第7話: 神谷の決断
2009年 初春・ユウラク本社 会議室
品川の本社。
大理石の床とガラス張りの壁に囲まれた役員会議室には、張り詰めた空気が漂っていた。
テーブル中央には「海外ブランド戦略・進行状況」と題した分厚い資料。
ウィンブルドン、全仏オープン、そしてチェルシーとの契約効果──前年の成果が数値として示されている。
ブランド認知はアジア市場で確実に伸び、ヨーロッパでも徐々に名前が浸透しつつあった。
幹部の一人が口を開く。
「確かに数字は伸びている。しかし、国内配送網の問題は山積みだ。GAFA、特にアマゾンが国内物流を整え始めている中で、我々が外に夢を見る余裕があるのか?」
別の幹部も続く。
「テニスとサッカーで十分効果は出ている。追加投資するなら国内整備に充てるべきだ。」
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特に、国内物流の遅延、配達網の乱れ──幹部たちの声は冷静というより、不安に覆われ、内に向いている。
「国内を固めるのが先決だ」
「F1での欧州進出は夢物語だろう」
「HONDAでさえ撤退したんだ」
ため息混じりの意見が飛び交う。
ケンイチは、その空気を切るように立ち上がった。
手元の資料を示しながら、淡々と数字を突きつける。
「確かに国内配送の整備は必要です。だが、それだけでは遅い。
Amazonはアメリカで牙を剥き、中国のアリババは自国での覇権を固めつつある。
彼らが欧州市場を押さえれば、日本から挑む余地は二度と残らない」
静まり返る会議室。
ケンイチの声が響く。
「国内を整えるのと同時に、欧州で旗を立てるべきです。
誇りを示さなければ、社員も消費者もユウラクに未来を見いだせません」
幹部たちの視線が一斉に神谷に向く。
社長室の主は、椅子に深く腰かけたまま、しばし目を閉じていた。
やがて、低く力強い声が響く。
「……HONDAが去った。世界はこう思っている。
“日本はもう挑戦しない”と」
一呼吸。
神谷の瞳が炎を宿す。
「だが、俺たちがその旗を掲げる。
通販の会社だと笑うかもしれん。
だが、通販だからこそ世界中の生活と直結している。
その企業が世界最高の舞台に立つことにこそ、意味がある」
幹部たちは言葉を失う。
「この一手は、ユウラクのためだけではない。日本の未来のためだ。
……そして、必要ならば俺の個人資産を投じる。
株主が首を縦に振らなくても、俺が責任を取る」
重苦しい空気が一変する。
ケンイチは、その瞬間を見た。
策謀家に見えていた男が、時代を背負う経営者に変わった瞬間を。
窓の外、夕暮れの品川の空に群青が広がっていく。
ケンイチの胸に熱いものがこみ上げた。
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