僕と級友。

 僕は心配性で、些細な問題も過大評価する傾向があるのかもしれない。

 二週間ぶりの学校は思ったよりも僕を温かく迎えてくれた。生徒指導を蹴り倒したヤベー奴と噂を流している子もいるようだけど、クラスメイトには情報のほとんどが正しく伝わっている。絡まれていた七里を助け、一線を踏み越えた潟桐を蹴り飛ばした。それだけの話だ。

 僕が暴力的な手段を取ってしまったのは事実だし、元々、彼との関係が悪かったのも噂話に尾ひれをつける原因になっているらしい。授業のために教室に入ってくる先生が、毎回のようにぎょっとした顔をするのは面白かった。悪童と思われているんだろうね。

 閑話休題。

 朝からずっと、クラスの男子に絡まれて大変だった。

「波久礼って格闘技やってたの? 一撃必殺だったらしいじゃん」

「いや、素人だよ。道場とかも通ったことないし」

「中学時代はスケバンだったってホント? 喧嘩無敗ってのは?」

「事実に即してない噂話だよ。……ってか、その噂流したの誰?」

「ってか可愛いね。俺と付き合ってよ」

「はっはー。キミとは名前を覚える程度の関係がゴールかな」

 以上、男子と交わした会話の抜粋終わり。他にも色々なことを話した。

 変な噂どころか、あくどい噂まで持ち上がっていたのは頂けない。

 自業自得だけど、なんともはやコメントに困るものだ。

 昼休みになると、七里が僕の机へやって来た。後ろに彼女の友人達もついてきている。潟桐との問題を解決するために東風谷先輩が動いてくれていた。でも、生徒達の間に流れる噂話が僕の想定よりも落ち着いたものだったのは、七里が当事者として情報の発信をしてくれたおかげでもあるだろう。

「七里……」

 何を話せばいいか、無数の選択肢が浮かぶ。正直、迷っていた。

 クラスメイト達の視線を浴びながら、七里の友人は少しだけ気まずそうに笑っていた。僕が暴力的な手段をとってしまったせいで彼女達にも色々と迷惑をかけたことだろう。三人に囲まれて、やや座りが悪かった。まずは謝らないとな。

「待った、波久礼ちゃん!」

 頭を下げようとした僕に、七里が手のひらを向けて止めた。

「この前はありがと! 本当に助かったし! センキュー!」

 教室中に響く声とともに、七里が直角にお辞儀をする。

 ぺちん、とポニーテールが僕の頭を叩いた。

「あいて」

「んぎゃあ、ごめん。うぅ、この七里、こうなってはポニテを切る所存ですし……」

「や、そこまでの惨事じゃないから! 心配しないで」

「……ぷっ、くふっ。おもろいアホが増えたやん」

 後ろから眺めていた七里の友達が噴き出すのを必死にこらえていた。

 釣られて僕が笑うと、七里も少しだけ表情を緩めてくれた。七里の友人のひとりが魔女みたいに怪しげな声で笑えば、七里がむっと頬を膨らませる。もうひとりの友人も耐え切れずに笑い出したら、場の雰囲気が一気に弛緩してしまう。彼女達を眺めていると、僕の元カノ達の姿と重なる。眩しい友人関係がそこにはあった。

 背の高い方の子が、僕に話しかけてきた。

「波久礼がいない間、大変だったんだぜ」

「……やっぱり、迷惑かけちゃった?」

「いんや。大変だったのは七里だよ。この子、私のせいだーってずっと泣いてたんだ」

「ちょ! 変なこと言わないでほしいし!」

「そうだっけ? 七里はずーっと泣き虫だろ?」

 けらけらと笑う友人と、からかわれて顔を真っ赤にする七里は眺めているだけで微笑ましかった。彼女達の笑い声に釣られたのか、クラスメイト達も緊張を解いたようだ。教室に響く話し声も一段と賑やかになった気がする。

