冷たく硬直したモンスターの死骸に手を伸ばした。


「……従え」


 その瞬間。


 床に落ちていた影が脈動し、死骸を飲み込むように蠢いた。

 どろり、と黒い靄が広がり、死骸を深淵へと引きずり込む。

 次の瞬間、蓮の背後にひときわ濃い影が立ち上がり、赤黒い光を宿した眼が開いた。


「……本当に、発動したのか」


 鳥肌が立つ。

 恐怖と同時に、体の芯から湧き上がる高揚感。


 影は静かに揺らぎ、蓮の命令を待っているように見えた。


「これが……俺の、力……」


 確信と同時に、喉の奥で小さな笑いが漏れた。

 だがそのスキルがどこまで通用するのか、どんな制約があるのか——蓮はまだ、何一つ理解していない。


 だからこそ。

 このダンジョンで、試す必要がある。



 闇の奥から、複数の足音が響いた。

 次なる敵が姿を現す。


 蓮は震える手を握りしめ、背後に立つ影へ命じる。


「……行くぞ」


 声は小さく、しかし確かな決意を帯びていた。

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