訪問

 十月も半ばになり、涼しくなってきた頃、夏美は今田と玲奈の家に行くことになった。


 きっかけはあのホームでの今田の誘いだった。


 今田の提案に夏美は初め躊躇ちゅうちょした。

 玲奈の葬儀はごく身近な関係のみで行われ、告別式もなく、夏美たち含め部員たちやクラスメイトは、お悔やみの言葉を直接伝えたり、線香を上げる機会が無かったのだ。

 どういう理由で家族葬になったのかは分からない。

 けれど、自殺した可能性が高いと言われた娘の死に対し、その原因が学校や夏美たちにあるのではないかと家族が疑う可能性はなくはない。

 そうであるのなら、玲奈の家族は亡くなった娘と死の直前までいた自分たち部員が自宅に来ることをあまり良く思わないのではないか。

 それを説明すると、「なるほど……」と腕を組みながら今田は神妙な顔つきをしたが、暫くして何か決心したように答えた。

「……うん、じゃあ僕の方から三橋さんの家族に連絡してみるよ!」

「えっ、あの……?」

 この人今の話ほんとうに聞いてたのか、と内心不安を感じたが、その数日後、家族に許可をもらえたと今田からスマホにメッセージがきた。

 夏美は断られなかったことに心底驚いた。


 都内から電車に乗って約1時間ほどの距離。玲奈の家は東京の外れにあった。

 閑静な住宅街の一軒家。三階建ての家。

「三橋」と書かれた表札を再度確認しチャイムを鳴らす。

「はい。どちら様ですか」

 玲奈に少し似た、しかしやや重みのある女性の声が返ってきた。

「私、先日お電話でお約束しました、今田です」

「同じくはまかぜボラに所属してました、一年の佐々岡といいます。お邪魔してもよろしいでしょうか」

 後に続いて夏美も言う。

 沈黙が数秒続いた後、小さい声で「どうぞ」と返ってきた。


 暫くして玄関からややふくよかな体形の、しかし、顔はやつれている女性がドアを開けて入れてくれた。


「部屋が汚くてすみません……」

 玲奈の母はお茶を入れながら言った。

 汚いという割には部屋はきれいに片づけられていた。

「いえ、こちらこそすみません」

 差し出されたお茶に礼を言った。

 部屋の電話機の棚、キッチンのカウンターテーブルの上、玲奈含め家族の写真が飾ってあった。

 写真の中の玲奈はまだ幼い。水族館で撮った写真か、ペンギンのぬいぐるみを抱きしめている。

 幼い玲奈は子供ながらにふっくらしている。その横には玲奈の弟らしき子がピース姿で写っている。

「すみません、写真の横の……、弟さんですか」

 今田が写真を指差して聞いた。

「え?……あぁ、そう、玲奈の五つ下だから、今、中学二年生」

 唐突な質問に母親はやや戸惑いながら答えた。

 亡くなった当日のことを話すのは、流石に玲奈の母親も辛いと思い、あえて当日のことにはこちらからは触れないで今田と夏美は話し続ける。

「弟さんいたんですね。知らなかったです」

 家族仲が悪かったわけではないと思うが、兄弟の話は初めて聞いた。

「あ、えっと……、このころの玲奈もかわいいですね」

 無の時間が何となく気まずくなり、夏美は慌てて話を続けた。

 母親は写真立てを手に取ると、娘の顔の部分を軽く撫でた。

「そうかしら?実は、このころの玲奈、太ってた時期なの」

「え、あ、そう、なんですか……」

「ふっくらしている」と何となく感じたのは、嘘ではなかった。

「主人の仕事でこっちの方に引っ越しして直ぐで。あの頃はいろいろあってね……」玲奈の母は遠くを、もういない我が子を見つめるように話す。

 暫く沈黙が続き、重い雰囲気になったところを区切りをつけるように今田が言った。

「あのー……、ちょっと、手を合わせても良いですか?」

 母親は、あぁ、そうねと言いながら、仏間に二人を案内した。


 最近までよく見ていた笑顔の前で手を合わせる。

 きっとこの写真を撮ったときには、まさかこんな風に飾られるなんで思ってなかっただろうに。


