第4話 死体平原


 『島』の中央にそびえる白い塔。


 遠くから見れば、それは神が天から突き立てた巨大な杖のようだ。それこそ外では「神杖の白塔」と敬意を込めて呼ぶ者がいるらしい。


 でも、それは一度も内部に足を踏み入れたことがない人間の言葉だ。


「なにここ……」


 迷宮に足を踏み入れた瞬間、戸惑ったように呟くサエハ。


 それもそのはず、目の前に広がるのは見渡す限り、草原の海。雲ひとつない青空が広がり、太陽も輝いている。


 塔の中に入ったはずなのに、迷宮の内部には外のような空間が広がっていた。それは酷く異様で、まるで世界の常識がひっくり返ったようだった。


「別に、外に出た訳じゃないよ」


 僕は辺りを警戒しながら答える。腰ほどまで伸びた草は身を隠しやすいが、逆に言えば相手にも言えることだ。


「僕達はちゃんと迷宮にいる。ただ、迷宮の中には無数に空間が重なっていて、どこに出たのか分からないんだ」


「空間が重なる? どういうこと?」


「入る度に別世界になるっていうのかな。確認されただけでも、迷宮は千以上のパターンがあるらしい。むしろ同じ場所に出る方が稀っていうか」


 サエハはまだ理解しきれていないようだった。目を丸くし、小さく口を開けている。でも、それで構わなかった。迷宮の仕組みなんて発見以来、未だに解明されていないことばかりだ。僕だって分からないことだらけ。


 大切なのは今、生き延びるために何をすればいいか、ということ。


(さて。ここはどこだろう?)


 青々とした草原を見渡しながら、考える。


 僕は探索者として、発見された迷宮の情報は頭に入っている。それでも無数のパターンの中からすぐさま、この場所を特定するのは困難だった。

 

 ひとまず身を隠すようにしゃがみ、サエハにも同じようにするよう合図する。風が吹き、ざわざわと草が揺れる。同時に腐敗臭が鼻をついた。


 サエハが鼻を押さえ、嫌悪感を露わにする。


「なに、この臭い…」


「サエハ、そのまま真っ直ぐ進んで」


 背負った荷物の重さに耐えるように肩をすくめ、恨めしげに僕を振り返る。


 彼女がセーラー服の上から着ているのは、僕が予備で持っていた探索者用の分厚い外套だ。余程のことがない限り、命は守ってくれる。


「大丈夫。その外套は探索者用だから、とても頑丈だよ」


「……優しいお気遣い、どうもありがとう」


 皮肉っぽく言った後、渋々草を掻き分けながら前に進むサエハ。数歩離れ、その後ろを僕が歩く。


 しばらく進むと、風に乗ってきた悪臭の正体がはっきりと見えた。

 

 そこに転がっていたのは、黒い革の服を着た男の死体だった。体中が食い荒らされ、原型を留めていない。内臓が飛び出し、見るも無残な姿を晒していた。

 

「……っ!」


 口元を抑え、悲鳴を堪えるサエハ。悲鳴の代わりに、その場から逃げ出すように走り出した。


 しかし、さほど進まぬうちに、再び目の前に転がる死体を見つけてしまう。さらに方向を変えて走った先にも死体、死体、死体――草の中に埋もれるように、幾つもの骸が横たわっていた。


 五つ目の死体を見つけた時、サエハはとうとうその場にへたりこんだ。とうとう限界が来たらしい。荒い呼吸を繰り返し、横顔からは止めどなく涙が零れ落ちている。外の人間としては、よく耐えた方だろう。


「なんで、こんなに死体が……」


 僕はそんな彼女に背を向け、最後に発見した死体に目を凝らした。


 それはまだ新しく、身体の半分は血を流しながらも、もう半分はまるで氷に覆われたかのように白く、凍りついていた。


 思えば、先ほど見つけた死体も、焼け焦げたような跡や、鋭い刃物で引き裂かれたような傷など、この草原とは不釣り合いな損傷を負っていた。


(もしかして、ここは)


 そこで僕は、ある場所を思い出した。


 迷宮内のどこかで命を落とした探索者や奴隷の死体が、なぜかこの場所に集まってくるという。そして、その死肉を好む何者かが跋扈する場所。


 その名も「死体平原」だ。





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