僕と喫茶店。-3

 東風谷先輩と北村は、時間の使い方が上手だった。

 アルバイトを終えた僕を捕まえて、予定のない連休を有意義に消費している。

 雑談って有意義なのか? 明日になれば忘れるような、取り留めのない話ばかり喋っていた。いつにも増して居心地の良い店内で、美味しい飲み物を嗜みつつの女子会である。南蛇井や西条と一緒に部屋でダラダラしていた時とは違った雰囲気があって、こちらも心底からリラックスできた。

 ローファーを半分だけ脱いで、自由になった足の指をぐっぱっとほぐす。ついでに足首もぐりぐりと回して、ふくらはぎの筋肉も休ませた。半日とはいえ、立ちっぱなし、歩きっぱなしの仕事は疲れるものだ。

「ふぃー……」

「お疲れ、真仲。労働できて偉いね」

「それ、生きてて偉いと同義ですから」

 働かなくちゃ生きていけない。莫大な遺産も太いコネクションもない僕みたいな一般人は、生まれながらにして労働の義務を負っている。それを不満に思うか、当然と割り切って働くかは個々の信念によるだろう。

 ぐでっと机に上体を預けて休憩していた僕の手を先輩が握る。

 くにくにと、猫の肉球を撫でるように僕の手のひらをマッサージしてくれた。ぐへへと露悪的な声を漏らしているのはキモいの一言だけど、マッサージそのものは心地よかった。東風谷先輩流の気遣い、と思うことにしよう。

 北村は終始無表情で無反応だったけれど、彼女なりに思うところもあったのだろう。机に伏した僕の肩に触れて、ぐっとツボを押してくれた。非力すぎてくすぐったいけど、それはそれで楽しかった。

 一息ついて、先輩がマグカップに手をつける。苦くて甘いカフェオレに、彼女は満足そうな笑みを浮かべた。そこには微かな寂寞が滲んでいる。

「連休にみんなが集まらないの、久しぶりだねぇ」

「いつもは遊んでましたからね。例年の行事になってましたけど」

「私は生徒会で忙しいし、小恋ちゃんは体調悪かったもんね」

「……今は元気ですよ」

「ふふっ、良かったね」

 紅茶で唇を湿らせる北村は、僅かに首肯を返す。

 今日は体調がいいのか、彼女は更に言葉を続けた。

「……他のふたりは?」

「ひばりは友達と勉強会。南蛇井はバイト始めたんだって」

「……そうなんだ? ……どこのバイトなの」

「食品工場らしいよ。短期だけど土日はしばらく忙しいみたい」

 この連休に遊べないと分かっていたから、この前は無理にでもお見舞いに来てくれたのだろう。顔を合わせる機会が減ると、ぐっと寂しくなるもんね。

「みんな、大変だねぇ」

「そうやって大人になってくんですよ」

「おっ。真仲が私にオトナの世界を説くのかね」

「僕にだって、俯くような気分の日もあるんですケド」

 わしわしと撫でてくれる先輩に甘えながらぼやいた。

 僕達は少しずつ、大人の世界に馴染んでいく。友達が風邪をひいても、「大丈夫?」の一言も伝えないような大人になっていくのかもしれない。メッセージアプリで、スタンプを返して終わりになるような関係だ。それは嫌だなぁ、とそれほど遠くない未来に表情を曇らせた。

「ま、でも夏休みは遊べるよね」

「そうだといいですけどねー……」

「心配するなよ、真仲っちー。ウチらの仲じゃんかー」

「誰の真似ですか?」

 急にギャルぶらないでよ。

「てか先輩、生徒会の仕事は忙しくないんですか?」

「そこそこ忙しいよー。前期の仕上げと片付けがあるね。でも策は打ってあるんだ。後期も会長をやるつもりだし、少しくらいならサボってもバレないと思う」

 とか言いつつ、東風谷先輩は真面目に仕事をこなしているのだろう。

「悪い人だなぁ」

 生徒会なんて先生の言いなりだ、とか言っていた同級生がいる。そうじゃないことを知っているから、僕は東風谷先輩を尊敬していた。文化祭で生徒の要望を叶えるために予算案を通した手腕や、体育祭で新競技を行うために東奔西走した姿なんかも尊敬に値する。たとえ、たまに飛び出すおっさん風の下ネタがキモかったとしても、彼女は僕の先輩なのである。

 そろそろ、父さん達も店仕舞いを終えるだろう。

「あっ、やばっ」

 ふたりを帰そうかと腰を上げかけたところで東風谷先輩が声を漏らした。

「どうしたんですか」

「忘れてたことがあってね。コレだよ」

 ひょいと取り上げたスマホを僕に向ける。じゃら、と掴めるほど沢山のアクセサリーが音を鳴らす。三連レンズの奥から、先輩の瞳が僕を覗きこんでいる。

「写真撮っていい?」

「念のため聞きますけど、何の写真ですか?」

「真仲の写真だよ。せっかく可愛い制服を、誰にも自慢しないのはバチがあたるじゃん?」

「だめです、……とか言いませんよ。先輩も物好きですねぇ」

「そうでもないよ。真仲は世界一カワイイからね」

 胡散臭い占い師でもここまで適当なことは言わないだろう。

 だが、先輩は自分の欲望を満たすために共犯者が欲しかったようだ。口元を隠しながら欠伸を漏らした北村に頬を寄せて、よからぬ顔で笑っている。北村も疲れているだろうに、僕らが駄弁っているのに合わせてくれているようだ。

「小恋ちゃんも撮らせてもらったら?」

「……私もですか?」

「うん。ご利益もあるよぉ? マナちゃんを待ち受けにすると、運気が上がるんだ。特に健康運が上昇して、私なんかは風邪をひかなくなったほどだよ」

「……それ、本当なんですか?」

「んなわけないでしょ。先輩もスピリチュアルな嘘を吐かないでください」

 先輩の肩をべちべちと叩きながら、北村の誤解を訂正した。

 僕は、写真を撮られるのが苦手なんだ。

 だって、恥ずかしいじゃない?

