第5話「過去透視能力を使うと消えるもの。それは“自分の過去記憶”」
吉田が特殊能力を用いて他人の記憶を覗き見すると失うもの。
それは“過去の自分の記憶”だ。
原理は不明だが、この能力を使うと、自分の脳内に保存されている過去の記憶の一部が消去する欠陥があった。
それは特定の限定された記憶のみ消える「部分的記憶喪失」みたいな症状になるらしかった。
吉田がその欠陥に気づいたのは、中学時代の同級生と都内で偶然バッタリ再会したときだ。
女性宅に侵入して下着を盗んだ前科を持つスーパーマーケットの店長から10万円をゆすり取った後、ランチ営業をしている居酒屋で食事をとっていたら、「おい久しぶりじゃん」と隣席から声をかけてきたスーツ姿の中年男性が同級生だったのである。
地元福岡の文房具メーカーの営業部長だという同級生は、今出張で東京に来ていることを説明した。
互いの近況を話し合い(吉田は物流関係の会社で働いているとウソをついた)、旧交を温めた二人の会話は、おのずと青春を分かち合った中学時代のことに話題が向かった。そこで同級はからかい半分吉田の初恋の女子の名を持ち出したのだが、吉田自身はその子についてまったく記憶がなかったのである。
「サヨちゃんだよ、サヨさん、忘れたのか? お前の初恋の子じゃないか。中学のとき告白してつき合いはじめただろ? 背が高くて外人みたいに青い瞳して、かわいらしい三つ編み姿がトレードマークの。お前あんなに好きだったじゃないか」
同級生は最初吉田がとぼけてるかと思っていたが、どうやら本当に忘れているらしいとわかると、深刻な顔になり、「お前、もしかしてその年で認知症になったんじゃ?」と心配そうに言った。
吉田はむっとして「んなわけないだろ」と否定し、この後予定があるからと言って同級生の前から逃げ出すように退店したのである。
(まさか、記憶が、消えてる?)
吉田の心に不安が曇天の雨雲のように広がり、足取りも重くなった。
同級生が語っていた「サヨちゃん」は、吉田が小学校時代に好きになった初恋の子で、中学に進学したとき恋が実り、つき合うようになった。
暗い過去ばかりの吉田の人生にとって、それは数少ない宝石のように美しく輝く記憶だったと言っていい。
そんな大切で貴重な記憶が吉田の中から失われてしまったのだ。
記憶そのものがまるごと消えたので、落胆とかショックなどの感情はない。が、ぽっかりと心に穴が空いたようなむなしさは残る。
実は、福岡の実家に住む母と電話したときも、記憶消去の疑惑がよぎった。
「いい人おらんとね? あんたがさっさと結婚せんと、お母さん心配であの世に旅立てんよ」と、母は結婚の督促をかけた後でこう続けた。「あんたが本気出せば女の子の一人二人すぐ付き合えるくさ、ほら、あんた中学のときモテ期やったってよう話しよったやんね」
そこで吉田は怪訝な顔つきになり、「モテ期? 俺の中学時代がモテ期だって? ウソつけ」と母の言うことを否定しにかかった。
「ウソなもんか、もしかして照れよっとか? あんた、中学のとき日替わりで違う女の子家に連れてきよったの、お母さんが忘れたち思うか」
吉田には、そんな記憶はみじんもなかったのである。
しかし、母は事実を言っていた。吉田は初恋の子であるサヨちゃんと別れた後も、同じテニス部の子やら隣のクラスの子やら遠く離れた福岡の中学に通う女の子やら、彼女をとっかえひっかえするモテ期を謳歌したのであるが、吉田の脳内からその記憶は霞のようにはかなく消えてしまった。
色恋がらみで吉田の記憶に残る中学時代の思い出といえば、卒業前、背が低く醜いうえに太った女子から体育館の裏に呼び出され、告白されたことくらいである。
「お前みたいなブスデブと誰がつき合うか」
マッチ棒のように細かったその目がカッと見ひらき、こちらを鋭く睨んだ様相がまさに霊鬼のようで、背筋が寒くなったことをよく覚えている。
あの日のことを思い出すたび、吉田の心は針でつつかれたようにチクチク痛むのだ。
その子を振ってから、恋愛面に関して吉田は呪いがかかったようにダメになった。
恋をして告白しても振られっぱなしで、一度も実らず、悔しく泣く思いばかりしてきた。
25歳のとき、久留米のスナックに勤務していた10歳年上のバツイチ子持ちと3ヶ月だけつき合ったのを最後に、この15年間彼女というものができずに過ごしてきた。
中学卒業前に振ったあの容姿が残念な子は、実は妖怪でその呪いにかかったのではないかと本気で疑い、お祓いを真剣に検討したこともあるくらいだ。
母から言われたモテ期のことが記憶になく、どうもおかしいと思っていたところ、再会した同級生との会話でも同様の疑わしい体験をして、本当に記憶が消えるているらしいと判断を下さざるを得なかった。
他人の過去が見える能力を獲得してからそのような現象が起きていることを考えると、どうやらこれは手に入れた能力と引き換えに起こる代償としか思えなかった。
しかもそれは、自分の中では素敵な思い出や美しい体験、何度も思い返してはいい気分に浸れる大切な記憶が優先的に消えていくようなのが何とも皮肉であった。
この事実を前に、吉田は軌道に乗りつつある今の裏稼業を続けるか、かけがえのない記憶の保存を優先するか、二者択一の判断を迫られた。
他人の過去を利用して生きるか、それとも自分の過去を死ぬまで守り抜くか?
確かに美しい思い出は貴重だ。それが人生の辛い場面での励みになることもある。
しかし、思い出だけでメシが食えないのも事実だ。
いくら素敵な思い出に浸ったところで腹は減るし、限りない欲望を満たすにはほど遠いしまったくもって頼りない。
過去? 俺の過去は、軌道に乗りつつあるビジネスを犠牲にしてまで守る価値があるものか?
高校を中退し、役者になる夢を追い求めて上京するも、厳しい現実を前にあっさり挫折。
35歳にしてはじめた就職活動も上手くいくわけがなく、アルバイトを転々、たまに正職につくも長続きせず、不安定で少ない収入の生活に甘んじるまま、40を迎えてしまった。
自分には、何の取り柄もない。厳しい競争社会を生き抜くだけの知恵も能力も経験値もない。
そんなふうに人生半ばあきらめかけたところへ、降って湧いたような「宇宙からの贈り物」
生まれてはじめて実感する「天賦の才能」
誰にも負けない、真似できない能力。
自分に与えられた唯一無二の能力を使って生きるのは、吉田がずっと憧れていた生き方だった。
今は、それができる。
吉田はこの能力にすがって生きてみようと決断した。
たとえ美しい思い出やかけがえのない記憶を捨ててでも。
その決断後にはじめてターゲットにしたのが、ソープ嬢の過去を持つ若妻だった。
昼間から飲んべえがたむろする赤羽の駅前を歩く吉田は、肩に提げたバッグを大事そうに触りながら、今から入る店を探していた。
バッグには、さきほど若妻から頂戴した15万円入りの封筒が入っている。
吉田はアーケードを歩きながら、すれ違う人々にさりげなく視線を送る。
(金になりそうな人間を見極めてからやらないと……記憶がどんどん消えていくのはさすがに怖い)
他人の過去を想像するときは楽しくても、自分の過去の未来を思いやるときは切なくなる吉田であった。
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