第5話


 十月。三寒四温という諺を思い出す、寒波が去った後の暖かな日。私と彩は湯ノ石公園にいた。遊具はまだ塗料の塗り替えはされておらず、少しくすんだ色のまま、飛び跳ねるように走り回る子どもたちを抱え込んでいた。




 ペンキ塗れになったあの日。生徒たちに見られるのが恥ずかしくなった私たちは日が暮れるまで倉庫の中で隠れていた。


 倉庫にあったモップでペンキを片付けられないか悪戦苦闘としていたところ、鍵が返されていないことに気づいた島田先生が見回りにきた。


「テンションが上がってペンキを撒き散らしてしまいました」


 ペンキ塗れになった私たちを見て少し吹き出し、倉庫の惨状を見て怒りのボルテージを上げ、私たちの瞳を見て少し声のトーンを落とした。


 もはや一生徒でできる範疇を超えていたので、後日業者に清掃を依頼することが決まり、その日はシャワーを浴びて下校した。



 翌日の写真撮影は、裏側にペンキがかかっただけの朝の部の絵で行った。


「撮るんでええんか?」


 なにかを察したのだろうか、島田先生はシャワーを浴び終えた私たちに声をかけてきた。すっかりペンキの落ち切った私たちは顔を見合わせて、同時に頷いた。


 写真は私のパソコンのデータにある。中心に立つ彩は、晴れやかな笑顔で立っていた。





「この辺よ、うちが描いとったの」



 彩が遊具の隅にある水飲み場の横で手を広げる。彩の隣でキャンパスをイメージして両手で四角を作り風景を切り取る。黄色の滑り台に、青色のジャングルジム、赤色のシーソー、そして十人十色の駆け回る子どもたち。なるほど、ここなら確かに二十四色の絵具を目一杯使えるだろう。



「ここで最優秀賞を取ったわけや」


「いかにもな場所やろ?」


 彩はにこやかに笑い、振り返って広場の方を指さす。


「茉莉ちゃんがおったんはあの辺よ」


 人差し指が示す方向には、だたっ広い運動場があった。フリスビーで遊ぶ小学生集団、バトミントンをする親子。木陰で涼んでいる女性二人組は、運動場で走り回っている子どもの母親たちだろう。思い思いに休日を楽しんでいる。


「全然覚えとらんわ」


「行ってみたら? 思い出すかもよ?」


「ええ……でもどの位置におったんかもわからんし」


「ウチがこっから指示出したげるけん」


 ほらほら、と背中を押されて歩き出す。話すようになってわかったが彩は意外と押しが強い。この遠慮なさをもっとクラスでも出せばいいのに。


 運動場の真ん中にきた。駆け回る子供たちの中にひとり紛れるのは少しばつが悪い。


 彩は両手を大きく振ってから、右手を横にちょいちょいと振る。もっと右、ということらしい。カニ歩きの要領で少し横にずれる。再び彩が手を振る。行き過ぎたようだ。カニ歩きと前後移動を数回繰り返した後、彩が大きく丸を描いた。


 空を見上げた。太陽が眩しく右手で日差しを隠す。記憶のなかでの公園は、曇り空だったはずだ。今日はこんなにも空が遠い。


 また両手で四角を作ってみる。確かに遊具は何も見えない。赤色のカーディガンを着た彩が一際目立つ。黄色に色づいた公園樹は、あの日は緑色だったはずだ。


 しかし肝心な描いた絵の記憶は甦らない。


 甦らないが、別に構わない。


 キャンバスの中の彩が両手を振って、恥ずかしげにピースサインを作って見せた。


 華やかすぎるな。


 心の中で呟いた言葉に気恥ずかしくなって、もう一度空を見上げた。



 空を駆ける飛行機が、青い画用紙に線を引くように、白い雲を描いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三原色の海 松山リョウ @ryo0831

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