第18話「掃きだめのプリンセス」

歌舞伎町で偶然にも憧れの「ファミレスのプリンセス」鳩山一華の姿を認めた吉田は、彼女が振り返らないことを願いつつ、尾行して行き先を突き止めようとした。


手持ちの鞄にいつもの変装道具が入っているが、さすがに着替える時間はない。


それにしても、どこへ向かうつもりか? そもそも、何の用があって不良少女や非行少年、ガラの悪い飲んだくれもたむろする歌舞伎町に? 可憐に咲く一輪の花のような存在の彼女とはまったく無縁と思われる場所だけに、吉田はその関係性を確かめずにはいられなかった。


周囲を見回しながら歩いているところを見ると、場所を探しているらしかった。吉田は彼女が振り向きかけると素早く顔をそむけて悟られないようにした。やがて彼女はある建物の前で姿を消した。吉田は彼女が入っていったであろう建物の前まで来た。それは複数の小規模な企業や事務所が入る古びた商業ビルだった。エレベーターは上昇中で、3階で止まり、そのまま静止した。吉田は入居する法人名を記載した表示板を見つけると、3階プレート蘭に着目した。


東洋ジャーナル。


吉田はこの会社名に見覚えがあった。というかつい最近もその名を聞いた覚えがあった……吉田は自分の脳みそに手を突っ込み探りたい思いで必死に記憶を巡らした。


(河野の会社だ!)


吉田は財布にしまっていた河野の名刺を取り出す。


ビンゴだった。住所蘭にこの「東洋ジャーナル」の記載があるじゃないか!


状況から、鳩山一華が今しがた訪問したのは河野一男が在籍する東洋ジャーナルのオフィスであろうことは容易に察せられた。東洋ジャーナルは著名人のゴシップネタを売りにするカストリ雑誌。他のゴシップ誌同様、週刊真相も例に漏れず世間の評判は芳しくない。そんな雑誌を発行する会社に彼女は何の用があるのか? もしかして彼女も記者? いやファミレスバイトとの兼業は想像しにくい。情報提供? それとも面接? 記者に転身? だったらファミレスバイト辞めちゃうの? それは嫌だ! などなど、吉田の頭の中はめまぐるしく疑問妄想空想の渦が回った。


ここで吉田は、河野が去り際に告げた言葉を思い出した。


(この後予定があるから)


こう言われたとき、吉田の話に興ざめした河野がさっさと退席するための口実くらいにしか思わなかったが、鳩山一華と会う予定を指していたのかもしれない。河野が喫茶店を出て、鳩山一華がこのビルに入っていくまではおそらく20~30分の時間差だ。この時間が示す情報と言い、河野の言葉と言い、鳩山一華が週刊真相を訪問した疑惑を深めこそすれ否定するものでないことは確かだ。


吉田は週刊真相のオフィスを訪れて直接確かめたい衝動にかられた。変装道具はある。先だって芸能大手のルビープロモーションで実際にやってのけた経験を踏まえると、できないことはなさそうに思われた。が、そこには憧れの鳩山一華がいることを考えると、前回の比ではないくらいの危険な大冒険になるのは間違いない。もし見つかって騒動になった場合、彼女の中で吉田のイメージは壊滅的に悪化するだろう。そうなれば二度と顔見せできなくなる。味気ない生活の楽しみも、消える。


吉田は、腕時計を確認した。15時を少し回ったところだ。今日は木曜日。これまで通い詰めた経験から、吉田は彼女が高い確率で木曜日に出勤することを知っていた。そして出勤時間がほぼ17時で固定されていることも把握している。


吉田は、彼女が勤務するファミレスに行こうと思い立ち、ビルを出て駅へと向かった。



柱時計の針は、16時50分に向かっている。


吉田は30分ほど前にファミレスに入店し、鳩山一華が出勤するのを待っていた。


この店に足繁く通い、鳩山一華とも何度も顔を合わせているが、今日ほど心臓が痛むほど鼓動の高鳴りを感じることはない。


吉田は気が立っていた。つい2時間ほど前、やさぐれのごった煮のような新宿歌舞伎町で偶然、好きな彼女を見かけた。それだけでも何かざわめくものを感じるのに、彼女が向かった先というのが過激な性的ゴシップで名高い週刊真相のオフィスなのだ。一体どんな理由で彼女が芸能雑誌に用があったのか、直接確かめることはできないが、その真相の片鱗を掴む情報だけでも知りたかった。


自動ドアが開く演奏音が鳴り、吉田が玄関のほうへ目を向けると、鳩山一華がいつものように出勤する姿が認められた。


吉田はここ最近肌身離さず持ち歩いているビジネスバッグを引き寄せると、中から一冊の雑誌を取り出し、テーブルの上に置いた。


それは、ファミレスに向かう途中のコンビニに立ち寄り買ってきた、「週刊真相」今週号である。


(週刊真相と彼女に何か深い関係があれば、この雑誌を見たとき何らかの反応を見せるはず)


雑誌の表紙は、グラビアタレントとおぼしき豊満なスタイルの女性の水着姿が飾られている。


(これを見せるのか……)


しまった、と吉田は今さら思った。彼女の秘密に近づきたい一心で、表紙のデザインや、こんないやらしい表紙の雑誌を持ち歩いて彼女に何と思われるかまで考えていなかった。


(仕方ない。背に腹を変えられぬ)


この表現を使うほどの切実さと悲壮感が今の吉田が置かれた状況にあるかは疑問だが、それはともかく、吉田はこのまま前へ進むと覚悟を決めたのであった。


厨房のほうを覗くと、制服に着替えた鳩山一華がホールに向かって歩いてくるのが見えた。


吉田はお腹が痛くなってきた。ほとんど神に祈りたい気持ちになっていた。

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