第13話 未来への決意
大学生活も、三年目の冬を迎えていた。遥斗と琴葉の周りでは、友人たちの会話も、にわかに現実味を帯び始めていた。インターンシップ、業界研究、エントリーシート。東京での就職を目指す者たちの、焦りと期待が入り混じった言葉が、キャンパスの其処彼処で交わされる。その、少しだけ浮き足立ったような空気の中で、遥斗と琴葉は、静かに、しかし真剣に、二人だけの未来図を描き始めていた。
その夜、高木家のリビングは、ストーブの柔らかな暖かさに満たされていた。大学から帰宅した二人は、並んでソファに座り、美佐子が入れてくれた温かいココアを手にしていた。友人たちの慌ただしい様子とは対照的に、二人の間には、いつもと変わらぬ穏やかな時間が流れている。
「みんな、すごいね。もう、ちゃんと自分の将来のこと、考えてて」
琴葉が、どこか遠くを見つめるように、ぽつりと呟いた。その言葉には、焦りではなく、純粋な感嘆の色が滲んでいる。遥斗は、手にしていたマグカップをテーブルに置くと、彼女の方へと向き直った。
「俺は、東京に行くつもりはないよ。この町で、橘さんと一緒に生きていきたい。それは、もう決めてる」
その、あまりにも真っ直ぐな言葉に、琴葉の心臓が、きゅっと、愛おしい音を立てる。彼女もまた、同じ想いを、ずっと、ずっと胸の中で温めていたのだ。
「……私も、同じだよ。遥斗君と一緒に、この町で、生きていきたい。……それでね、私、ずっと考えてたことがあるの」
琴葉は、一度、言葉を切ると、遥斗の瞳を、まっすぐに見つめ返した。その瞳には、もはや、かつてのような不安の影はなく、確かな意志の光が宿っている。
「私の両親が、どうして駄目になったのか。それは、きっと、二人が一緒にいる時間が、あまりにも少なすぎたからだと思うの。だから、私は……私達は、そうなりたくない。毎日、ちゃんとおはようって言って、おかえりって言い合える、そういう生活がしたい。そのために、何ができるかなって、ずっと考えてた」
彼女の強い想い。遥斗と一生を共にしたいと願う、その切実な祈りが、彼女に、一つの、そして、これ以上ないほど確かな答えを導き出していた。
「この町で、公務員になりたい。二人で、一緒に」
その言葉を聞いた瞬間、遥斗の心の中にあった、未来に対する漠然とした霧が、すっと晴れていくのを感じた。そうだ、それだ。それこそが、自分たちが目指すべき道だ。自分が生まれ育ったこの町に貢献し、そして、何よりも愛する人の、たった一つの願いを叶える。それ以上に、誇らしい生き方があるだろうか。
「……ああ。なろう、二人で。それが、俺たちの未来だ」
遥斗は、ただ、力強く頷いた。琴葉の決意を、彼は、全面的に、心の底から支持した。それはもはや、琴葉だけの願いではない。二人の、共通の、そして唯一の目標となった瞬間だった。
翌週末。二人は、電車に乗って、隣町の大きな書店へと向かっていた。目的は、ただ一つ。公務員試験のための、参考書を手に入れるためだ。ずらりと並んだ、分厚く、難解そうな専門書の数々。その物量に、一瞬、気圧されそうになるが、隣に立つ遥斗の、頼もしい横顔を見ると、不思議と、勇気が湧いてくる。
その夜。高木家の、静まり返ったリビング。テーブルの上には、昼間買ってきたばかりの、真新しい参考書が、二組、行儀よく並べられていた。インクの匂いが、まだ微かに残っている。
二人は、テーブルを挟んで、向かい合って座っていた。これから始まる、長く、険しい道のり。その覚悟を確かめ合うかのように、互いの真剣な眼差しが、静かに交差する。
やがて、どちらからともなく、参考書の最初のページを開いた。カリ、カリ、と、ノートにペンを走らせる音だけが、夜遅くまで続く、静かな部屋に響き渡る。
それは、二人が、恋人から、未来を共に創造する「パートナー」へと変わるための、静かで、しかし、確かな決意の音だった。
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