 店に来る常連さんが先輩と同じセリフを口にしたら、僕は間違いなくお断りする。

 顔馴染みのお客さんに可愛がってもらえるのは嬉しいけれど、僕の写真がどんな用途で使われるか分からないからね。田舎町の美少女店員! とか変なアオリを付けてネットに投稿されちゃかなわないし、そうして世に流れ出た僕の写真に対して妙な悪評がついているのを見つけたら意気消沈してしまうだろう。僕は、それほど単純な子供なのだ。

 でも、元カノだけは特別だ。

 僕の写真を撮ったところで、それを悪用することもないだろう。僕が彼女達の笑顔から日々の活力を貰っているように、彼女達に元気を与えられる存在になれるなら、それほど喜ばしいことはない。

 先輩や北村が僕の写真を欲しいと望むのなら、被写体になってもいい。

 そんなことを考えていたら、先輩が僕にスマホを向けてきた。

「はぁい、こっちに目線くださーい」

「東風谷先輩、マジでオジサンっぽいですよ」

 学校では王子様なのに、と何度か繰り返した話を蒸し返す。

 先輩に促されて、青年雑誌の表紙でグラビアがやっているようなポーズを披露した。肉付きが足りない僕がやっても様にならないだろうけど、先輩は喜んでシャッターを押す。薄手のカッターシャツなのに、身体がぽかぽかして汗が滲んだ。

 バシバシと連写した先輩が画像を確認する間に、僕もスマホを取り出す。

 充電が七割も残ったスマホを操作して、僕はカメラを起動した。

「次は先輩の番ですから」

「いいよ? 任せてくれたまえ」

 うっふーん、と昭和のギャグみたいなノリで撮影に協力してくれた。いいのか。ホントに女子高生がそれでいいのかと思いつつ、年齢を重ねるほどにキツくなっていくノリもあるんだろうなって直感した。北村も同じ感想のようだ。

「……ノリノリじゃん」

「こういうところが生徒会長の器なんだろうね」

 場の雰囲気をうまく読み取る能力が上に立つ人間には必須なのだ、などと適当にふかしてみる。本当にそうか? と北村が冷ややかな表情をした。いや、そうだろうと思っただけだ。北村は眉ひとつ動かしていないし、表情は入店時となんら変わっていない。なんとなく、僕が感じただけである。

「先輩、悪ノリはそこまでです」

「むぅ。なんだか真仲まで私に厳しくなってきたな……」

「甘やかしている方ですよ。ほら、これ以上は明日の営業に差し支えるんで」

 嘘だけど、適当なことを言ってふたりに席を立ってもらった。

 ウチの喫茶店は夜の営業がない。夕暮れの頃に店を閉めるのが通例だ。

 施錠を両親に任せて、僕達は店の外へ出る。穏やかに暮れていく街並みを眺めながら、僕達はのんびりと帰り道を歩いた。目的地は北村の家だ。東風谷先輩は一人で放って帰ってもいいけれど、北村を放置して帰るわけにはいかない。倒れたらと思うと心配で居ても立っても居られないからね。

 まだ喋り足りてないのか、東風谷先輩は僕達に絡んでくる。

「そういえば、ふたりとも勉強はどう? ついていけそう?」

「なんとか。僕は調子いい方ですよ。北村は?」

「……私も、今のところ大丈夫」

「そっか。赤点を取る前に、私へ助けを求めるように!」

 喋りながら歩く。北村に合わせて、ペースはとてもゆっくりだった。

 北村の家に着いたところで、東風谷先輩がばっと腕を広げた。

「真仲、おいで」

「まだやるんですかぁ?」

「当然だ。甘やかし足りてないからね」

「んー……。恥ずかしいんですけど」

 口先だけで文句を垂れて、僕は東風谷先輩の胸に飛び込んだ。ここ数日、先輩はハグの悪魔に憑りつかれているようだ。親しい相手の体温を胸に感じることは、ある種の癒し効果を生むことは僕も知っている。相手が東風谷先輩ってこともあって、拒否する理由も僕の羞恥心以外には存在しないので今日も今日とてハグの刑に処されてあげた。

 ひばりを妹のように甘やかすことはあっても、僕を甘やかしてくれる人は少ない。僕は愛情への耐性が低く、免疫もない。先輩の癖が強い愛ですら、ぐにぐにと顔が歪むほど喜んでしまうのだ。

 玄関で見ていた北村が、珍しく反応を示した。

 すっと伸ばした手が、僕の髪に触れる距離で止まる。

「……私も撫でてあげようか」

「ヤだよ。恥ずかしいもん」

 誘いをすげなく断った僕に、北村が微かに頬を膨らませたような気がする。

 大海に墨を垂らしたほどの些細な違いは、きっと僕にしか分からないだろう。

 三手に分かれた僕達は、明日また学校で顔を合わせる。平々凡々で平和な毎日が当然だと思える日々が、まだ続きますようにと会ったこともない神様に祈ってみるのだった。

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