第3話 医療の壁

義母が「さくらの森」で穏やかな日々を過ごしていたある日、私たちは一枚の書類に署名した。


延命治療を望まないという意思表示——義母自身の希望であり、私たち家族もそれを尊重する覚悟を持っていた。


しかし、その静かな決意は、現実の医療の壁に阻まれた。


異常なほどの毎日の点滴によって義母の脚が腫れ上がり、痛みを訴えていた。見舞いに訪れた私たちは、その異変にすぐ気づいた。義母は嫌がっていた。明らかに苦しんでいた。


「もうやめてほしい」と妻が訴えた。私も、院長に直接申し入れた。だが、返ってきた言葉は冷たかった。


「病人が死にそうなのに、医療行為をするなと言うのですか?」


その一言に、私たちは言葉を失った。義母の意思も、家族の願いも、医療の「正しさ」の前では無力だった。


施設の現場では、明石施設長も中島介護士も、義母の苦しみに心を痛めていた。だが、彼らには院長に逆らう権限がなかった。経営者であり、医師である院長の判断が、すべてを決めていた。


そのジレンマは、彼らの表情に滲んでいた。義母の痛みに寄り添いながらも、何も言えない——その沈黙が、私たちには痛いほど伝わってきた。


やむなく、私たちは弊社の顧問弁護士に相談した。法的な立場から、延命治療の中止を求めるしかなかった。その旨を院長に伝えると、ようやく点滴は止まった。


義母の顔が、少しだけ安らいだように見えた。


この一連の出来事は、私たちに深い問いを投げかけた。

「医療とは、誰のためのものなのか」

「命の終わりに、何を優先すべきなのか」


義母は、静かに、穏やかに旅立ちたいと願っていた。


その願いを叶えるために、私たちは戦わなければならなかった。

それは、あまりにも静かで、あまりにも重い戦いだった。


つづく

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