第2章 コラボカフェ、そして確率論。
3話
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残暑が続く九月、とある金曜日。
向太郎は帰宅後、紙袋から服を取り出し自宅のベッドに置いた。
「仕事以外で上司と会う時って何着ればいいかわかんねえけど……まあ、こんなもんでしょ」
白の生地にシンプルな黒のロゴがプリントされているTシャツ。紺色のチノパン。
ファストファッションブランドの店舗で会社帰りに買ったものだ。
服を買った理由はただ一つ。
ラブハニのコラボカフェの抽選に当たり、高下と遊びに行くからだ。
十三時予約のコラボカフェは整理券が入場十五分前に配布される。
それに間に合うよう、余裕を持って十二時三十分に二人は開催場所である雑居ビルの前での待ち合わせの約束をした。
(いつも選ばない感じの服だけど……相手は上司だし、何せあの高下主任だからな……。せめてプライベートとは言えど、失礼のないような服装にしないと)
向太郎がよく好む私服はトレーナーやジョガーパンツ、ウインドブレーカー、サルエルパンツ、ジャージ……といった着心地が楽なデザインのものだ。
そのファッションセンスと、向太郎自身の容姿──いつも眠たげでやや目つきが悪く、ダウナーな雰囲気なのも相まって、友人たちからは「田舎のコンビニとかディスカウントストアの入り口にたむろしているヤンキー」と弄られることもしばしばある。
(そういえば、高下主任……プライベートじゃ髪下ろしてるんだな)
ふと、向太郎は八月のライブでの高下を思い出した。
高下は職場でオールバックにしている。
常に眉間に皺を寄せているのが分かり、そのせいで厳格さが増して近寄りがたい。
一方であのライブの時の高下は、普段の時とうって変わって前髪を下ろして向太郎の前に現れた。
その時の高下の容貌は、実年齢の三十一歳よりもずっと若く見える。
社会人らしく、切り揃えられた清潔感のある黒髪。
卵型の輪郭。
やや吊り目の、美しい二重の切れ長の瞳。
左目の蠱惑的な泣き黒子。
高くて整った鼻と薄い唇。
それら全てが奇跡的なバランスを取っており、ギリシャ彫刻にも負けない美しい顔立ちを作り上げている。
その美しさは「黄金比の擬人化」と言っても過言ではない。
(あの時、服装はファンシーなライブTシャツだったから、雑コラみたいにちぐはぐだったけどやっぱりかっこいいよなあ……。俳優だったら『国宝級イケメン』とかってキャッチコピー作られてそうなくらいに。ていうか、今までどこかの事務所からスカウトされててもおかしくない顔なんだよな)
流石に逆ナンはなかったが、ライブ会場で高下とすれ違った女性は思わず振り返ったり、二人組だと色めき立ちながら互いに高下の顔を見て話している場面もしばしばあった。
性格はともかく、高下はすこぶる顔が良い。
彼がダブリューライジングに転職したての頃は女性社員たちがかなり騒いでいた、と派遣社員の橋本が言っていた。
その一か月後、高下の苛烈さが全員に知れ渡ってからは騒がれたり、何かに誘われたりすることは全くなくなったのだが……と橋本は苦笑していたが。
(高下主任、どんな服着るんだろうな……)
ファッションなど向太郎にはてんで分からないが、高下の私服について想像を膨らませてみる。
──同時に。
(あの人はきっちりしてる人だから、だらしない格好や姿勢で怒らせたりがっかりさせないようにしないとな)
普段自分の態度に無頓着な向太郎だが──自分が高下と並び歩くところを想像した時に、何か一種の責任感のようなものを感じた。
* * *
向太郎と高下がラブハニのコラボカフェに行く土曜日。
昼の十二時二十五分。
待ち合わせ時間の五分前になった。
少し古びた雑居ビルの一階、エレベーターより左側に寄って先に来ていた向太郎は高下を待っていた。
今日のこの時間のコラボカフェに来た客の男女比は男性が八割、女性が二割ほどだ。
「遅れてすまない。先に来てたんだな」
耳触りの良い少し低めの声。
暇つぶしにスマートフォンでアプリゲームをしていた向太郎は、声をかけられて顔を上げた。
高下だった。
プライベートの高下は、今日も前髪を下ろしている。
さりげなく細い黒と白のチェックのラインが袖に入った紺色のポロシャツと、柔らかな雰囲気のベージュ色のチノパン、黒いスニーカーというコーディネートだった。
ライブの時にも使っていた黒いバッグを左手に持っている。
それは一歩間違えるとおそらく「運動会に来たお父さん」になってしまいそうだが、高下が着るとそんなことはなかった。
背丈一七七センチ、細身で引き締まった高下のプロポーションと美貌が服を引き立てた。
雰囲気はさながら「軽井沢にゴルフをしに来た休日の御曹司」のようである。
向太郎がどこかで聞いた「ファッションの完成形は顔」という言葉。
高下はまさにその言葉の体現者である、と向太郎は感心した。
(イケメンって、何着てもさまになるんだなあ……)
向太郎は黙ったまま、高下の姿をまじまじと見つめる。
女性ならまるで乙女ゲームの攻略対象キャラか、あるいは少女漫画の登場人物のような美青年が待ち合わせ場所に来たら、胸をときめかせるだろう。
