第5話 二人の奴隷




 ここが「死体平原」と気づくと同時だった。遥か上空から、黒い影が近づいてくるのが見えた。


 空から群れて降りて来るのは、「神杖の白塔」の名に相応しい、羽の生えた天使などではない。人を喰らう異形の怪物、ハーピーだった。


 女性の上半身と、鳥の爪や汚れた羽根を持つ魔物だ。顔は人間そっくりだけど、人のように表情筋を使わないためか、無機質な表情をしていた。


 群れの一体が、甲高い奇声をあげた。


 ハーピーの群れは、一直線にこちらへと向かってきた。迫り来る脅威に、僕の右手が自然と腰の剣へと向かう。


 その途端、意外にも先頭のハーピーが速度を緩めた。


 群れ全体が大きく旋回し、僕らの頭上を通り過ぎていく。そして、転がっていた死体に舞い降りると、貪るように食べ始めた。他の探索者が連れていた奴隷だったのだろう、死体は首輪をつけていた。


(危険な生身の人間よりも、安全な死体の方が良いか)


 だが、安心はできない。死体を食べながらも、あの無機質な瞳は僕達をじっと観察している。今食べているものよりも、僕らの方がよほど美味そうだとでも言うように。


「……早くここから離れるよ。今は死体の方が良いらしいけど、新鮮な方に味を変えたくなるかもしれないし」


 首輪が光り出すのに合わせ、虚ろな目で動き出すサエハ。


 どうやらこの異常な状況に、意識をぼんやりとさせ、心を守っているようだった。死体も魔物も見慣れないサエハにとって、この場所そのものが大きな苦痛だろう。


「……出口」


「えっ」


 そんなことを考えていた僕だけど、草をかき分けて移動している中で、サエハに話しかけられた。見れば、顔に少し生気が戻って来た。思いがけず、タフなところがあるらしい。


「出口は、どこなの。どうすれば帰れるの」


「……全ての魔物を殺し尽くすか、迷宮内で転移の魔方陣を見つければ脱出できる」


「なんで、こんな場所にわざわざ来るの? 意味が分からない。バカじゃないの?」


 矢継ぎ早に言葉を続けるサエハ。どうやら、あえて会話に集中することで、正気を保とうとしているらしい。


 ずっと首輪の力で動かせるのもどうかと思い、僕はそれに乗ることにする。


「迷宮に入る前も言ったけど、それが探索者だからね。迷宮から珍しい品物や魔物の素材を持って帰るのが仕事なんだ。それを『島』に売って生計を立てている。危険だらけで正直やりたくないけど、生きるためにはしょうがない。それ以外の生き方も知らないしね」


「そう。あなたも奴隷みたいなものなんだ」


「奴隷? 僕が?」


 思いがけない言葉に訊き返す僕に、彼女は続けた。


「自由がないから、自分より不自由な奴隷を連れていたいんでしょ。無理やり言うことをきかせてさ。そうすれば、自分の不自由から目を逸らせるから。学校でも似たような奴いた気がするよ」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の胸に思いがけない痛みが走った。


 僕は草を掻き分けながら、また一歩、歩を進めた。彼女はまだ何かを言い続けているが、その内容はもう耳に入ってこない。死体を横目に、僕はいつも通り金になるものがないか目を凝らしながら、脱出用の魔方陣を探す。


 それでも、彼女の言葉は僕の胸に思いがけず、深く突き刺さっていた。


(……奴隷か)


 彼女の言葉は、正気を保つのに必死で無意識に口から出たのだろう。だけど、僕がサエハを買った理由に、あまりにも近いと思えた。


 確かにそうかもしれない。だが、それだけなのだろうか。


 僕は、僕自身の不自由から目を逸らすためだけに、彼女を買ったのだろうか。


(分からない。どうして僕は、サエハを買ったんだろう)

 

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