第23話 純潔の檻を破る時

 静かに時間が流れていた。蝋燭の炎が短くなり、窓の外では塔の影が夜に沈み込んでいた。


 ヴァリスの胸に頬を預けたフェリルは、まだ呼吸を整えながら、小さな声で呟いた。


「……ねえ、王子」


「ん」


「わたし、シルヴァ=ハルナに行こうと思う」


 囁くような声の奥に、芯があった。迷いではなく、意志として響いていた。


 ヴァリスはその言葉を受け止めるように、彼女の髪をゆっくりと撫でる。


「……自分のせいで、戦争になるのは嫌。それもあるけど……」


 フェリルは言葉を探し、そして続けた。


「……ひいおばあさまが、どうして身を犠牲にしてまで、子を産んで、世界樹を守ったのか……この世界を“創った”可能性がある一人として、知りたいの。わたしがこの世界を見届ける責任、あると思ってるから」


 ヴァリスの手が止まる。そして静かに頷いた。


「キミの書いた"王冠と純潔の檻"、正直言って俺もかなり記憶が曖昧になっているんだが、主人公である"フェリル"は、何か秘密を抱えているような設定はあったのか?」


 寝る前にスマホ片手に読んでいたヴァリス……当時の竜一だったが、登場人物と悪逆王子たるヴァリスの顛末ぐらいは覚えているものの、全体的には近いシチュエーションによる悪役令嬢を取り巻く王宮事件の繰り返しであり、重大な秘密、といった展開は記憶にない。

