第5話 文字に関する怪異、あるいは言霊

出典:【怖い話を語ろう】

媒体:掲示板

掲載年月日:2018年9月8日

※本人の特定につながるような固有名詞については訂正している。



 文章を書いていると、時々、妙な違和感を覚えることがある。

 それは、ある日突然始まった。


 私は地方の小さな出版社で校正の仕事をしている。日々、原稿の誤字脱字をチェックし、文章の流れを整える。地味だが、言葉に触れることが好きな私には向いている仕事だった。


 その日も、いつものように原稿をチェックしていた。

 その日は、季節のエッセイを校正しており、冒頭に「雪が降り始めた」と書かれていた。だが、そこに使われていた「雪」の文字が、どうしても違って見えた。


「膤」


 見たことのない漢字だった。形は「雪」に似ているが、どこか歪んでいる。フォントの崩れかと思ったが、他の文字は正常だ。

念のため、原稿データを開いて確認すると、そこにも「膤」と記されていた。


 何故か幽霊文字に起きかわっていたのだ。


 その夜から、異変が始まった。


 ---


 翌朝、出勤しようと玄関を開けると、外は一面の雪だった。天気予報では晴れのはずだった。

しかも、雪の降り方が異常だった。音もなく、空気が凍りつくような冷たさだった。


 職場に着くと、同僚の一人が事故に遭ったという話を聞いた。スリップ事故で車が横転し、病院に運ばれたという。

事故現場の写真を見せられた瞬間、私は息を呑んだ。


 標識に「膤崩なだれ注意」と書かれていたのだ。


 私は震えながら、昨日の原稿を再確認した。

すると、他の箇所にも「雪」が「膤」に置き換わっていた。

しかも、置き換わった文章は、雪を情緒的に捉えた文章から一転し禍を示唆するような文章に変わっていた。



 吹雪による遭難、雪崩による家屋の崩壊、凍死

 -まるで何かを示唆しているように感じた。



 私は恐怖に駆られ、原稿を削除しようとした。

 だが、ファイルは消えない。名前を変えても、フォルダを移しても、必ず元に戻る。


 その夜、夢を見た。


 ---


 夢の中で、私は雪原を歩いていた。足元は深く沈み、身動きが取れない。遠くに、誰かが立っている。顔は見えないが、手に紙を持っている。


 近づくと、その紙には「膤」とだけ書かれていた。


 目覚めると、部屋の窓が凍りついていた。暖房はつけていたはずなのに、室温は氷点下だった。しかも、机の上には、印刷した覚えのない原稿が置かれていた。


 そこには、こう書かれていた。


 > “膤は、雪に潜む禍の名。記された瞬間、現実に降りかかる。”


 私は理解した。この文字は、ただの幽霊文字ではない。記録された瞬間に、雪にまつわる災厄を呼び寄せる“呪い”なのだ。


 ---


 数日後、私はその紙を、コンロで燃やした。

恐怖をぬぐい去り、全てをなかったことにしたかった。

 だが、燃やしたはずの紙は、翌朝には机の上に戻っていた。


 しかも、今度は別の文字が変わっていた。「雨」が「霒」に、「風」が「颥」に。


 私は震えながら、パソコンを閉じた。だが、画面には一行の文字が浮かび上がっていた。


 > “膤は始まりに過ぎない。次は、あなたが記す番だ。”


 私は逃げるように部屋を飛び出した。だが、外はまた雪だった。膤の雪――音もなく、冷たく、禍を孕んだ白。


 記録は続く。文字が変わるたびに、世界も変わる。


 そして、誰かがそれを読む限り、禍は終わらない。


 雪は止まなかった。

 天気予報は晴れを告げていたが、私の住む町だけが異常な寒波に覆われていた。

 膤――あの文字が原稿に現れてから、すべてが狂い始めた。


 隣家の屋根が雪の重みで崩れ、住人が下敷きになった。

 通勤途中、橋の上でスリップ事故が起き、私の目の前で車が川に転落した。

 そして、職場の同僚が凍死体で発見された。彼は、私が校正した原稿の著者だった。


 私はすべてを削除した。原稿も、メモ帳も、印刷物も。

 だが、消えなかった。

 文字は、私の記憶に焼き付いていた。


 その夜、再び夢を見た。


 ---


 雪原。

 音のない世界。

 白い地面に、黒々と刻まれた「膤」の文字が無数に並んでいる。


 その中心に、男が立っていた。

 顔がない。目も鼻も口も、何もない。

 ただ、黒い穴のような空間が、顔のあったはずの場所にぽっかりと開いていた。


 男は、私に向かって手を伸ばした。

 指先が触れた瞬間、全身が凍りついた。

 呼吸ができない。声も出ない。

 雪が、私の口と鼻を塞いでいく。


 > 「記録者は、記録に喰われる。」


 男の声が、頭の中に響いた。

 私はもがいた。逃げようとした。

 だが、足は雪に沈み、動けない。


 男は、私の胸に手を突き刺した。

 痛みはなかった。ただ、冷たさだけが広がっていく。

 視界が白く染まり、意識が遠のいていった。


 ---


 目覚めたとき、私はベッドの上にいた。

 部屋は暖かく、雪も止んでいた。

 だが、胸には、凍傷の様な痕が残っていた。


 それ以来、私は毎晩、あの夢を見る。

 顔のない男が、雪原で私を待っている。

 逃げても、隠れても、必ず見つかる。


 昼間は普通に過ごしている。

 仕事もしている。人とも話す。

 だが、夜になると、私は“膤”の世界に引き戻される。


 そして、今夜もまた――

 夢の中で、男が私に手を伸ばしてくる。



[構成要素]言霊、顔のない男、夢


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