2話
2
トロッコが動き出した。
向太郎は木苺みくる、高下は水瓶おとめのファンサを狙うことになった。
黒髪をゆるく巻いたツインテールにライブTシャツを着ている少女──みくるのトロッコが二人の目の前を通る。
「みくるーん! みくるんー! こっち向いてー!」
向太郎はトロッコに乗って目線が少し高くなったみくるに対して、ペンライトを周囲に迷惑にならない程度に大きく振ったりアピールをして叫ぶ。
高下も彼を手伝うように、一緒になって必死に叫ぶ。
しかしみくるは、スタンド席一列目よりも上の席に向かって手を振っている。目線も合わない。
「くそっ……! 全然こっち見ねえじゃん……」
向太郎は悪態を吐く。
そうしているうちにみくるの乗ったトロッコは去ってしまった。
過ぎ去るトロッコを見て、向太郎は肩を落とした。
「駄目でしたぁ~……」
「頑張って叫んだんだけどな……」
高下も、向太郎に同意するようにため息を吐いた。
「いやいや、でも!」
向太郎は強く大きな声を出した後、自分の頬を叩き高下の方を向く。
「まだ希望はあります! 次は高下主任の番ですよ!」
向太郎は高下を指差す。
高下は、きょとんとした顔で向太郎を見た。
「俺……?」
「はい、次はおとめくんがここを通ります!」
向太郎は左側からこちらを通り過ぎる予定の水色のトロッコを指差し、言葉を続ける。
「おとめくんのファンサを狙いましょう! 高下主任のそのイケメンの顔なら、目につきます!」
「メンバー側の位置から見たらファンの顔なんて全員豆粒だろう。何を言っているんだ中島くん」
「あ、イケメンって言葉は否定しないんですね」
高下の突っ込みに、向太郎はわざとらしくおどけてみせる。
「まあそれは冗談として……おとめくんのファンは女性ばかりですから、男性ファンだと珍しくて何か向こうからアクションがあるかもしれませんよ! やるだけやりましょう! ほら、もうすぐでおとめくんのトロッコが来ますよ! 時間ありません!」
「おお……」
向太郎は高下を正面に向き直させるように背中を押した。
やがて一、二分もしないうちに水色のトロッコが近づく。
「もう来ますね!」
向太郎が高下に話しかけた。
落ち着きのある、甘いマロンカラーのハンサムなショートカットにすらりとした長身、ライブTシャツを着た少女──水瓶おとめが見えた。
彼女が乗っているトロッコが通る。
二人はおとめの名前を叫んだ。
おとめがスタンド席一列目を一瞥する。
チャンスだ、と言わんばかりに二人はより一層大きくおとめの名前を呼ぶ。
おとめが再度こちらに向き直す。
二人の叫び声に応えたかどうかはわからないが──おとめの中性的で涼しげな目と、高下の視線が絡んだ。
高下はおとめを見たまま叫び続ける。すると、彼女は高下に向かってウインクをして手を振る。
──そして。
「え……!?」
おとめが大きく振りかぶった。
高下にめがけて、おとめがライブのタオルを投げたのだ。
突然のことに周囲のファンも、向太郎も、高下も全員驚く。
そうしているうちに、タオルが宙を舞う。
高下は反射で思わず取った。そのままストン、と彼は席に座り込む。
「え、え……? え……?」
放心状態の高下。
(お、俺に……? 彼女がこのタオルを……?)