 転生してすぐの幼い頃は、もう少し何か覚えていた気はする。


「私も正直言って、かなり曖昧なんだ。"王冠と純潔の檻"を園田優子として書いた記憶はあるけど、深い設定まで考えていたのか、どうなのか……」


 フェリルは少し笑って、目の前のヴァリスの頬を軽くつねり、笑う。


「私の考えたヴァリス君は、もっと馬鹿だったし、こんな女たらしじゃなかったしね。レイナ姉様もあんなにえっちに書いてないし!これはずっと言い続けるからね」


 ヴァリスは苦笑する。本当にずっと"性教育"の話は言われ続けそうだ。

 そんなヴァリスを見て、フェリルも笑う。


「フェリルは、"王冠と純潔の檻"の主人公。転生し、記憶を抱え、当然ながら設定というか、物語の顛末に関わる何かは考えてたと思うんだけど、思い出せない」


「……一緒に行こう、フェリル。君が知りたいものは、俺も知りたい」


 視線が重なる。フェリルは、微かに潤んだ瞳のまま、唇の端を少しだけ上げた。


「守ってね。……ちゃんと」


「もちろん。絶対に守る。どんなことがあっても」


 フェリルはその言葉に、ほっとしたように目を閉じた。


 そして、柔らかく笑いながら、囁いた。


「頼りにしてるわ。……気の多い王子様」


 唇が重なる。先ほどまでの熱を残しつつも、今度のキスは長く、穏やかで、互いの鼓動を確かめるようなものだった。


 夜風が塔の壁を撫でていく。部屋にはもう言葉はなく、ただ互いの温度と音だけが静かに息づいていた。


 * * *


 王城西塔の一室。夜は深く、月光が厚い雲に隠されていた。

 蝋燭の炎が揺れ、書きかけの報告書の影が机の端で踊る。


 ヴァリスは一人、執務机の前にいた。

 宗廟と学匠院では、緑の手記の照合と術式解析が続いている。時間はかかる。だが、待ってはくれない。


 シルヴァ=ハルナ。

 アルヴェリア王国の西に位置する大森林に存在する世界樹の守り人たちの国。


 その動向に警戒しつつも、可能な限り早く、手記の件を開示した上で外交使節団を派遣し、平和的な解決策を模索しなくてはならない。


 使節団はヴァリスとフェリルは確定として、警戒させず、かつフェリルの安全を可能な限り守る為の人選をしなくてはならない。


 そうなると真っ先に候補に挙がるのはミリアだ。

 彼女の力はまさに神聖魔法ディバインアーツの最高峰。死以外の傷ならば、癒してみせる――それは誇張ではなく事実だ。


 しかし、精霊魔法スピリットアーツを自在に操るエルフやドワーフといった種族は、歴史的に創世神ザイ=アリオスを信仰してはいない。

 あらゆる自然現象に精霊を見出し、それらを時に崇め、時に使役する彼らと唯一神である創世神ザイ=アリオス信仰は噛み合わない。


 それもあってか、エルフやドワーフといった種族は神聖魔法ディバインアーツには適性がなく、それゆえ――隣国ザイラント教国との関係は、常に冷たい。

 教会主導での他種族排斥運動が周期的に起こる国で、ほぼ聖女だったミリアが外交に加われば、相手を刺激するのは明白だった。


「……ミリアがいない遠征」


 だからこそ、戦争にはしてはならない。言葉で決着をつけなければ。

 ミリアも自らの立場を理解しているからこそ、心配で同行したい気持ちを抑え、自らの修練と神聖魔法ディバインアーツの心得のある騎士や学士たちへの指導に力を入れてくれている。


 ミリアは、あっけらかんと振舞ってはいても、長くザイラント教国で過ごし、アルヴェリア以外を良く知るが稀有な人材なのだ。


 ふと、ノックの音。扉の向こうから、慎ましい声。


「失礼いたします、殿下」


「……レイナか。入って」


 扉が開く。レイナは礼服に身を包み、凛とした姿で歩み寄った。金の巻き髪が夜の灯に照らされて、揺れている。


「護衛編成の件、最終案をお持ちしました。御命令どおり、三名の精鋭騎士に限定。わたくしを含め、四名での護衛となります」


「ありがとう。助かる」


 報告を終えると、彼女は机の上に資料を置く。


「また、フェリルに関してですが、長旅に慣れていないこともあり、今のうちに装備・体調の両面から準備を整えております」


「……そうか。気配りに感謝するよ」


 ヴァリスはそのまま、レイナを見つめた。


 ふとヴァリスは思う。


(レイナの“悪役令嬢”要素というのは何があるんだ?)


 金髪の巻き髪、俗に言う縦ロールの髪型、切れ長の目、美しく豊満な肢体など、なるほど確かに見た目においては、まさに"悪役令嬢"と呼ばれるに相応しい。


 しかし、正義感が強く、真面目で、有能で、そして嫉妬などといった負の感情にも程遠く、さらにはヴァリスを最重視しながらも、盲信せず、間違いを間違いと質すこともできる。


 その内面、役割において“悪役令嬢”という要素は無い。


 『王冠と純潔の檻』――フェリルがかつて書いたWEB小説。

 だが、記憶は曖昧ではあるが、その作品の中でも彼女の性格も、立ち居振る舞いも、どこにも悪意の破片などなかったように描かれていた。


(フェリルに機会があれば、もう少し何か覚えていないか聞いてみよう)


「……どうしましたの?」


 レイナが、微かに首を傾げて問う。


 ヴァリスは笑って言った。


「いや、君が俺の妃で良かったなと。……素直に、そう思っただけだ」


 レイナは、わざとらしく顔を伏せ、次の瞬間――


「そんなことを、そんな熱いまなざしでおっしゃられては……わたくし、濡れてしまいますわ」


「――っ」


 ヴァリスは椅子から落ちかける。それこそ真顔で下ネタを吐く“悪役令嬢”など前代未聞だ。

 脳内に、フェリルの喚き声が響く。


(あんたのせいでしょ!私の純粋なレイナ姉様が何でこんなことに?!)


 苦笑をこぼすと、レイナは小さく笑って肩をすくめた。


「殿下。今夜は、お時間ございますか?」


「……ああ。そろそろ準備も落ち着く。遠征が始まれば、二人きりの時間も取れないだろう。君の望むままに応えるよ」


 その言葉に、レイナは驚いたように瞳を瞬かせ、頬を染めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る