だが向太郎は男性で異性愛者だ。
男として高下の容姿に羨望はするが、今は恋愛的な意味で高下にときめくことはない。
どうかしたのか、と尋ねる高下の言葉で我に返り、コラボカフェの列の最後尾を指差した。
「あ、なんでもないです。あそこ、並びましょう」
二人で並んで十三時前。
カフェの店員に案内されて、向太郎と高下は席についた。
カフェに滞在できる時間は一時間まで、と店員に説明されて二人は承諾する。
メニューを選び店員に伝えた。
店員が去った後、高下は向太郎に聞く。
「中島くん。午前中は何していたんだ」
「え? いや、普通に休日だからいつもより遅く起きて身支度して渋谷にって感じですよ。高下主任は?」
「少しだけ会社で仕事した。前の合同商品販売会の時に業務委託していたアンケート調査会社からデータが来ていて、一応チェックを……」
「え、仕事ぉ!?」
高下が説明していると、驚愕の表情を浮かべて向太郎が話を遮った。
「高下主任、休日の漢字わかります!? 休む日、って書いて休日ですよ!? 何仕事なんかしてるんですか!」
「まあ、でも新商品の企画もそろそろ考えないと……」
「何やってんすか! ちゃんと休まないと駄目ですって。いつかそんな生活してたら身体壊しますよ、ほんと」
向太郎は肩をすくめた。
「……気をつける」
少し間を置いて、素直に高下が答えた。
「頼みますよ本当」
少々過保護な母親のように、向太郎はぶつくさ文句を言っている。
高下は、ポーカーフェイスをわずかに緩め、柔らかい表情になっていた。
「すげー仕事人間ですね、高下主任。俺休日に出勤なんて絶対嫌すぎる」
向太郎は苦々しい表情で水を飲んだ。
そうして二人で雑談していると、メニューが運ばれて来た。
向太郎は木苺みくるがイメージされた苺パフェ、高下は水瓶おとめがイメージされた、青いゼリードリンクを頼んでいた。
「めっちゃよさそ〜」
向太郎は苺パフェの隣に何かを置きながら、何枚か写真を映す。
高下は不思議がって、向太郎に質問する。
「中島くん、それは……?」
「あ、これ? この間のラブハニの新曲のCDにトレカ付いてませんでした?」
「ああ……。あれなんなんだろうな。前の曲はなかったんだが……」
「運営も最近のKPOP的な流行りを取り入れたんですかね? だから俺、通販でトレカケース買ってみくるんのトレカ入れといたんですよ。SNS映えしそうでしょ。ま、流石に普段は持ち歩かないですけどね。こういう、推し活用〜」
そう言って向太郎はひらひらとトレカケースを見せびらかす。
ピンクの立ち耳のうさぎのキャラクターのトレカケース。
中には愛らしい容姿の、黒髪のツインテールの少女──向太郎の推しメンバー・みくるが手でハートを作っているカードが入っていた。
「可愛いでしょ。人気のキャラなんですよ」
向太郎は高下の前にトレカケースを自慢げに置く。
「わ、わからん……。六つも年下の子の感覚はわからん……」
高下はトレカケースに触り困惑する。
「最近オタクになって、少しずつ知識を勉強し始めたつもりだが……時折知らないことを話す君の言葉がまるで宇宙人言語のように聞こえる……」
「何それ、こんなことわざわざ勉強してんの? 真面目かよ」
どうやら高下は仕事上化粧品の流行には敏感だが、それ以外のことに関して割と世間知らずな面もあるな、と向太郎は面白がって吹き出した。続けて話す。
「高下主任の家にも推しのトレカあるでしょ? 俺みたいになんかいい感じのケース買ったら? まさかトレカ置きっぱなしにしてないよね? 日にあてたら劣化しますよ」
「買うわけない」
「俺が見繕ってあげます」
「いらない」
「えー」
そんな軽口を言い合いながら、二人でスイーツを食べ始める。
ひと口。
スイーツを舌に乗せた瞬間、同時に目を見開いた。
そして、互いの顔を見る。
「……なんか、味微妙じゃないですか?」
「……甘ったるすぎる。なんだこの味は……」
人工甘味料を使い過ぎたゼリードリンクの味。
甘さよりも油脂がたっぷり入っていることにより、雑味しか感じないパフェの味。
……スイーツの味は、値段が高い割に美味しくなかったのだ。
二人は眉を顰める。
いつもは眠たげで無気力な向太郎が、珍しく感情を乗せて不機嫌な顔になる。
高下は仕事中のように眉間に皺を深くさせる。
まるで睨めっこのようだ。
沈黙。
しばらく見つめ合っていると、ぷっと向太郎は吹き出して笑う。
「くくっ……はははっ……!」
高下が笑いを堪えていたが、つられてしまい耐えきれず口を大きく開けて笑った。
二人で腹を抱えて笑う。
(高下主任ってこんな感じで笑うんだ……)
向太郎は高下の笑顔を見る。
普段は無表情で淡々としている高下が、彼の長いまつ毛が埋もれるくらいに目をギュッと瞑って大笑いしている。
職場では見ないような高下の一面を垣間見て、向太郎の胸に温かさが広がった。
(この人、前髪下ろしてると俺と同い年に見えるんだよな。こうやって話してるとマジで気の合う友達みたいだ。楽しい)
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