冷静と臆病。-1

 元カノ達が優しくて、現実の厳しさを忘れそうになる。

 思い出したくもなかったけど、連休が明けて現実を目の前に突きつけられる。

 生徒指導の先生と揉めるのはやめよう。

 反省文の提出が恒例の行事になってしまうからね。

 木曜日の朝、ホームルームが始まる三十分前が締め切りだ。まだクラスメイトが半分も登校していないのに、僕は欠伸を噛み殺しながら廊下を歩いている。面倒だけど、反省文を提出しなければ更に面倒な説教が待ち構えているだけに逃げようがなかった。

 そうだ、忘れる前に豆知識を披露しておこう。

 反省文は提出を限界まで渋った方がいい。

 宿題なら期限より早く済ませてもいいけれど、生徒指導へと提出するものに限ってはなるべく出すタイミングを見計らっておくべきだろう。理由は簡単だ。書いた内容に添削が入って、翌日までに書き直せと命じられるから。指定箇所を訂正して即日提出したとしても、また新しく添削が入る。修正して、赤字の添削が入って、それを先生の気が済むまで繰り返すはめになる。

 だから、生徒指導への反省文は期限ギリギリに出した方が、結果的に訂正する回数が少なくて済むという寸法だ。まぁ、このテクニックは生徒指導の先生と絶賛喧嘩中の僕や南蛇井にしか使えないものかもしれない。

 閑話休題。ねっちこい批判を繰り返したいわけじゃないのだ。

 南蛇井の姿を探して、別のクラスへと顔を出した。

「おはよー」

 挨拶に反応して顔を上げた名前も知らない同級生達は、自分が挨拶を受けたわけじゃないと判断してすぐに興味を失う。北村だけは僕に小さく手を挙げてくれた。相変わらず顔色が悪いけど、身なりは清潔で髪も整っている。手には新しい文庫本を持っていた。

「あれ、まだ南蛇井は登校していないのか」

 やや期待外れで、肩透かしを食らった気分だ。

 僕一人で生徒指導室へ行くと、もしも嫌味な潟桐先生と鉢合わせた時にブレーキをかけてくれる人がいない。南蛇井も、売り言葉に買い言葉で話を進めてしまうだろう。僕達は友人のために怒り、友人のために矛を収める。ひょっとすると、僕達は天邪鬼なのかもしれない。

 南蛇井達のクラスへと踏み込む。ホワイトボードに書かれた日直は知らない名前だし、生徒数が違うのか最前列の席が二か所欠けていた。運動部っぽい誰かの通学鞄が通路に落ちて道を塞いでいて、僕はちょっと回り道をして北村の元へ向かう。

 読書に励む彼女の隣へとしゃがみ込んだ。

「おはよ、北村」

「……おはよう。また、反省文?」

「それもあるけど、今は北村とお喋りがしたいな」

「……そう」

 僕の冗談めいた言葉に反応して、北村が僅かに肩を竦めた。

 口数が少なくて寡黙な彼女と、話し下手な僕のお喋りが続くはずもない。北村の手にしていた文庫本について、二言ほど言葉を交わしたところで話す内容がなくなってしまった。日々を平々凡々に過ごしている僕には、話のタネになるような出来事もないしなぁ。

 うーん、困ってしまった。

 北村と仲良くしたいのは、嘘偽りのない本音なんだけど。

「……」

 何を語るでもなく、北村の横顔を眺める。

 彼女は今日も無表情だった。

 近寄りがたい雰囲気を持つせいか、学校と病院を往復する生活を長く続けてきたせいか、彼女は僕よりも友達が少ない。話しかければ丁寧に受け答えをしてくれるのに、それを知るのはごく僅かな知人だけだ。

 元カノとはいえ、僕は彼女のことをあまり知らない。

 それでも他の誰かよりは北村のことを知っているはずだと思っていた。

「……南蛇井君、今日は遅いですね」

「ん。遅刻の可能性もあり得るな」

 根が素直なだけに、通学路で泣いている小学生とかを助けて遅刻するタイプだった。僕も南蛇井と一緒に、泣きじゃくる幼稚園児を交番まで送り届けたことがあるから分かる。

「今日は猫でも助けてんじゃない?」

「……そうですね」

 頷くと、北村は文庫本へと顔を戻す。珍しく北村から話しかけてくれたのに、話を膨らませるのが下手だった。何か言いたいことがあるのだろうかと続く言葉を待ってみたものの、彼女は文庫本に視線を落として動かない。

 文字を追う北村の瞳を、じっと眺めていた。表情は変わらないのに、どこか居心地が悪そうだったので視線を逸らす。ふと思いついた言葉を、そのまま口にした。

「南蛇井来ないし、北村がついてきてよ」

「……どこへ?」

「生徒指導室。ひとりじゃ不安なんだ」

 言い終わってから、僕はちょっと恥ずかしくなる。まるでお姉ちゃんに甘える妹にでもなった気分で、それが同級生の、それも元カノを相手にしたときの態度としてふさわしかっただろうかと考えたら顔から火が出そうだった。

 北村の表情は変わらない。

 いつもみたいに無表情で、冷たくて。

 けれどその瞳の奥に、何かが揺れたような気がした。

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