 僕がへにゃっと笑えば、七里はぷくっと頬を膨らませた。

「とにかく! あたしは謝りたかっただけですし」

「どうして? 七里は何も悪いことしてないじゃん」

「だとしても。あたしの軽率な行動が波久礼ちゃんのキックの一因になったのは事実でしょ。あなたが許してくれなくても、とにかく謝りたかったの」

 自身の耳たぶに触れた七里は、微かに下唇を噛む。

 薄く白味を増した唇には後悔が滲んでいた。

「潟桐先生も、学校来なくなっちゃうし……」

「いいじゃん。あんなやつ来なくても」

「そうはいきませんし。アレでも……って今の失言は秘密ね。あの人も野球部の顧問ですし」

「でも、試合は行けそうなんでしょ? 先輩に聞いたよ」

 顧問を変えて、活動を継続していくって話だった。

 そこのやり取りは大人達がすべき話で、僕達生徒が頭を悩ませる問題じゃないのだ。

「サッカー部の岡崎が代理をやるって話だったよね?」

「それは……。まぁ、本当に引き受けてくれたらの話ですし」

 どうやら、正式に決まったわけじゃないらしい。ひょっとしたら、ピンチヒッターの先生を打診して回っている最中かもしれない。せめて市大会には出られたらな。青春を野球に費やした誰かの努力が報われればいいなと思った。

「まぁ、うちの部は弱いからね……。誰も顧問やってくれないかも」

「弱くても関係ないよ。顧問に必要な資格とか、何かあるの?」

「んー。とくにはないはずだよ。な、七里?」

「それに潟桐先生って、元々、練習には参加してなかったらしいじゃん」

「んー……。まぁ、それはそうですけど、体裁とかもあるし」

「なんとかなるって。僕も先生方に色々と聞いてみるよ」

「……ありがとう、波久礼ちゃん」

 七里がようやく、いつも通りの笑みを浮かべた。

 潟桐の処分について、生徒達の間では様々な憶測が流れているようだ。彼が依願退職を希望していることを知っている生徒は、東風谷先輩が言っていたようにごく少数なのだろう。ただし、多くの生徒に嫌われている潟桐にとっては数日の欠勤でも大きい。ネガティブな話題に事欠かないからこそ、思い思いの妄想を垂れ流しているようだ。

「クビになるかもよ、潟桐のやつ」

「その前に逮捕じゃね? 生徒をいじめてましたってことで」

「いいじゃん。あんなやつ、先生やってほしくないもんね」

 楽しげに笑う友人達のそばで、七里は釈然としない顔をしていた。

 七里はどこまでもいい子ちゃんのようだ。潟桐は、少なくともこの学校にはいられないだろう。身から出た錆だと笑い飛ばせばいいのに、悪者にも手を差し伸べようとする。彼女が悩みを抱え込んでしまわないように、僕は不安の受け皿になる道を選んだ。

「大丈夫かい、七里」

「うん……。これで良かったのかな」

「……どうして、そう思うんだい」

「あの先生が嫌な人だとは思いますし、相応の処分を受けて欲しいとも思ってましたし。でも今回の件は私も悪かったですし……。なんだか、胸がもやもやするし」

 俯いた七里は、まだ悩んでいるようだ。

 イヤリングに関する校則を、イヤな校則だったねと笑うのは簡単だ。あんな校則なくなればいいのにと愚痴をこぼすとか、潟桐が見逃してくれればよかったのにと責任転嫁するのもいいだろう。だけど彼女は楽な道へ逃げようとしない。不器用な子だ。

「あの後、先輩とかに聞いて調べましたし。ピアスをつけようとした生徒が問題を起こした年があって、それから校則が生まれたらしいの。……私が迂闊だっただけですし」

 規則の抜け道を探すこともなく。

 言い訳を求めて逃げるでもなく。

 自分に否があったと認めて淡々と反省する七里の心持ちは美しかった。間違いを認めて行動を改めるのは簡単なようで難しい。生徒指導の潟桐が凡例として相応しいだろう。彼は大人になっても他人を尊重する術を学べなかった。規則を盾に、自分よりも弱い立場の生徒を小突くのが習慣化してしまったのだろう。今回の処分も当然の報いだ。

