眠らない蛍
夏が来る少し前、君は遠くへ行った。
誰も知らない場所へ、静かに、音もなく。
それはまるで、朝焼けの空に溶けてしまったみたいだった。
六月の終わり。
街はまだ、雨の匂いを
濡れたアスファルト、曇った窓、傘のしずく。
蝉の声も、陽射しの匂いも、まだ遠くて。
「綺麗な蛍、見に行こうね」
君はそう言った。
その言葉は、今でも耳の奥に残ってる。
何度も繰り返し再生される、君の声。
夏が来ないままで止まったら、君はまだ僕の隣にいてくれるのかな。
そんなことを思う。
季節が進まなければ、君の笑顔も、声も、手のぬくもりも、
この空気の中に残っていてくれる気がするから。
君がまた夢に出たよ。
君は笑っていた。
冷たくない手のひらで、僕の手を握ってくれた。
僕は何も言えなかった。
ただ、君の横顔を見ていた。
その横顔が、あまりにも生きていて、
目が覚めたとき、胸が痛かった。
遠い夏の向こうへ、君は行ってしまった。
僕はまだ、この街にいる。
夏が来ないままの街で、君との約束を抱えたまま。
窓の外は藍色の夜明け。
蛍がひとつ、ふわりと光っていた。
それは、君の気配みたいに優しくて、
僕はそっと目を閉じた。
僕はまだ立ち止まっている。
君がいなくなった日から、ずっと。
夏は来ないまま。
季節が進む音に耳を塞ぎながら、
君の残した光を、胸の奥でそっと抱いている。
それでも、君の声は時々風に混じって聞こえる。
通り過ぎる風の中に、君の気配が混じっている気がする。
その言葉だけが、僕を生かしてくれる。
「また夢で会おうね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます