第15話「またも大切な過去の記憶が……」
吉田がアパートに帰宅すると、母が夕食をつくって待っていた。
(吉田は電車までルビープロモーションで変装したロン毛アロハシャツの格好だったが、途中公園のトイレに立ち寄り着替え、出発時のスーツ姿に戻っていた)
「あら、早いやんね。営業の仕事がこげんはよ終わるならホワイト企業やろ」
息子から今日は営業の仕事だと説明を受けていた母は、小鉢や皿を座卓に並べながらそう言った。
「商談まとめるのが上手いけん、はよ終わった」
吉田は押し入れをごそごししながら、ヌケヌケとそう返した。
吉田は衣装ケースの下に潜り込ませていたB5ノートを抜き取り、さりげなくバッグにしまい込む。
(大丈夫、見つかってない)
母は、その様子を後ろからめざとく見ていた。
それは吉田が日々の日記を綴ったノートだが、母が吉田の留守中に気を回して押し入れの掃除をし、偶然見つけて内容を読んでしまっていることに、吉田はもちろん気づいていない。
ネクタイを外しながら食卓の前に腰を下ろす息子を、母はちょっとしらけた目で見ている。
日記を盗み読みした時点で、息子が物流倉庫のバイトをとうに辞めていることも、営業ででかけるといった話がウソなのも、先刻承知なのだ。
そうとも知らず吉田は「腹減った」とか言って目の前の食べ物を箸でつつきはじめている。
親子が食卓を囲む食事がはじまった。
吉田は、電車で帰宅する間ずっと気になって仕方なかった話を切り出した。
「俺が子どものとき、子猫飼いたいと言って相談したことあるやろ? 覚えてる?」
「……ん? いつの話かな?」
「小学1年くらいやったと思う。ほら、あの恵ちゃんと一緒に面倒見ていた子猫がいて」
「恵ちゃん?」
「床屋の娘」
「ああ、お兄ちゃんの同級生やった子ね。あんたたち兄弟と仲良くてよく遊びに来てたね」
「そう、で、どこで拾ったか覚えてないけど、子猫を恵ちゃんと一緒に面倒見てたんやけど、どうしてもこの子猫飼いたくなって、お母さんに相談したやんか」
「ああ、そんなことあったような」
「覚えてないんか……だって、そのあと、事件があったやんか」
「事件?」
母が解せない顔で聞き返す。
息子は、やや暗い表情で、声を落として語りはじめる。
「……子猫飼いたいって言う俺に、お母さんダメって言ったやん。飼えないなら捨てるしかなか、面倒みる人間がいなかったらこの子は野垂れ死にする……そしたら何かかわいそうになって、楽にしてやるのが一番いい方法だと、なぜかそん時は思って……俺と恵ちゃんはそんなふうに話し合って……本当に子どもって、何考えてるのかわからんな……どうしてあんなことしたのかまったくわからんのやけど……俺と恵ちゃんは二人で子猫を抱えて、小屋の裏に流れていた堀に……」
吉田はそこまで言うとうつむき、口をつぐんだ。
「……思い出した、ばあちゃんが堀の前で念仏唱えてお祓いしてくれたね、そしてお母さんとお父さんが子猫の遺骸を拾い上げて河に捨てに行って……」
「……俺のこの行動、どう思う? 異常だよね?」
吉田は母の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「……まあ、あのときはびっくりしたけどね。バカなことしてと思ったけど。子どもやし、命の大切さとかまだよくわからん年頃やし……でも」
「でも……?」
「そん後、それに味をしめて動物を殺したとかなかやろ?」
「ないよ」
吉田は力を込めて否定した。
「なら、異常じゃなか。異常な人だったら、その後も殺すやろ」
母は細い目をして言った。慰めるような言い方にも聞こえたが、吉田の心がそれで晴れることはなかった。
「……それがどうした? 急にそんなこと思い出して落ち込んだとね?」
「いや、まあ別に……」
吉田の顔が相変わらず晴れないので、母が励ますようにこんなことを言った。
「人は誰でも間違えることあるたい。それがきっかけで道を踏み外すようなことしてないなら大丈夫よ、実際その後、あんた、立派なことしとるやんね」
「立派なこと?」
吉田は浮かない顔つきになった。
「高校のときやったかな? 川で溺れた女の子を助けて、表彰受けたやんね」
吉田は、ぽかんとしている。
「え……何それ……俺の話?」
「あんたの話やろ、何ふざけとる」
「兄ちゃんの話じゃなくて?」
「あんたのことやろ、本当、おかしな子ばい」
あきれて笑う母に対し、息子の顔は曇りきっている。
吉田はこのとき、一生懸命に記憶をめぐらせていた。
しかし、
(……ぜんぜん覚えていない……うそやろ)
そんな記憶は、ヒトカケラも出てこなかった。
母によると、それは高校2年の時の話らしい。川で溺れる子どもを救出し表彰を受けるなんて、人生でめったにある出来事じゃない。もし本当ならこんな珍しくて自慢したくなる体験を忘れるはずはないのだ。
吉田は急にイヤな寒気を覚えた。
(やっぱり……記憶が……あの力を使っているから、記憶が、消えて……)
過去透視能力を使い始めてから起こるようになった“記憶の部分喪失”
前も、中学時代の同級生や母の話すことにまったく身に覚えがなく、大好きな初恋の人と交際した思い出や、人生唯一のモテ期にまつわる麗しい過去の記憶が“全部飛んでいる”ことが判明したのだ。
またもかけがえのない過去の記憶が消え去ったことを、吉田は認めないわけにはいかない。
「……? どうした?」
急に息子の様子がおかしくなったので、母が心配そうに尋ねた。
落ち込んでいる吉田は返事すらできない。静かに箸を置き、そのまま黙りこくってしまった。
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