第2話 転生王子、王国の仕組みを知る
五歳になった。
言葉を覚え、椅子に座り、スプーンを使い、王子としての所作をそれなりに習得した今、ヴァリス・アルヴェリアは、早くも王城の中で“賢き幼子”というあだ名を得ているらしい。
「今朝も、書庫にお通いになられるのですね?」
付き人の侍女が、緊張気味に微笑みながら問いかけてくる。
「うん。昨日の続きがあるから」
頷きながらも、内心ではため息をついた。
五歳児が書庫に通うだけで天才扱いか……。
貴族子弟が文字の読み書きを始めるのは七歳からが一般的で、庶民に至っては多くが文盲のままだ。
城の中では衛生観念もお察しレベルだ。
トイレは香草入りの桶に垂れ流し、水は井戸から手汲み。
沐浴は週に一度、香油で体を拭くだけで済ませる者も多い。
こうして、改めてこの世界の生活に馴染んでいくほどに、ヴァリスは確信した。
この国、いや──この世界には「余地」がある。
現代人としての記憶と知識。
それが“神からの祝福”と呼ばれるのなら、ヴァリスはそれを使ってこの世界を“改変”してやろう。
その第一歩が、書庫だった。
王家の図書塔は、格式ある石造りの塔だった。
光を反射する薄青の大理石、壁に刻まれた古代文字の碑文、巻き上げ式の螺旋階段。
内部には、羊皮紙や紙写本の書物が並び、空気は少しばかり乾いている。
ヴァリスの目的は、魔法。
この世界の支配構造は、王政と貴族制による統治──それと並んで、魔法という超常が人々の秩序を保っている。
教本によれば、魔法は大きく四系統に分類されていた。
神に祈ることで奇跡を顕現する
精霊と契約し、火・水・風・土を操る
術式や詠唱によって理を改変する
そして、禁忌の魔神や異界と繋がる
この中で、もっとも“インフラ”に向いているのは──
風を起こし、水を湧かし、火を灯し、土を穿つ。
建築、農業、災害対策、そして衛生処理に至るまで、現代的な生活環境の再現にはこの
だが──
「契約には“資質”が要る。これは……汎用できない」
生まれついての精霊適性がなければ、いくら努力してもその力を借りることはできないという。
そして、この適性はエルフやドワーフ、長命種の亜人に多く、人間には稀だった。
つまり、ヴァリスがこの手で社会インフラを改革するためには、
仮に契約者を雇ったとしても、その維持や拡張性に難がある。
代わりに、ヴァリスは一つの系統に目を向けた。
詠唱、魔導式、媒体となる魔石。
すべてが理論として記録され、体系立っており、再現性がある。
しかも
水を浄化する術。
汚泥を分解する術。
空気の流れを生む術──
学べば、習得できる。
再現すれば、他人にも教えられる。
それは、まさに──“学問”だった。
「俺が学ぶべき魔法は……これしかないな」
魔法を“使う”のではなく、“開発”するという道。
知識と論理で構築された体系を利用し、生活基盤そのものを変える。
この瞬間から、ヴァリスの“学派”が定まった。
そして、もうひとつ。
もう一つだけ、心に引っかかるものがあった。
それは──
レイナのことだ。
宮廷教育の一環として、月に一度、彼女と顔を合わせる機会がある。
金髪の巻き髪。
凛とした立ち姿。
幼いながらもすでに高貴さを身にまとうその姿は、確かに原作通り“将来有望な悪役令嬢”である。
けれど──
ヴァリスは、意図して彼女との関係を深めていなかった。
* * *
一見すれば、彼女との関係を育てるのは得策だった。
将来の王妃候補。
政略上の盟友。
早期から信頼関係を築いておけば、後の婚姻や協力関係もスムーズに運ぶ。
──だが、それでも。
ヴァリスはあえて彼女と距離を取る選択をした。
理由は、単純で──けれど、非常に個人的なものだった。
「……可愛すぎるんだよな」
素直な感想だった。
無垢で、気高く、それでいて孤独を背負ったような横顔。
彼女は、たしかに魅力的だった。
それは今後、思春期を迎えた彼女がどう成長していくかを知っている身だからこそ、強く実感してしまう。
──だからこそ、今のうちに線を引かなければならない。
この世界では王族の婚約は早い。
十歳で婚約の儀を行い、十六歳で夫婦関係、二十歳前後で即位・正妃昇格という流れが基本とされている。
けれど、前世を三十五まで生きたヴァリスにとって、今の彼女は“対象”ではなかった。
目の前にいるのは、まだ子供──そう認識してしまえば、大人になってから彼女を異性として見ることは、きっとできなくなる。
いずれ、彼女は花開く。
その時、ヴァリスが彼女の手を取ることに、躊躇があってはならない。
「だから、今は──少し、距離を置く」
この決断は、彼女のためでもあり、ヴァリス自身のためでもある。
後悔しない未来を選ぶために。
その後の数ヶ月、ヴァリスは書庫に籠もって
浄水術式の基礎構文。
魔石の適性と属性分類。
術式転写の条件。
古文書を読み解きながら、実際に手を動かして小規模な術式の再現にも取り組んだ。
ある日、王妃の専属風呂場に試作の“魔導流路”をこっそり設置したところ──
「まぁ……今日は水の濁りが少ないわ。妙に肌触りも良いですこと」
と、侍女たちがざわつき始めた。
そう。これは、効果実証。
ヴァリスは王子という立場を利用し、王妃の体感による“証明”を得たのだ。
そしてこの一歩が、将来の下水道整備と衛生改革に繋がっていくことになる。
もちろん、この魔導流路がどれほど実用性を持つかは、今後の改良にかかっている。
だが今は──小さな歯車が、確かに動き出した。
「殿下、政務講義の準備が整いました」
付き人が声をかけてきた。
今日は、内政についての初歩的な講義がある日だ。
王族としての責務を学ぶ場。
ヴァリスは書を閉じ、巻物を巻き、立ち上がる。
すでにこの身体には、この国を“変える”ための青写真が宿っている。
──まずは、三つ。
ひとつ。魔法を使った生活インフラの基盤作り。
ふたつ。教育を整備し、貴族社会の倫理と価値観を再構築すること。
みっつ。
そして──その先にあるのは、
「国家そのものの、再設計だ」
まだ誰も知らない未来。
けれど、確かにここにある理想。
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