僕と反省会。 -2

 僕が生徒指導と揉めた件について進展があったようだ。

 最初に書かれていたのは僕が潟桐を蹴り飛ばした日の詳細な時系列だ。クラスメイトの七里が生徒指導室へ向かった時間を起点に、気絶した潟桐が目覚めるまでの時間が詳細に書かれている。どうやら七里は僕が想像していたよりもずっと長く、潟桐に拘束されていたらしい。僕が南蛇井達と駄弁っていた間も、彼女は潟桐から理不尽な因縁を付けられていたようだ。

 ページをめくると、主だった関係者の処分がまとまっている。

 僕は二週間の自宅謹慎処分だ。ドロップキックを食らわしただけだが、意外と重い。反省文や諸々の書類の提出も義務付けられている。この処分をもって、僕は札付きの不良となってしまったわけだ。ことの発端を辿れば悪質な指導が原因だけど今回の事件は暴力的行為に及んだ生徒ぼくを処分するしかなかったのだろう。

 喧嘩はやり返した方が罪も重くなるシステムなんだよねぇ。

 僕はそれを理不尽だと思うんだけど、社会はどうにも堅苦しい。

「潟桐が停職処分になってもいい案件だと思うんだけどな……」

「や、停職じゃダメだ。免職してほしい。あたしのために!」

「まずは戒告とか減給が先だよ。ふたりとも適当に言ってない?」

 調べ物をしていた東風谷先輩が僕達の放言を修正した。

 ここだけの話、と先輩が何かを言い掛けたところでひょいとひばりが手を挙げた。彼女が質問を向けた相手は南蛇井だ。片方の手で僕の手を握りながら、もう片方の手で南蛇井の肩を突いている。

「ねえねえ、パイセンも処分受けてたの? マナちゃんよりも処分が軽いのはなんで? 先生に賄賂でも包んだの?」

「潟桐を倒したのは波久礼だし、あたしと北村は横で見てただけなんだよ」

「ふーん。手助けとかしなかったんだ」

「だって必要なかったもん。練習もしてないのに飛び蹴りをぶっ放すとかさあ」

「ちょっと、南蛇井。あんまり自慢げに言っちゃダメだよ」

 なぜか得意げに胸を張った南蛇井を肘で小突く。僕がやったのは暴力的な解決法で、何も褒められたものじゃない。涙で頬を濡らすクラスメイトの心を救うには、もっと他の方法だってあったはずなのだから。

「いいじゃん。あたしはアレでスッキリしたよ」

「……そうですか」

 南蛇井も僕と同じく自宅謹慎の処分を受けている。期間は半分の一週間で、すでに学校へと復帰していた。彼女は潟桐に直接的な暴力を振るったわけじゃないし、謹慎はどう考えたって過剰な処分だろう。僕と一緒に現場にいたことや、これまでの反抗的な態度などを鑑みて自省する時間が必要だと思われたのかもしれない。

 北村や七里に処分がないのは、情状酌量という奴かな?

 驚いたことに潟桐も療養で学校を休んでいるそうだ。

 学校に戻ってから、南蛇井は一度も潟桐と顔を合わせていないらしい。

「な? ふざけた話だよ。あたしらに散々迷惑かけておいてよ」

「あ、それね。表向きは療養だけど……」

「違うのか?」

「……他の先生の話だと、謹慎処分の代わりなんだって」

 東風谷先輩と北村が、僕達が休んでいる間に潟桐が荒れていた理由を説明してくれる。

 生徒指導部の問題について、先輩達が作ってくれた資料は適度な効力を発揮した。

 潟桐は口頭注意を含む矯正措置を受けたらしい。プライドの高い潟桐は相応の屈辱を感じたのだろう。野球部の生徒達にやつあたりをしたタイミングで他の先生が強く諌めたそうだ。

 生徒対生徒指導の構図が、潟桐対他の全員になってしまった瞬間である。

「しかも潟桐先生、学校にお酒まで持ち込んでたんだって」

「え? マジな話? 流石にそれはジョークだろ」

「僕、心当たりあるかも」

「……それ、社会人としてどうなのよ」

 潟桐と相対した時に度々アルコール臭を感じていたのは、本当に酒を飲んでいたから、で答え合わせになるようだ。ん? 出勤する時は徒歩だったんだろうか、あの人。……まぁ、問題行動が詳らかになるほどに、彼が後生大事に抱えていた権威も失墜していくだろう。

 思うがまま生徒をいびっていた潟桐が、逆にあらゆる行為に対して生徒からの監視を受けているような状況になって僅か三日。彼は学校から姿を消し、休み続けているそうだ。

「まさか、やさぐれて休んでんの……?」

「くっくっくっ。波久礼に負けたの、かなり堪えたんじゃないか? 他の生徒にも舐められたわけだし、もう一発くらい蹴り飛ばしておけば? 二度と傲慢な態度は取れねぇだろ」

「……暴力はダメだよ。……先輩も、色々と頑張っていたのに」

「そうだとも。真仲が拳を握らなくても、世を正す方法はあるんだよ」

「……うん。肝に銘じるよ」

 先輩と北村が言う通り、暴力を使わない方が正しいに決まっている。異論や反論を差し挟む余地もない事実だ。暴力でしか解決できない事柄なんてこの世には存在しない。もし暴力以外の手段がないと感じるならば、それは単純に僕の手に余る問題だという話だ。