「……学校は楽しかったのかしら」

 夏美たちが手を合わせ終わったのを見計らって、神妙そうな顔つきで母親が聞いてきた。

「はい、玲奈さんは友達もたくさんいましたし、学校生活もとても楽しそうでしたよ」

「そう、よかった……」

 その後、夏美たちは部活やクラスでの玲奈のことを話した。

 玲奈の母親は涙ぐみながら聞いていた。

 玲奈はあまり家族に私生活を話していなかったのか、自分の娘が大学生活をそれなりに謳歌していたことにどこかほっとしている様子だった。

「ごめんなさい、わざわざ来てくださって……」

 帰り際、玲奈の母親は夏美たちに頭を下げた。

「いやいや、そんな、謝らなくていいですよ」

 今田がなだめると、

「告別式、迷ったんです……」

 頭を下げたまま言った。

「本来なら、みなさんに玲奈とお別れをする場を設けるべきなのに。……でも、なかなか気持ちが、その……、『自殺かもしれない』って聞いていたので、余計辛くて……。今更だとは思っているのですが、本当に……、本当にごめんなさい……」

「気にしないでください。大事な娘さんを亡くされたんですよ」

 今田が優しく言う。

 辛くて当たり前だ。自分の知らない場所で、理由も分からずに娘が亡くなり、夏美たち以上に戸惑い、相当ショックだったはずた。

「今田さんと佐々岡さんが来られるまで、大学の方は来られなくて……。学校の先生方は、葬式後、こちらに顔を出してくださったんですけど」

「僕らでよければ、また伺いますよ」

 母親は玄関の扉を閉めるそのときまで頭を下げ続けていた。



「佐々岡さん、帰り大丈夫?」

 今田に言われてスマホを見る。既に十八時を過ぎていた。

「あー……」

 自宅までは一時間程かかる。

 少し小腹が空いたな、と思ったところでタイミング良く腹が鳴った。

 軽く笑いながら今田が言った。

「今日は僕から誘ったわけだし、もし良かったらご飯食べて行かない?」

「……はい」

 気恥ずかしさで目を逸らしながら夏美は答えた。


 最寄駅のファミレスは休日だからなのか、少し混んでいた。

 注文した料理を待っている間、今田と今日のことを振り返った。

「玲奈のお母さんに少しでも玲奈のことを伝えられて良かったです」

 涙ぐみながらも自分たちの話を真剣に聞いていた様子を思い出す。

 あの様子から、亡くなった当日のことはさすがに話せなかった。

「これまでお家に行った人は、あまりいなかったみたいだね」

「そうですね、それにこれまでの玲奈の大学生活を知らなかったみたいですし」

「今度は竹下さんも呼んでみる?」

 明香も夏美同様、玲奈のことはずっと気にしている。明香にとってもいい機会になるかもしれない。

「それもいいですね」

 頼んだ数品が来たあたりで今田はふとつぶやいた。

「そういえば……、三橋さんの子供のころの話、なんかちょっと気になったな」


『実は、このころの玲奈、太ってた時期なの……』

『あの頃はいろいろあってね……』


「あぁ、確かに『いろいろあった』って言ってましたね」

 しかし、その後話が途切れてしまったため、そのまま流してしまった。

「偏食とかなんですかね、太っていたっていうのは」

 子どもが偏食でどの程度太るのかどうかは実際分からない。

「どうだろうね、ストレスとかかな……」

 今田はすっかり暗くなった外をぼんやり眺めた。


 子供でも大人でも、常になんかしらストレスを抱えて生きている。

 玲奈は常に明るかった。けれど、それはきっと彼女のほんの一部で、昔から繊細なところがたくさんあったのかもしれない。

 夕食を終えた後もそんなことをずっと考えてしまった。



 その後も少女はたびたび今田の前に現れた。

「まだ、気になることがあるんだね?」

 片眉を上げながら今田がそう聞くと、少女も困ったように頷いた。

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