22話

22-3

「悪いな、君の家の風呂を二回借りてしまった」

「いいんですよ、今日くらいは」

 二人は二回交わった後、流石に体力も尽きたと思いベッドで楽しく語り合ったりじゃれ合っていたが、そうしている間に互いの欲が復活してしまう。その結果触れ合い、更にはもう一回してしまった。全てが終わった現在、向太郎と高下は寝間着のスウェットに着替えて男二人でシーツを替えた狭いベッドに入っている。

「あらら、もう朝の四時ですか……」

 向太郎が壁にかかった時計を見る。

 二人が交代でシャワーを浴び終わったのが三十分前。辺りはすっかり紺色の空から水色の空に変わりつつある夜明けの時間だった。

「……明日が平日だったら大変だったな。日曜日で助かったよ」

「ははっ、確かにそうっすね」

 高下が安心し切ったようにすると、向太郎が同調する。

 そして──。

「……向太郎、何をしている」

「だって〜。瑞季さん、風呂入ったばっかりだからあったかいんだもん。ぬくぬくしてるから、湯たんぽ代わりにしてるんです」

 向太郎はいつの間にかもぞもぞと近づき、高下に抱きついた。

「……君、東北出身なら寒さに強いはずなのでは?」

「えー? 出身地って関係なくないですか? 俺は寒さに弱い人間なんでーす。だからあっためてくださーい」

 行為中は獲物を逃すまいとする黒豹のようだったが、今は自由気ままに擦り寄ってくるこの様子は野良猫のようだ──高下は呆れるふりをしつつも、歳下の恋人のスキンシップを甘んじて受け入れていた。

(ふわふわだな……)

 向太郎の髪を触る。洗って乾かしたばかりの、少し癖毛の彼の黒髪は触り心地が良かった。

「……よし、よし」

 高下は手櫛で向太郎の髪を梳いた。

「……子ども扱いしてます?」

「まあ、そうだな。子ども扱いというより、猫みたいだなとは思っている」

 軽く冗談を言うと、向太郎はじとっと高下を見つめ、首筋に唇を寄せる。

「あ、こら! やめなさい」

 キスマークのついた場所を更に向太郎によって吸われる。やんわりと注意するが止める気配はない。

「向太郎……俺は流石にもうへとへとなんだ。できない……」

 高下は弱々しく抗議の言葉を放つ。

 十数秒後。向太郎は再び高下へ顔を寄せる。

「へとへと〜? あんた、さっきまであんなノリノリエロエロ大魔神だったくせに……だぁっ!?」

 高下が布団の中で向太郎の足を強く蹴る。

「誰がノリノリエロエロ大魔神だ。何かろくでもないことを言うに違いないと感じたが、案の定だったな」

「だからって足蹴ることないでしょ!? 容赦なさすぎ、いってえ……」

 向太郎は降参の意思を示してか、情けない声を出す。しばらくしてどうやら悪戯に満足したようで、落ち着きを取り戻した。

「俺だってもう今日は無理ですよ」

「君はがっつきすぎなんだ。全く……」

 高下は向太郎の髪を再び撫でた。

「俺、来月の三月で三十二歳だぞ。こんなおじさんになんであんなに……」

 高下はため息を交えながらふと苦言を呈した。苦言の中には歳下の男ととうとう引き返せない関係を持ってしまったという恐れも含まれた。

 抱かれていた時は多幸感があったが、冷静になると急に向太郎の将来を懸念する考えや良くないビジョンが出てくる。

「なあ……こんなアラサーの男なんかじゃなくて女性がいいって思ったらすぐに言えよ。俺は君と関係を持ったこと、誰にも言わないし、もしも別れそうになったからって、例えばこれをネタにして脅すことも絶対しない。潔く別れてやる。だから……あ、痛」