 誰しも腹の底には怪物が眠っている。僕の場合は理不尽を許せず、我儘な正義を追求する怪物だ。世間一般ふつうの人なら飼いならせるそいつを解き放してしまったのは、僕の力が及ばなかっただけである。

 よほど暗い顔をしていたのだろう、南蛇井に肩を叩かれた。

「あのな。ダメになる前にあたし達を頼ってくれよ」

「そうだぞ。真仲の単純一途な性格も、時として私達を傷つけるんだから」

「……そうだね」

「それでもダメなら、ひーちゃんを頼ることですね!」

 項垂れたままの僕を励ますように、ひばりが膝の上に乗って来た。ずるいと呟いた先輩が身体を寄せてきて、なんだか数分前の事象を再現しているようだった。

 南蛇井はちらりと北村の表情を確認すると、肩を震わせてその場に留まった。

「……まだ説明の途中だよ。……続き、読んで」

 北村の細い指がすっと資料の縁をなぞる。彼女は机に置いてある資料をめくると僕に向かってとあるページを差し出した。彼女の細い指先が示す文章を読み進める。そこには一通のメールが転載されていた。学校を休み続けている潟桐が誰かへ宛てたメールらしい。

「依願退職するの? 潟桐が?」

「えっ! あたし、聞いてないんだけど」

「みーちゃんに教えたら騒ぐだろ? それに、これはごく少数の人間しか知らないんだ」

「むう、それはそうだけど……」

「……まだ届け出の段階だよ。……処分が決まるまでは保留じゃないかな」

 北村に促されるまま資料を捲っていくと、潟桐を中心とした生徒指導部の問題行為についてまとめたページに辿り着いた。生徒からの報告が多数だが、生徒から相談を受けた同僚の教師からの報告も含まれている。どうやら恫喝紛いの指導を受けた生徒は七里の他にも大勢いたらしい。報告がすべて事実とは限らないし、なかには私怨と思しきものも含まれているが、教育的指導の枠を超えた行為も多かった。

「これは……。ひどいな」

「気分を悪くしたなら謝るよ。読むのを止めてもらっていいし」

「いや。これは、大切な資料だよ」

 繰り返し反省文を書かせる行為で精神が疲弊した生徒からの陳情。野球部員による体罰の告発や、それを目撃した他の運動部員からの報告。一貫しない指導を受けて憤慨している生徒達からはいくつもの苦情が出ていた。

 証拠としての根拠は薄いものが多い。ひとつひとつの指導を並べても、嫌味な先生ですねの一言で片付けられてしまう可能性が高いものばかりだ。

 しかし、繰り返し反省文指導を受けた生徒は手元に原稿を残していた。野球部で体罰を受けた生徒には、怪我の原因を偽って病院へ行った記録が残っていた。それらを資料とすることで潟桐に一矢報いる計画のようだ。結果として潟桐は自業自得の責任を負うことになったわけだし、これで手打ちとすべきだろう。

 それでも、南蛇井は不満そうだ。

「懲戒処分じゃないなら退職金は出るんだろ? すげー不快だけど」

「みーちゃん。それは最終手段だって。元々、あの先生には問題があったんだ。事を穏便に済ますためにも、問題行為があるから是正してくれと陳情する方がいいんだ」

 警察官でも裁判官でもない僕達に、特別な権限などない。互いに相手を尊重し、意見をすり合わせていく他には問題解決の手段など持っていないのだ。ただし事ここに至っては、潟桐の態度が改善する程度では済まないだろう。

 真剣に潟桐を恨んでいる生徒がいたら? 僕が拳と脚でやった暴力を、凶刃によって達成しようとする生徒がいたら? 生徒が未来を失うほどの、最悪の事態を招きかねない。大事件が起こる前に事態が終息したのは僥倖だ。

 普通の生活に戻れるのに、それ以上を望んじゃバチが当たるってモンさ。

 東風谷先輩は、不満げな顔で資料をなぞっているけれど。

「もっと早く片が付けばよかったのにねぇ」

「頑張った方だろ。波久礼の謹慎が決まった後、校長へ直談判しに行ったしな」

「えっ。先輩、そんなことまでしてたの」

「当然だよな? 意外とスムーズに話は進んだぜ。波久礼が暴れたおかげだ」

「市の教育員会にも資料を郵送したけど、再調査かな。高校生が作ったものだし」

 穏やかな顔で物騒な話をする元カノ達に囲まれて、平々凡々な日常への足掛かりを得る。

 僕のような問題児を、どうして助けてくれるんだろう。

 潟桐が憎かっただけかもしれない。僕を救世の乙女として祭り上げて、楽しんでいる子もいるのかもしれない。理由は何も知らないけれど、学校のみんなが僕を助けてくれたことだけは確かだ。

 クラスメイトの七里や、資料作成のために助力してくれた子には迷惑をかけてしまった。

 学校に戻ったら手を差し伸べてくれた人達に礼を言いたい。

 まずは、僕の元カノ達に。

「みんな、ありがとね」

「どーいたしまして。マナちゃんのためなら何でもするよー」

「あっ。おめーは何もしてねーだろうが!」

 満面の笑みでひばりが笑う。

 唇を尖らせて南蛇井が文句を言う。

 そのやりとりに東風谷先輩が笑い、僕達を静かに眺めている北村がいる。

 これほど優しい少女達に囲まれて、僕はどこまでもダメなやつだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る