高下は、この現状を信じられず夢なのではないかと手の甲をつねってみる。
(夢……じゃない)
痛い……と高下は実感した。
過ぎ去る水色のトロッコと取ってしまったタオルを何度も見比べる。
少しゴワゴワとしたタオル生地の感触が、遠くの出来事のように思えた。
「高下主任……」
ハッとした。
向太郎の呼びかけで、高下は夢心地から現実に戻された。
「あの……」
とりあえず、高下は訳も分からず隣にいる向太郎に答える。
見ると向太郎は、いつもは眠たげな雰囲気の目を最大限に開いている。
口も呆けたようになっていた。
「すげえ……」
向太郎が一言のみ呟く。
見たことがない顔をしながら、そのまま硬直。
高下は心配の声を掛けようとしていた。
──次の瞬間。
高下の正面に、人間の重みと体温が向かう。
つまり。
向太郎が男友達同士のように、高下に抱き着いてきたのだ。
「すげえよ、あんた! 推しからタオルもらってんじゃん! とんでもねえよ!」
興奮する向太郎。
「な、中島くん……」
向太郎の感嘆に、高下は動揺する。
一方で向太郎は困惑する高下に気づいていないらしい。
「マジやべえ……。高下主任……」
向太郎は独り言を繰り返している。抱きしめる力を強め、離さない。
高下は、この空間だけ時が止まったように感じていた。
──二人は職場の上司と部下の関係。
本来ならこのように気安くハグする関係ではなく、上司の高下が向太郎の行為を咎めるべきだ。
それでも、高下は職場の時のような冷淡な口調で「離せ」とはなぜか言わない。むしろ、向太郎からのハグに対して自分も応えるべきか迷い、その手は宙をさまよう。
向太郎の体温を感じながら、揺らぐ高下の瞳。
その真意には、向太郎へ芽生えた友情と彼が秘めるそれ以上の「何か」が含まれていた。
ライブ後の帰り道。
夜二十一時となっていた。アリーナ周辺の街灯が点々と道を照らす。
人は多いが、規制退場と四方に分かれる道によって分散されて快適に進むことができる。
「ほんっっとうに、申し訳ございませんでしたっ!」
アリーナを出て駅に向かう途中で、向太郎は高下に向かって九十度の角度で、勢いよく礼をした。隣で歩いていた高下は唖然とする。
「……中島くん。急にどうした?」
高下の言葉に、向太郎は勢いよく顔を上げた。
「俺、無意識に高下主任にハグしたじゃないですか。友達とスポーツ観戦してて、贔屓チームが勝った時のノリでやっちゃいました! あとなんかタメ口とかもやらかして、すみませんでした!」
向太郎は再度謝罪する。
「気にしてない」
「いやいや、誠意を見せます!」
「いいって、中島くん……。大体、誠意を見せるって何をする気なんだ」
「ここで土下座します」
向太郎がその場に跪こうとしたため、高下はギョッとした。
「止めろ! 俺は気にしてない! 通行人も大勢いる中で、みっともないから止めろ!」
慌てた高下が「ほら、立て」と向太郎の腕を引っ張り、支える。
「高下主任、怒ってないですか……?」
「あれくらいで怒るわけない……。だから、土下座なんて止めろ」
「本当ですか!? よかったあ」
そう言うと、向太郎が安堵した。
その表情を見て、高下は複雑な気分になっていた。
(友達同士のノリ、か……)
向太郎が軽い気持ちで放った言葉が、棘となって胸に刺さった。
高下瑞季の秘密。
それは彼が同性愛者だということ。
そして、実はSNS上の友人である「タロ」──向太郎に密かに好意を抱いていたことである。
* * *
ライブ当日より約半年前、高下はラブハニのファンになった。
誰かと彼女たちの魅力を語りたいと思っていたが、リアルの友人は少なく、その数少ない友人の中でアイドルが趣味という人間はいない。
かといって、職場で趣味を明かすこともできなかった。
職場で「鬼の高下」や「サイボーグ高下」というあだ名を作られているほど恐れられ嫌われている高下が、その中で趣味仲間など作れるはずがないからだ。
そんな彼が考えた苦肉の策が「SNS上で趣味仲間を作ること」だった。
海外にいた時に呼ばれていた愛称である「ミー」という名前をSNS上で名乗った。
とは言っても仕事以外で積極性はなく、元来社交的なタイプではない高下は、SNSのアカウントを作っても何をしたらいいか分からない。
結果、ただ淡々と独り言のように感想を書いているだけになった。
所謂「壁打ちユーザー」だ。
(寂しい……)
リアルでも、ネット上でも俺は一人なんだ──高下は孤独な思いを抱えた。
そんな日々を過ごしていたある日。
SNSで「ラブハニ好きユーザーさんと繋がりたい」というハッシュタグの一覧を見て、一つの投稿が高下の目に留まる。
『ラブハニオタ歴五年目ユーザーです! 色んな歴の人と繋がりたいです! 現場語り、曲語り、推し語りで仲良くなりましょう! いいねしてくれた方に返事します!』
その投稿ユーザーの名前は「タロ」。
顔はスタンプで隠してあったが、今までのライブやファンイベントに友人と足を運んだ記念写真が載っていた。
その楽しげな雰囲気の投稿に惹かれて、高下はつい「いいね」のボタンを押してしまった。
翌日、タロから連絡があった。
『はじめまして! いいね押してくれてありがとうございます。これから仲良くしてくれたら嬉しいです! フォローしますね。ミーさんも俺のこと、フォローしてくれたら嬉しいです!』