 言い聞かせると、向太郎はむすっとした顔をして高下の頰を少し伸ばした。

「みくびんなよ」

 即座に否定する。

「ねえ、瑞季さん。俺、本当にあんたのこと大好きなんだよ」

「……そうか」

「……まだ、俺がいっときの迷いでこんなことを言ってると思ってますか?」

 向太郎の疑問に、高下は正直な胸の内を話すことにした。

「……まあ、正直言うと少しだけ、な。君は女性が好きだったし、俺も昔付き合っていた彼氏からやっぱり女性がいい、って振られたことがあってだな」

 上手く誤魔化せただろうか──強がったが、本当はいつかその時が来るのではないか、と怖くなる。

「……そんなこと、しません。一年間、俺なんか選んでずっと好きでいてくれた人を捨てるなんて、やりません……」

 向太郎は寂しそうな顔をしている。

「本当馬鹿……。俺がどんな気持ちで告白したか知らないんだ……」

「……向太郎。違うんだ。俺が怖いだけなんだ。変なことを言ってごめんな」

 高下は素直に謝罪した。すると、向太郎は抱きしめる力を強くする。

「俺は瑞季さんを選んだし、瑞季さんは俺を選んでくれたんだ……。こっちこそ、あんたから別れ話されても絶対同意しない。手放しませんからね」

 向太郎から念を押される。彼は異性愛者だったので、男と関係を持ったことに後悔して、萎えたのではないかと疑っていたがどうやら杞憂らしい、と高下はその勢いに折れた。

「そ、そうか」

「はい。だから、自分のことそうやって低く言わないでください。惚れた俺が馬鹿みたいって言われてるみたいで嫌。これからそういう話、禁止ね」

「分かった……」

「それでいいです」

 向太郎が満足そうに鼻を鳴らして頷く。職場では以前「鬼上司」と恐れられた高下だが、すっかりそんな姿もない。好きな相手にはどこまでも弱かった。

「……あのね、あんたと絶交中だった時に見た映画があるんだ」

 向太郎の話によると、友人と映画館でアメコミヒーローの映画を見たとのことだった。

 高下も向太郎の家に頻繁に出入りしていた時に見たことがある人気シリーズの映画だ。内容は、第三作目となる敵の正体が「別次元から来たヒーロー自身」というものだった。

「……その映画の中でね。バタフライエフェクト、って単語を言ってたんだ」

「バタフライエフェクト……」

「そ、映画では本当の意味で使われてるか分かんないけど。些細な選択肢が枝みたいに分かれて、その選択肢を進めていく内に最終的に人生を変えるほどの大きな結果を引き起こしちゃうこと、なんだって。そんで、正体が別次元のヒーロー自身だった悪役は、選択肢を間違えまくって闇落ちしたって話」

「……中々重い話だな」

「まあそうだね。悲しい話かもだけど面白かったんだ。配信来たら一緒にどっちかの家で見ましょうね」

 二人はずっと抱きしめ合い、語らう。

「それで、その映画がどうしたんだ」

「……あんたの話を思い出したんです。運命の相手に出会う確率の話。途方もない確率だって、昔居酒屋で言ってたでしょ」

 高下はぼんやりとした記憶を掘り起こした。嫉妬心を起こして意地を張ってしまい、向太郎を脅してしまった大人気ない記憶が蘇る。

「あ、あれは忘れてくれ……」

「なんで?」

「……君が好きなタイプの女性の話をするから、拗ねて意地悪を言ってしまったんだよ」

「……ふーん?」

 向太郎はにやつく。

「今すごくその時の瑞季さんのこと詳しくイジりたかったけど、まあいいや。それで……話の続きなんだけど、あんたと出会ったこともバタフライエフェクトだなって……思った」

 夜明け頃の静寂。外からの音は何もない。向太郎の語る声だけが響く。

「……瑞季さんにSNSでいいねされて相互同士になって、俺の友達がライブに行けなくなったからお互い正体知らないままなのにあんたにライブの同行頼んで。そういう風に小さな原因から始まった関係がさ……自分の中で大切に思う人になったのってすごいなって、映画見ながら思ったんだよ」

「……そうだな。俺も君に同意見だ」

 高下は向太郎に深く顔を埋めた。眠気からではなく、彼に安心を感じたからだった。

「同じ日本人に生まれて、東京なんて星の数ほど会社がある場所で同じ職場になって、同じ趣味を持って。偶然、ライブ会場で俺たちは出会って……瑞季さんは俺の恋人になってくれた」

 背中に回される向太郎の手の温度も、向太郎の背中を触れた時に分かる温度も、高下にはっきり伝わる。

「俺たち……きっと確率で測れる相手じゃない。運命以上の、奇跡の相手同士なんだよ」

 そう宣言された時──高下はゆっくりと目を閉じた。

 とく、とく……という向太郎の心音が聞こえる。

 ──想像する。

 高下は空に投げ出されていた。真っ逆さまに下降しているようだが、不思議と怖くない。

 目標地点は果てしない広さの大海原のようだ。急降下のスピードは速いはずなのに、スローモーションのように遅く感じる。

 その内、海に身体が到達する。大きな波、水飛沫をあげて。

 身体は動かさない。高下は溺れているのではなかった。

 ただ身を任せて沈んでいく。包まれているような感覚だ。

(ああ、これは……)

 ──微睡みながら、この気持ちの正体に気付いた。

(恋に落ちるって……海に沈んでいくことみたいだな)

 高下はこの日、本当の意味で「恋をする」ということを知覚した──「中島向太郎」という、海に落ちる感覚を。

 深青に沈む感覚を。





 

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