13話

13

 向太郎のアパートから帰宅した高下は、ドサッと勢いよくリビングのソファに座った。

 一時間前のことを思い出す。

 高下からアパートから出た後も、向太郎は追ってきた。

 振り向かずに早足で歩く高下に、向太郎は「行くな」、「話し合おう」と声をかけて腕を掴んできた。だが、高下はそれを振り解き「近所迷惑で通報されたいのか」と冷たくあしらった。

(これで良かったんだよ……)

 高下はうなだれて、更に記憶を遡り、ここ二、三か月間の出来事を思い返す。


 * * *


 向太郎にライブDVD鑑賞会でハグをされた時。思い切って自分をどう思っているのか尋ねた結果、向太郎は高下を「親友」や「相棒」としか思っていないと言った。そもそも、向太郎は異性愛者で高下は同性愛者。性的指向は合わないからその回答は当たり前だ。

 だから向太郎への恋を諦めようとして──せめて良い友人であるように振る舞い続けた。

 なのに──高下の家での映画鑑賞の時や宅飲みしている時に高下を眺める顔など──向太郎から時折熱っぽく、愛しいものでも見ているかのような視線を送られる。

(中島くんは異性愛者で、俺のことは恋愛対象外のはずだろう。やめろ……頭が狂いそうになる)

 諦めたいのに、諦めきれない。

 恋心は持ったままだけど、離れたくない。

 友人ではなく、本当は恋人になって欲しい。

 二律背反、自己矛盾、強欲、絶対に隠し通さなければいけない異性愛者への恋情。それらがないまぜになって、高下の心をぐちゃぐちゃにしていく。向太郎の前では平静を装いつつ、友情と未練のある恋心の板挟みで苦しんでいた。

 更に心もだが、その分情欲も比例して大きくなる。

 向太郎に肉体的にも愛されたい。触れたい。でもそんなことは友人に対して許される感情ではない。暴走して向太郎にうっかり告白でもしてしまったら、今までの友情関係が終わってしまう──なら、いっそのこと。

 高下は、慣れないマッチングアプリ──これはのちに慣れなさすぎて一夜限りの相手に会った時指摘されて、恥ずかしかったのだが──に初めて登録した。しかも、真面目に交際相手を探すものではなくてカテゴリ的に「遊び相手探しのためのアプリ」に相当するものである。高下は誰でもいいからどうしようもない自分を無茶苦茶に抱いて欲しかったし、明るく優しい「親友」に劣情を抱く自分にはこれがおあつらえ向きだ、と自嘲した。

 とは言うものの、自分の容姿の特異性は分かっていたし生来慎重でやや臆病、内向的な性格の高下は、プロフィール欄には顔写真ではなく首から下の露出も全くない写真しか載せられなかった。それでもそこそこの「会いたい」というメッセージが来る。

 その中で。

(……ちょっと、中島くんに似ている)

 年齢は高下より年下、気だるげそうな雰囲気の顔、少し癖毛の髪型──そっくり、という程ではないがどことなく向太郎に雰囲気が似た青年から申請が来ていた。

 高下は向太郎に似ている他人に抱かれて、代替しようと考えた。我ながら浅ましいと思ったが、向太郎本人にこの止められない恋心が向いてしまう前にブレーキをかけたくて、誰でもいいから助けて欲しかったのだ。

 青年とその後、二週間程度アプリ内のチャットで会話して、新宿で落ち合ってラブホテルへ。

 三十一歳の高下は過去に同性の恋人がいたので性交渉は今回が初めてではない。相手もそうだから身体を重ねることはスムーズに行われた。

 薄暗い照明。視界に入る癖毛で触り心地がよさそうな黒髪。猫のように擦り寄って首筋に唇を寄せる仕草。気だるげに高下に声をかける、間延びした口調。

(中島くんとシたら、こんな感じなのかなあ……)

 目の前の青年に、向太郎を重ねる。

 抱かれて、快楽を拾って、生理的な涙でぼんやりしながら耽美な幻覚に耽って──そうやってよく知りもしない他人と甘いひとときを過ごした。

 退室時間になると二人はさっさと身支度をして、ラブホテルを出る。

 ラブホテルを出てすぐ、青年は高下にキスをしてきた。

 最初に入った時もキスをしたので、どうやら相手は高下を相当気に入ったらしい。

 そのまま青年は、帰り際軽薄な笑みを浮かべて高下に囁いた。

『ねえ……アプリじゃ顔写真なかったから全然期待してなかったんだけど、会ったらあんた顔めちゃくちゃ綺麗だし、エロくて大当たりだった。今度もまたこうやってシようよ』

 一言。そう言って「バイバイ」と少し手を振った後、彼は先に歩いていく。

 その瞬間。

 青年の後ろ姿が次第にマーブル模様に歪んでいった。

 次に、高下の頭がヒビが割れたように痛む。

(中島くんは……こんなこと言わない……)

