第8話「謎の訪問者」

吉田の心は今、過去透視能力を使い、目の前でテーブルの後片付けに集中するファミレス店員の鳩山一華の過去を覗き見る方向へ、急速に傾いていた。


しかしもし、性風俗で働いていた過去があったら?


もし、売春、パパ活、AV歴が判明したら?


(俺は頭がおかしくなるかもしれない)


吉田の欲求にブレーキがかかる。


(ファミレスの店長と年の差不倫とかしてたら?)


鳩山一華に溺れる吉田の妄想はどうしても下半身のタブーを恐れる方向ばかりに傾く。


鳩山一華は後ろのほうでそんなハシタナイ妄想に明け暮れる客がいるなど知る由もなく、豊満そうなお尻を向けてせっせとテーブルを磨いている。


(いかん)


吉田の妄想はあらぬ方向に向かい、体の変なところがむずがゆくなってきた。


鳩山一華の体への誘惑と魅惑が強まれば強まるほど、彼女の過去の扉をこじ開ける勇気はしなしなとしぼむ。


美しく白い肌と、若々しい体、つぶらな瞳、まぶしいほどの清潔感。


その裏側に潜むかもしれない醜く汚らわしい過去など、知りたくもない。


吉田がいつまでも思い切れずもたもたしていたら、ベテランの中年女性店員がニコニコしながら近づいてきて、


「お客さま、当店90分制でございます。お並びのお客さまもおられますので、何卒ご理解いただきますようお願い致します」


と、やんわり注意してきた。


気づけば店内は満員で、前方のエントランス近くでは椅子に座る数組の客が順番を待っている。

「長居失礼しました、帰ります」


吉田は伝票を持って立ち上がった。


キビキビ動いて客を案内する鳩山一華の姿を目端に入れながら、吉田はファミレスを後にした。



アパートに帰宅した吉田は畳の上にごろんと横になり、スマートフォンを眺めいた。


吉田が見ているのは三輪明日菜の公式インスタグラムで、目がくりっとして可愛らしい表情を映し出した画像が並ぶ。


(何もわからんな)


吉田は先ほどから三輪明日菜と直接会えるイベントがないか調べるため、X、インスタグラムなどのSNSから事務所HP、ファンが開設したと思われる掲示板やブログなどを丹念にあさっているのだが、欲しい情報が見つからずそろそろ疲れてきている。


吉田はスマホを脇に置き、財布を開いて一枚の名刺を取り出した。


今日カフェで知り合ったばかりの芸能記者・河野一男の名刺である。


吉田はあの時、三輪明日菜の過去に関する確度の高い情報を提供する自信がある、と豪語して河野と別れた。


三輪明日菜と接触できれば、過去透視能力による映像化でどんな秘密でも把握できる自信があるが、それ以前に売れっ子女優をどうやって視界の射程に捉えるかという問題がある。


吉田の過去透視能力は、本人を直接目の前にしてはじめて可能になるわけだから、その問題をクリアしないことには何もはじまらない。


(そのうえ)


もう一つ頭の痛い問題がある。


特ダネになるような三輪明日菜の過去を暴いたとして、それが真実であることをどうやって河野に証明するのか?


過去の話に関する決定的な証拠など、収集できるはずがない。


これが今までみたいに、秘密に関する情報をネタに本人をゆする話であれば証拠など不要であったが、第三者に対して特定人物の過去に関する情報を伝える場合、それが真実であることを証明するものが必要となる。


吉田が河野に威勢よく自分をPRしたとき、正直そこまで考えていなかった。あのときは過去透視能力を使ってもっと安全に安定的に収入を確保したい思いが先に立ち、偶然知り合った芸能記者の河野一男なら自分の能力に目をつけて重宝してくれるだろうと期待を抱き、矢も楯もたまらず営業をかけたのであった。


ぼんやりと河野の名刺を眺める吉田の頭の中に、もう一つの選択肢が浮かぶ。


(ヤク中の過去をネタに、このおっさんから金を引き出すか)


河野に薬物使用歴がある事実を、吉田は過去透視能力を使ってはっきりと掴んでいる。


(しかしそれじゃ今までと変わんないな……)


吉田は、これまでのように秘密の過去ネタを使うユスリタカリ」の危ない綱渡り稼業ではなく、もっと安全でもっと効率よく稼げるビジネスモデルの確立を過去透視能力を用いて実現したかった。


吉田は上半身を起こし、テレビと余白だらけの本棚、プラスチックの衣装ケースくらいしかない六畳一間の殺風景な空間を見渡した。


十年くらい住んでいる築50年のオンボロ木造アパート。


4万円という都内の物件にしては破格の家賃が魅力だから長年住んでいるが、本音を言えばもっと設備が整う部屋がいいし、築年数もほどほどの物件に引っ越したい。


(芸能人、政治家のスキャンダルネタ、それも特大スクープになるビッグな情報であれば、単価高く売れて実入りもよくなると思うんだよなあ)


吉田はこの皮算用に執着した。


そのとき、「ピンポーン」と呼び鈴が鳴った。


吉田は緊張した。


訪問者など滅多になく、しかも時間は夜の8時を回っている。こんな遅くの訪問は不自然で、時間的に営業なども考えられない。


(まさか)


このとき吉田は、もしやドアの向こうに立っているのは私服警官ではないかと、悪い想像が働いた。


これまで繰り返してきた秘密の過去ネタを使ってのユスリタカリの悪行が、とうとう警察に知れることになった……?


ピンポーン……


吉田は座ったまま動かない。


ドアを開ける勇気が出ない。


しかし訪問者はあきらめず、今度はドンドン、とドアをノックする。


呼び鈴を押し、ドアを叩きはするが、名乗りもしないし何も言ってこない。それがまた薄気味悪く吉田を臆病にする。


部屋の電灯も付けていたから、居留守は通りにくいのもわかっている。


応答すべきか? 


ドアを開けるべきか?


ドンドン……


吉田は選択を迫られた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る