それから、タロと高下──あるいは「ミー」はネット上で沢山の話をした。
タロは古参ファンだが、親切だ。
引っ込み思案である高下に、積極的に話しかけてきて分からないことがあると丁寧に教えてくれる。会話していて楽しい。
高下はタロへの友情、そのうち──タロに対して恋愛感情を抱いた。現実でもネットでもひとりぼっちの高下が、ずっと自分を気にかけてくれる唯一の存在への恋に落ちることは自明の理だった。
だが、彼と付き合いたいと思っていてもそれは叶わない、という考えに至る。
──なぜなら、タロの性的指向についての投稿を見たからだ。
好きな女性のタイプや好きな女優についての投稿。ラブハニ以外で話題にするものから推測して、タロは異性愛者だ。
(タロさんと付き合うことなんてないとは思うが……いつか、一緒にライブに行ってみたいな。きっと彼と行けば楽しい)
高下の密かな願いだった。
そしてそれが、ライブに行けなくなったタロの友人の代打として同行相手になり、夢が叶うとは思わなかった。
ライブ当日までタロと会う日を待ち遠しく思い、期待を膨らませた高下は待ち合わせの喫茶店の階段を上る。
どんな人なんだろう、会ったら何を話そうか──と。
まさか、タロの正体が職場の人間である中島向太郎だと誰が予測できただろうか。
(終わった……)
自分の顔を見た瞬間、引き攣った向太郎の顔を見て高下は絶望した。
向太郎とは別部署だったが、職場の業務で何度か話をしたことがあり面識がある。
しかも高下は社内では厳格さが知れ渡り、どの部署の人間からも嫌われている。自覚していた。
その上、話の流れから向太郎が自分を女性ファンだと勘違いしていたことが判明した。
(俺を女だと思っていたから、あんなに優しかったのか? 職場で鬼上司と言われて嫌われている自分が来て、最悪だと思っているだろう……)
高下はつい本音を向太郎に話してしまった。
「部下にいつも怒ってばっかりの、『鬼の高下』……と一緒なんて折角のライブ参戦が台無しになった、とか思っているんだろう」
涙が滲んだ、情けない声が出てしまう。
こんな暗い話をして向太郎を困らせて、俺はなんて面倒臭い男だ、と高下は自虐した。
──それでも。
向太郎は高下を慰めようと、入場時間中に色々話しかけてくれた。
その姿はネット上で親身になってくれた「タロ」と重なった。
向太郎とラブハニを通じて過ごす時間は楽しい。
高下はずっとライブだったらいいのに、とさえ感じていた。
そして、水瓶おとめのタオルを取った直後の向太郎からのハグ。
(ずっと密かに憧れてた、タロさんが……抱きついている。俺に……)
強い力で抱きしめられ、高下の胸が高鳴る。
瞳は蕩けていた。
もしも天文学的確率で叶うなら、と描いていた甘い妄想が実現した気分になった。
しかし、残酷な現実に戻される。
向太郎からハグは友人同士のノリだと弁明された。ライブ会場という非日常的な空間にいたことによって、あのような興奮状態に入っていたのだろう。
分かり切っていたことだが、高下は上手く消化できない。
(分かっている。この恋愛感情を表に出すことはない。中島くんと今日一日話せてよかった。できればずっと、彼と仲良くしたい。でも……やはり現実を突きつけられるのは、辛いものだな)
* * *
「高下主任」
しばらく二人で何も話さず歩いていると、高下は向太郎に話しかけられる。
「なんだ」
「あの……もしよかったらでいいんですけど。メッセージアプリのIDと電話番号、交換しませんか?」
「え……」
高下は驚く。
向太郎は言葉を続ける。
「あ、嫌だったら別にいいんです! でもこうやって今後現場に行った時、SNSのDMだと人が多くて回線が重くなって繋がらないことがあったり……まあメッセージアプリも電話も多分そんな状況だとSNSとどっこいどっこいだと思うんですけど、一応念のため連絡手段は多い方がいいし……」
しどろもどろになる向太郎。
高下は、恐る恐る向太郎に答える。
「……それは、今後も俺と遊びたいという意味か」
「……まあ、そうっすね。高下主任、ライブのコールとか完璧で楽しかったし。いつも一緒にライブに行く友達との兼ね合いもあるからどうなるかわからないけど。そいつと別日に、また高下主任とライブ参戦とか色々したいって思いました。あと、近くに同じものが好きな友達が増えると嬉しいから……」
向太郎の言葉に、高下は少し救われた気がした。
「……分かった。交換しよう」
高下はジーパンのポケットからスマートフォンを取り出した。
そのまま二人は連絡先を交換し合う。
向太郎は「そういえば」と何かを思い出す。
「一か月後くらいにラブハニのコラボカフェがあるんです。今ちょうど応募期間中で、二週間後くらいに当落がわかるやつ。当たるか分からないけど……折角だし、一緒に行きませんか? 二人分、予約しますから」
その言葉に、高下の頬が少しずつ赤くなっていく。
向太郎に対する憧れを悟られてはいけない、と高下は俯く。嬉しい気持ちを言葉にできず、短い承諾の動作しかしなかった。
──かくして、さとり世代の省エネ男子と美貌の鬼上司の、アイドルオタク同士の友情関係が始まった。
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