火種燻る -1
友達と知り合いの境目。
そんなもの、どこにあるんだろうね。
玉虫色に輝く他人の答えに救いを求めても僕が望むものはない。仲良く楽しく過ごせる人? 困っている時に手を差し伸べてくれる人? そのラインは曖昧で、僕と他人の物理的な境界線ほどに明確じゃない。
人間関係はグラデーションの上に成り立っている。
その上でひとつ、確かなことがあった。
僕は友達が少ない。
中学時代の素行が漏れてしまったのか、生徒指導の先生とやり合う生徒だとクラスメイトに知られてしまったのか。虹色に表情と態度を変えるエイリアンは人間社会へ馴染むには目立ちすぎたようだ。僕へと好奇心を覗かせる視線が向くことはあっても、そこから交流が生まれることはない。
様々な要因が複雑に絡み合って、友達と呼べる相手は元カノ達だけだった。
誰に声を掛けられることもなく木曜日が終わる。
賑やかな教室で、今日も僕はひとりだった。
ぐっと背伸びをすると、肩甲骨のあたりがゴリゴリして気持ちいいよね。そんな日常会話のできる相手が今のクラスメイトにはいなくて、僕は喉を詰まらせる。帰り支度のために荷物を片付けていたら先生から渡された原稿用紙が目に入った。
生活指導に対しての反省文だ。先日、南蛇井と一緒に揉めたのが尾を引いている。あの日からずっと僕達は目の敵にされている。こいつの提出の期限も今日の放課後までだった。
「あー、マジで面倒だな……」
反省文による指導も今回で三回目だ。南蛇井は髪の色を、僕は風紀を乱す言動とやらを原因に何度も指導を受けている。顔を合わせるたびに小言を聞かされて、そろそろ耳にタコが出来そうだ。ぷにぷにしているのがその証拠、なんて遊んでいる場合じゃないんだよな。
当然、素直に反省するはずもない僕達は原稿用紙に丸ごと同じ文章を書いて提出していた。ふふ、そのせいで更に叱られたし、他の先生からも不良扱いを受けるはめになってしまったけど。
僕達が僕達であるために、譲れないものもあるのだから。
反省文を折りたたんで席を立つ。
とんとん、と腕を突かれた。
「ねぇ、波久礼さん」
「ん? はい、なんですか」
「波久礼さんって、どっちなの?」
声を掛けられ、顔を向けた相手はクラスメイトの女の子だった。僕から近い席に座る彼女は一緒に談笑していた友人達へと背を向けるようにして僕へと身体を乗り出していた。人見知りの激しい僕とは違い、彼女はあまり喋ったことのない相手にも遠慮なく声を掛けられるタイプらしい。
「ね、どっち? 教えてよ」
「急にどっち、と言われても」
「あ、そか。言葉足らずだね」
にへらと笑った彼女は、容姿も性格も平凡といって差し支えなく、どこまでも普通の女の子だ。彼女の後ろにいるクラスメイト達が、呆れたような態度とは裏腹に興味津々な瞳を僕へと向けているのが気になった。
この手の質問に続く言葉を警戒して、僕は身構える。
僕の一人称を理由として、男女のどちら側に立っているかを気にする人は多い。アニメや漫画の影響か、僕を指差して特定のジャンルでラベリングをする子も多かった。僕っ子とかね。
同じ言葉を向けられても、相手との関係性次第で受け取り方も変わる。
僕は普通に生きているだけなのに、なぜ息苦しい思いをしなくちゃいけないんだ。
クラスメイトの……。あぁ、相手の名前が出てこない。僕は本当に友達が少ない。
「あれ、どうしたの? 浮かない顔だけど」
「……いや、大丈夫。続けて」
クラスメイトに話を促すと、彼女は屈託なく笑った。
そして向けられた質問は、拍子抜けするほど僕の想像とは違っていた。
「波久礼さんが不良って噂を聞いたの。本当なの?」
「……まさか。僕は真面目なつもりだけど」
「でも、生徒指導の先生に睨まれているんでしょ? なにか悪いことしたの?」
「どうだろう。現代のジェレミ・ベンサムかもしれないよ」
「えー、誰なのそれ」