 僕だってそうだ。暴力以外の解決策を学べなかったから、謹慎の処分を受けた。東風谷先輩がいて、他にも僕を慕ってくれた人がいたから戻ってこれただけの話である。今度こそお終いだよと運命の女神様が僕の喉元に刃物を突き立てているのを、元カノ達が必死で食い止めているに過ぎない。

「私がもっとちゃんとしていれば、波久礼ちゃんだって」

「……それは違うよ。僕が勝手に暴れただけさ」

「でも」

 言い掛けた七里の唇に指をあてる。びくりと彼女の肩が跳ねた。

 これ以上、彼女が自身を傷つけるのを見ていられない。

 目を真ん丸にして言葉を飲み込んだ七里に、僕は淡々と話した。

「潟桐は自業自得に、僕は因果応報に処罰を受けた。七里が反省すべき点は、校則を知らずのうちに破ってしまったこと、その一点のみだ。傲慢無礼な態度も、無分別な正義感も、キミとは無関係なんだ。過ぎた反省は卑屈に変わり、助けてくれた人を傷つけることもあるんだよ」

 自戒を込めて言い切った。

 青臭い熱に浮かされているな、と微かに頬が火照る。気付けば教室内で弁当を広げていないのは僕と七里達の四人だけになっていた。咳払いをして、僕をのんきに眺めていたクラスの男子に横を向いてもらう。注目を浴びるの、あんまり得意じゃないんだよ。

 北村、南蛇井、ひばり、東風谷先輩。

 親指から順番に指折り数えて、残った小指を七里に向けた。細くて頼りない指だが、震えることもなく七里の視線を吸い寄せていた。

「親友たちと約束したんだ。もう暴力は振るわないって。七里も僕と約束してくれる?」

「あたしは、なにを約束すればいいんですか?」

「反省は前向きにする。以上」

「……ふふっ。くふふっ」

 きょとんとした顔の七里は、勢いよく首を縦に振った。

 ありがとうと僕が返す前に、七里の小指が僕の小指に絡む。

「ゆーびきーりげーんまーん」

 小学生のように歌い始めた七里に合わせて、僕も手を揺らす。

 驚くほど音痴な七里に、近くにいたクラスメイトも目も見開いていた。音楽は選択授業だから、この場にいる生徒の三割は彼女が音痴であることを知らなかったのだろう。僕もそうだ。

「ゆーびきーーった!」

 にこやかに歌いきったのはいいとして、まぁ、うん。

 彼女の歌への感想は差し控えておこう。

「波久礼ぇ、どうだ。七里の歌は気に入ったか?」

「え? あー、えっと……」

「心配するな。私達はこいつの歌が大好きだから」

「でしょ? いやぁ、我ながらめちゃくちゃ歌が上手いですし!」

 ご機嫌に指切りを済ませた七里は、友人達とハイタッチをする余裕も取り戻していた。

 よく分かんないけど、彼女達が仲良しだということだけは理解できた。僕を取り巻く人達はみんな眩しいくらいに善良だ。その善性は誰もが生まれながらに持つものではなくて、それぞれの境遇を乗り越えて育んできたものである。僕が困ったら助けてくれる少女達のように、僕も困っている誰かを助けられたらいいなと思った。

 昼休みは半分終わってしまったが、まだお弁当を食べていない七里達は自分の席へと戻っていく。僕も南蛇井達のクラスに向かおうと準備を始めた。と、七里がひとりで戻ってきた。耳を貸してとジェスチャーで頼まれて、彼女に顔を近づける。

「あとで、南蛇井さんと北村さんにもお礼を言わせてね」

「……うん。話をつけとくよ」

 ありがとうと呟いた彼女を見送って、僕は席を立った。

 いい子だなぁ、と心底から彼女のことを眩しく思うのだった。

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