第4話 『境界の民』の邂逅

アゼルとアリシアの見合いから数ヶ月後、二人の結婚は正式に発表された。


当初は政略的な思惑で始まった関係だったが、互いの本質に触れたことで、二人の間には確かな愛情が芽生えていた。


広大な王宮の庭園には、色とりどりの花々が咲き誇り、祝福の鐘の音が鳴り響く。


二人の結婚式は、まさに国を挙げての盛大な祝祭となった。


アゼルとアリシアは、星の光が降り注ぐような祝福の光に包まれながら、永遠の愛を誓った。


結婚後、アゼルは王子の責務をこなしながら、アリシアとの穏やかな日々を過ごした。


アリシアはメテオラ王国の星々を読み解く知識と、温かい心でアゼルを支え、アゼルもまた、彼女の深い知性と優しさに触れ、王家としての器を磨いていった。


そして、結婚から二年後、二人の間に待望の第一子、アリスが生まれた。


アリスが生まれた夜、空にはひときわ強く輝く星が一つ、静かに瞬いていた。


その星は、母であるアリシアの瞳と同じ、深く澄んだ青色に輝いていたという。


アリスは、アゼルとアリシアの愛情を一身に受け、すくすくと育っていった。



しかし、彼女が三歳になった頃、その身に宿る不思議な能力の萌芽を見せ始める。


アリスが感情を揺るがすと、周囲の空間が微かに揺らぎ、まるで水面に波紋が広がるように、その影響は周囲に及んだ。


それは、王宮のガラスのインク瓶がカタカタと震えたり、本棚の本がわずかに浮き上がったりする、小さな奇跡だった。


アゼルとアリシアは、その現象を「アリスに与えられた特別な力」と理解し、彼女がその能力を制御できるよう、静かに見守っていた。


しかし、アリス自身は、自身の能力に戸惑いを隠せないでいた。


彼女は、誰もいない静かな場所を求め、王宮の図書館の奥で、自身の心と向き合う時間を過ごすようになる。


壁一面を埋め尽くす書棚には、建国以前から続くアル・エテルナの歴史や、遠い星々の物語が詰まっていた。


その壮大な空間で、アリスは心を落ち着かせ、静かにページをめくっていた。


ある日、アリスは、普段は手が届かない書棚の最上段に置かれた、古びた文献に心を奪われた。


背表紙には、見慣れない文字で「次元の狭間」と書かれている。


埃を払い、分厚いページを開くと、そこには『境界の民』と呼ばれる不思議な存在の記述があった。


彼らは特定の故郷を持たず、次元の歪みから生まれ、あらゆる情報を取り込み、その姿を変えるという。


まるで世界そのものに溶け込む影のような存在。


その記述に、アリスは自分の能力と似た、言いようのない親近感を覚えた。


アリスが、その文献に深く没頭していると、書棚の陰から、まるで水面に映る影のように揺らめく少年が現れた。


彼は、まさにその『境界の民』の一人として、アル・エテルナの次元のわずかな綻びから、偶然にも生まれ落ちたばかりだった。


彼はこの世界の全てを吸収しようと……無意識のうちに周囲の情報を模倣し、その場にいたアリスの姿を初めて、明確な形として模倣した。


しかし、まだ能力を制御できず、すぐに曖昧な影のような姿に戻ってしまう。


驚きながらも、アリスは彼に敵意がないことを悟り、その孤独と戸惑いを察した。


文献で読んだ『境界の民』と彼を結びつけ、優しく語りかけ始めた。


「……怖がらなくても大丈夫。あなた、一人ぼっちなの?」


アリスが手を差し伸べると、彼は一瞬怯えたように身を引いた。


だが、アリスの澄んだ瞳と、どこまでも優しい声に触れ、ゆっくりと、その小さな影のような手を、アリスの掌に重ねた。


ひんやりとした、実体のない感触。


しかし、確かにそこに存在していた。


「この文献に、あなたのことが書いてあったの。『境界の民』って……。あなたは、この世界に生まれたばかりなのね。なら……あなたの名前は、カインにしましょう。新しい世界で生まれた、始まりの者。きっとあなたにぴったりの名前よ」


アリスはそう言って、彼に微笑みかけた。


カインという名を与えられた彼は、アリスの温かさに触れ、初めて自分の「存在」を認識したかのように、わずかに光を放った。


こうして、星の王家の乙女と、次元の狭間から生まれた少年は、奇妙でありながらも深い絆で結ばれていった。



カインと名付けられた『境界の民』は、アリスの温かさに触れ、初めてこの世界に「存在」する感覚を知った。


図書館での秘密の出会いから、二人の特別な交流は始まった。


アリスは、自身の能力に戸惑いを抱えながらも、彼女と同じように「特別な力」を持つカインに、計り知れない親近感を覚えていた。


「この花は、ミリアム・ローゼ。とてもいい香りがするのよ」


アリスは、王宮の庭園で摘んだ小さな白い花をカインに見せた。


カインは、まだ曖昧な影のような姿のまま、アリスの掌にある花を見つめる。


彼は、アリスから伝えられるすべての情報――言葉、匂い、色、そして感情までもを、スポンジのように吸収していった。


アリスは、カインにこの世界のことを教え続けた。


言葉の響き、物の名前、感情の機微。


カインは、アリスの模倣を繰り返すことで、次第に人間らしい姿を保てるようになっていった。


初めて声を発した時、彼の口から出たのは、アリスが何度も聞かせた「ありがとう」という言葉だった。


その瞬間、アリスの瞳には喜びの光が宿り、カインは温かい感情が胸に広がるのを感じた。


二人は、王宮の誰も知らない秘密の場所で密かに会っていた。


それは、庭園の奥にある、忘れられた噴水の裏手。


そこは、王宮の喧騒から隔絶された、二人だけの世界だった。


ある日、アリスはカインに言った。


「私の力、うまく使えないの。感情が揺れると、周りの物が揺れたり、勝手に動いたりしてしまうの」


カインは、アリスの言葉をじっと聞いた。


そして、自分の影のような腕を伸ばし、アリスの顔をそっと撫でた。


その瞬間、アリスの背後にあった石像が、まるで幻のように揺らぎ、次の瞬間には元の姿に戻った。


カインは、アリスの能力を模倣することで、その力の性質を瞬時に理解していたのだ。


彼は、アリスの能力を鏡のように映し出すことで、彼女自身も気づいていなかった力の使い方を示した。


「すごい……!こんなことが、できるなんて……」


カインは、アリスの喜びの感情を模倣し、初めて満面の笑みを浮かべた。


彼の笑顔は、アリスの心に温かい光を灯した。


こうして、二人は互いの能力を磨き合い、共に成長していった。


アリスはカインにこの世界での「居場所」を与え、カインはアリスにとって唯一無二の理解者となった。


二人の存在は、互いにとって欠かせないものとなっていった。


遠い星々の光が、夜空に瞬く頃。


カインは自分の姿が、アリスと同じ、人間らしい姿を保っていることに気づいた。


そして、アリスの瞳に映る自分の姿を見て、彼は初めて、自分がこの世界の一部になったことを実感した。

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