 ──中島くんは、俺を外側でしか見てないようなことは言わない。

 中島くんは、俺を性的な目で見ない。

 中島くんは……。

 そんな思考が頭の中を巡った。その不快感は胃まで到達し、中身が全てひっくり返るような嘔吐感に襲われる。

 高下はなりふり構わず近くのコンビニのトイレに駆け込み、気が済むまで吐いた。

(結局、中島くんを汚してしまったんだなあ……)

 吐きながら懺悔する。

 向太郎と似た人間に抱かれたことにより、罪悪感がより増大してしまった。密かに恋慕するよりも、もしかしたら一番やってはいけないことをしでかしたかもしれない。

「……中島くん、ごめん」

 トイレの便器にもたれかかる。

 ぐったりしながら高下は後悔した。


 * * *


 ホテルの一件の後、高下はマッチングアプリをすぐ退会した。

 そのまま自責の念に駆られていたが、「親友」として側にいたかった。

 ばれていないだろう、ばれないでくれといつもと変わらず向太郎に接し続けていたが──。

(まさか、中島くんがあの日新宿にいたとは……)

 新宿という日本最大の歓楽街。人は常に多く、時には前に進むことすら困難な街。

 その中で知り合いに出くわすなんて、針に糸を通すようなものなのに。

 結果、高下は向太郎に青年とホテルに入るところを見られてしまった。

 やはり向太郎を重ねて、彼に似た人間に抱かれたという低劣な行為をした自分への天罰なのだな、と高下は自己嫌悪した。

 それなら、向太郎に嫌われて全てを終わらせてしまえばいい。どうにでもなってしまえ──だから、自暴自棄になってマッチングアプリを使って一夜限りの相手と過ごしたことを暴露し、冷淡に向太郎を突き放したのだった。

 ふと、高下はポケットからスマートフォンを取り出して、ロック画面を眺めてみる。

 居酒屋で撮った写真。

 コラボカフェのグッズと木苺みくるのトレカを持たされ、ぎこちない笑みを浮かべた高下と、酔っ払ってふにゃっとした満面の笑みでピースをする向太郎。

 懐かしんだと同時に「この頃みたいにはもう戻れない」と悲しんだ。

 そうして写真を眺めていると、ピコンッという機械音が鳴った。

 メッセージアプリからの通知。名前には「中島向太郎」と通知バナーに表示されている。

 高下はすぐにメッセージアプリを開いた。

『今日は怒らせてごめん。仲直りしたい』

 向太郎からメッセージが一言、届いていた。

 アパートでわざと冷たい態度を取っても高下を叱り、本気で身を案じて泣いてくれた姿を思い浮かべる。

(何も悪くない中島くんを謝らせてしまった……)

 アプリのブロックボタンを押す。すぐさま「ユーザーをブロックしますか?」という表示が出た。

 優しい向太郎には、今後自分に関わらせないほうが良いと思う。もう、ブロックしてしまおう。

 高下は、「はい」のボタンを押そうとしたが──。

 親指が動かなかった。

 このボタンを押したら、今まで向太郎と二人でやってきた楽しかった出来事も築いた絆も、全てなくなってしまう気がしたからだ。

 そう思うと、スマートフォンの画面に一粒の水滴が落ちる。

「ごめん……っ」

 途端、堰を切ったように高下は泣きじゃくった。

 嗚咽混じりの涙が止まらない。

 ──自分から縁を切ろうとしたくせに。

 俺はなんて身勝手なんだ、と最後の踏ん切りがつかない。

「……中島くん、ごめん……最低な俺でごめん……」

 スマートフォンを左手でかたく握りしめる。

 画面にはぽた、ぽた、と涙の雫が落ちている。

 高下は涙を乱暴に拭いながら、チャット画面に向かって謝罪する。

「……大好き。大好きだっ……。本当にごめん……ごめんな……」

 諦められなかった恋心を吐露する。

 ひとりぼっちの部屋の中で、高下は「ごめん」と「大好き」を繰り返し呟いた。

 ──この日、高下は向太郎への淡い恋心を自らの手で粉々に壊してしまった。

 

 

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