「あは、説明すると長くなるんだけどね」
曖昧に笑って言葉尻を濁す。
生徒指導と僕の間にあるものは説明のしにくい確執だ、特に親しい相手にしか話せない。
二言ほど、数秒後には思い出せなくなるような言葉を交わした。僕に話しかけてきた女の子は僕が不良らしいという噂の真偽を確かめたかっただけなのか、すぐに友達との会話に戻っていく。
「ほらね。やっぱり波久礼さんはいい子だったでしょ」
嬉々として友達に報告する彼女には、僕はどう見えているんだろう。
尋ねたいことはいくつかあるけど知らぬが仏だ。
再び振り返った彼女は、ぱたんと手を合わせて僕に謝意を示した。
「ごめんね、邪魔しちゃって」
「ははっ、いいよ」
どうせ話し相手もいないんだし。などと言い掛けたのをぐっと堪える。
三つ子の魂百までと言うけれど、蛇足を加えたがる性根も治りそうになかった。
「……まぁ、せっかくだし」
放課後、生徒指導に反省文を提出するついでに友人達のクラスを覗いていくことにした。
北村から借りていた小説も返却するつもりで教室棟の端へと足を運ぶ。
南蛇井と北村のどちらとも同じクラスになれなかったのは残念だ。これが学籍番号順なら諦めるのも早かっただろうに、なまじアトランダムな振り分けだったから妙な期待感と喪失だけが心に残っている。
知らない教室、知らない顔の同級生。
内装はどこも同じはずなのに、教室によって異なる印象を受けるのが不思議だった。所属している生徒によってこうも雰囲気が変わるのだろうか。汗や吐息に含まれる微細なフェロモンによって、過ごしやすいかどうかも違ってくるのかもしれない。ふふ、こんな考察が出来る僕は理系に違いないぜ。
「あれ……。ふたりともいない……」
教室の左前に席がある南蛇井を探したけれど姿がない。ひょっとすると、今日も部活体験に行っているのかもしれない。北村もいなかった。スマホのアプリでメッセージを送るとすぐに北村からの返信がくる。彼女は保健室へ寄っていたようだ。
「待っててね、と」
借りていた本を小脇に抱えたまま、特別棟の一階へと向かう。
道中で見知った顔を見掛けたけれど、特に反応を示すことなく歩いていく。
相手は、僕のすべてが気に入らないらしい。鋭い声が僕の鼓膜を叩いた。
「おい、お前」
無視して横を通り過ぎようとしたら肩を掴まれた。ほつれた袖口から覗く骨張った手には、春先でも日焼けの跡が残っている。南蛇井ともども、僕達とは因縁深い相手だ。
生徒指導の潟桐だった。
彼は僕の肩を掴んだ手に力を込め、強引に僕の足を止めた。引き倒すような、とにかく乱暴な手付きは生徒指導に相応しいとは思えない。せっかく胸に抱いていた高揚も冷めて消えた。代わりに湧き上がってくるのは腹の底に溜まっていた粘土の高い不快感だ。ぽこぽこと泡立つ感情を押さえながら、僕は先生の目を見据えた。
「やめてくださいよ」
「呼んだのにお前が逃げるからだろうが」
「僕はオマエって名前じゃないですよ」
「は? なんだお前」
潟桐が喋るたび、煙草の残り香に顔をしかめる。と同時に、放課後になってもアルコールの臭いがするのは妙だなと首を傾げた。芳香剤か何かを、僕が誤認しているのだろうか?
不意に掴み掛かってきた潟桐の手が僕の鎖骨の上を掠めた。
襟首を掴もうとして失敗したのだろう、だとしたら何? と悪意が腹の底で熱を持つ。
「随分と積極的ですね、手が短くて失敗したみたいですが」
僕の一言に肩桐が怒りを露わにした。
元々、隠す気もないだろうけど。
憎しみに満ちた視線を真正面から受け止め、僕は捨てセリフを吐いた。
「情けない人ですね、あなた」
瞬間、潟桐の顔が真っ赤に染まる。
僕はとても性格が悪い女なんだなぁと、自省の念で青くなるのでした。
嘘だけど。
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