第5話 原画展
休日の午前、鷹山が指定した待ち合わせ場所に立つ橙花は落ち着かない様子でそわそわしていた。白いシャツに淡いベージュのロングスカート。普段は店番用のエプロン姿だから私服で人と会うなんて久々で緊張してしまう。
(変じゃないかな?地味すぎ?)
駅前の人通りの中で、ショーウィンドーに映る自分の姿を横目で何回も確認する。
(なんかこれ……デートみたい)
そう思った瞬間、ぶわっと顔が熱くなり思わず両手で口元を覆った。
(違うから!今日は原画展!そう、原画展に鷹山さんと一緒に行くだけだから)
必死に心の中で言い聞かせたが、心臓は跳ね上がり呼吸も浅くなる。そのとき、視界の端に黒縁メガネの背の高い男性の姿が映った。
「お待たせしました、羽鳥さん」
鷹山旺志郎は落ち着いた声で歩み寄ってくる。濃紺のジャケットにシャツというシンプルな装いなのに街中で自然と目を引いた。
(かっ…かっこいい……)
普段は本屋でしか会わないし、しかも“デート”を意識してしまったせいで橙花はまっすぐ鷹山を見られなかった。
「いえ、私も今来たところです」
目線を下に向けたまま答える橙花。その様子に気づいた鷹山はふっと微笑んで「行きましょうか」と橙花に言うと二人は並んで歩き出した。
(横に並んで歩くだけで緊張する……)
街中のざわめきの中、橙花は歩調を合わせる事すらぎこちなく感じ無言が気になって仕方がなかった。
「鷹山さんは、こういう催しよく行かれるんですか?」
勇気を出して話しかけた声は、少し上ずっていた。鷹山は橙花の方を見て穏やかに答える。
「たまに行きますよ。一人でふらっと入ることが多いですけど。羽鳥さんは?」
「私もほとんど一人です。友達と行くこともあるんですけど、じっくり見たいときは一人のほうが気楽で……」
そう言ってからはっと気づく。“一人が気楽”なんて言ったら鷹山に気を遣わせてしまうかもしれない。焦って口を噤む橙花に、鷹山は少し笑みを浮かべた。
「分かります、俺もそうですから。自分のペースで回れるのが一番ですよね。でも今日は羽鳥さんと一緒に回れるの楽しみです」
その一言に、橙花の耳まで赤くなる。
「は、はいっ。私も楽しみです!」
橙花の声が大きくなり、すれ違ったカップルが振り返った。
(落ち着け私、落ち着け!)
そんな橙花の慌てぶりを横目に、鷹山はわざと気づかないふりをしながら歩調をほんの少し橙花に合わせていた。
原画展を見終えた二人は、会場近くの喫茶店に入った。窓際のテーブルに座ると、橙花は原画展で印象に残った絵について、嬉しそうに話し始める。
「子どもの頃に読んだときは、“かわいいな”って感じただけなんですけど今日改めて見ると、絵の構図とか色の重なりとか、深い意味が込められているんだなぁって感動しました」
コーヒーカップを両手で包み込みながら橙花は目を輝かせて話す。時折「すみません、喋りすぎですよね」と小さく笑っては俯くのだが、また少しすると抑えきれないように続けてしまう。
その様子を、鷹山は黙って見ていた。
(……本当に楽しそうに話すんだな)
普段の彼女はどこか控えめで、人の話を聞く方が多い。けれど今は違う。好きなものをまっすぐに語り、嬉しさが自然と顔に表れている。
それを目の前で見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
──ふと、田澤と会った日の事が頭をよぎる。
「鷹山、お前いい感じの人いないのか?」
「お前には幸せになって欲しいんだよ」
(……あのときは、仕事が忙しいとか、出会いがないとか言ったけど)
今は目の前に、楽しそうに笑顔で話す人がいる。
橙花が「本当に素敵な時間でした。鷹山さんと一緒に来られてよかったです」と微笑んだ瞬間、胸の奥に何か温かくなるものを感じた。
(いい感じの人か……)
鷹山はそう心の中でつぶやきながら、原画展で購入したポストカードを嬉しそうに眺めている橙花を見て、静かにコーヒーカップを口に運んだ。
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