第2話

お城に着いた時には、もう夕暮れになっていた。

茜色に染まった空を背に、堂々とそびえる城門。


私は深呼吸をして、門をくぐろうとした――その瞬間。


鋭い金属音と共に、槍の穂先が目の前に突きつけられた。


「ご令嬢の入城は許可されておりません」


門の両脇に立つ衛兵二人が、槍を交差させて私の進路を塞ぐ。


「そんな……」


今まで、入城を止められたことなど一度もなかったのに。


「先程、セレナ嬢との婚約破棄が城内に発表されました。

今後は公爵家からの正式な申し出がなければ、城への立ち入りは認められません」


無表情に告げる声。

もうお城の人達に伝えられたの?

つまり、王様や王妃様も了承したということなのね…。


本当にあの女性が王子妃になるの?

涙が込み上げてくるけど、今は悲しんでる場合じゃない。

さっきあったことを伝えないと…!


「ま、待ってください! レオンハルト殿下の様子がおかしいと思いませんでしたか?

それに、連れていた女性も――」


「殿下はおかしくなどありません」

衛兵の目が冷たく光る。

「これ以上の発言は、不敬罪にあたります。お気をつけください」


息が詰まった。


不敬罪だなんてーー。

確かに「殿下がおかしい」なんて発言は良くなかったかもしれない。

でもこれじゃ、殿下のことを誰にも伝えられないじゃない…!


納得がいかない。けれど、ここで食い下がっても無駄だ。

私は悔しさを噛み殺し、踵を返そうとした――その時。


「セレナ!」


聞き覚えのある声に振り向く。

城門の向こうから、一人の騎士が駆けてきた。


カイルだ。

三つ年上の幼なじみで、今は騎士団の副団長を務めている。

茶色の髪に澄んだ青い瞳。高い背に鍛え上げられた体。

幼い頃はレオンハルトと三人でよく遊んだ仲だ。


「カイル!」


私のそばまで来た彼は、荒い息を整えながら言った。


「婚約破棄のこと……聞いた。何があったんだ?

つい最近まで、あんなに幸せそうに見えたのに」


その瞳は、私の痛みに寄り添うように悲しげだった。


「……私も、よく分からないの」


声が少し震えた。レオンハルトが微笑んでくれたのが、もうずいぶん前のことのように思える。

必死に抑えても、胸の奥が軋んだ。

カイルはしばし黙り込んだ後、「少し時間あるか?」と静かに言った。

そして私を、城下町の居酒屋へと誘った。


***


店に入ると、酒場は仕事終わりの男たちで賑わっていた。

ジョッキを掲げる笑い声と香ばしい肉の匂い。

その喧騒に紛れれば、誰かに聞かれる心配もない。


「セレナはここから選んで?」


カイルが渡してくれたのはノンアルコールのドリンクメニューだった。

気遣いが胸に沁みて、「ありがとう」と微笑む。


注文を済ませ、すぐに飲み物が運ばれてきた。

テーブルに置かれたグラスから、冷たい雫が伝って落ちる。


「それで……何があったのか、詳しく話してくれないか?」


真剣な瞳に見つめられて、私は深く息を吸い込んだ。


――レオンハルトに突然、婚約破棄を言い渡されたこと。

紹介された靄のかかった女性。

殿下の頭上に見えた、光る糸。

そして、頭に響いた、不気味な男の声。


常識で考えればあり得ない。頭がおかしくなったと思われても仕方がない話。

けれど、カイルは一言も遮らず、真剣に耳を傾けてくれていた。


「信じるよ」


全てを聞き終えたカイルは、真っ直ぐに私の目を見つめ、静かに言った。


「実は、あの女性を初めて見た時から少し不気味に感じてたんだ。けれど、彼女が客室に住み始めてからは顔を合わせることもなくて、気にしないようにしてた」


「カイル……ありがとう」


胸の奥に、じんわりと温かさが広がる。


「こんな話、誰にも信じてもらえないんじゃないかって、不安だったの」


その瞬間、カイルが私の手を優しく握った。


「そんな心配、俺にはしなくて良いよ。俺は、セレナの言うことなら信じるから」


まっすぐな眼差しに心臓が跳ねた。ずっと一緒に過ごしてきた幼なじみだからこそ、疑わずに信じてくれているのだろう。それでも今の私には、その言葉が何よりも嬉しかった。


「でも今は、まだ何が起きているのか分からない。俺が城で殿下やあの女性のことを調べてみる。何か分かったら、必ず伝えに行くから……セレナは待っててくれ」


「……うん、分かった」


「セレナ、落ち着いたな」


「え?」


「昔の君なら『私も何かする!』って言って、俺と殿下を困らせてただろ。狩りのときも……」


カイルが昔を思い出して笑った。

きっと、私が庭師のスコップを片手に、2人の狩りについて行ったあの日のことだろう。

確かにあの時は、スコップで獲物を倒そうと本気で思っていた。

今ならスコップで戦うことなんて出来ないってわかるけど。

それをいじられるのは、恥ずかしい…!


「もう、それは昔の話よ!今の私は上品でおしとやかなレディーなんだから」


「ははっ、ごめんごめん、そうだな、セレナは綺麗なレディーになったよ。…でも本当に危ないことだけは、しないでくれ」


最後の言葉は真剣に言われて、胸が熱くなった。


「…わかってるわよ」


その後、私たちは昔話を少しして、酒場を出た。

夜の風は昼の熱気を冷まし、ほんのり涼しい。カイルが馬車の前まで見送ってくれる。


「それじゃあ、セレナ。気をつけて」


「うん……カイルも」


別れの言葉を交わし、私は馬車に乗り込んだ。

屋敷に戻った時には、空にはすっかり星が瞬いていた。

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