第十一話:{CSS}の使い手


「見に行こう、友人トモよ!」


 ディアボロスの無邪気な号令一下、ベヒーモスは大きく旋回し、発見したという「異次元のスキルの使い手」がいる森の一角へと、猛スピードで急行を開始した。白龍であるリリアも、それに静かに付き従う。


 目的地が近づくにつれて、祐樹は眼下に広がる光景に、強烈な違和感を覚え始めていた。森だ。どこまでも広がる、ただの森のはずだった。


 だが、その「見た目」が、明らかにおかしい。


(なんだ……? 木々が、妙にクッキリして見える……?)


 まるで、世界と絵の境界線が曖昧になったかのようだ。全ての木、全ての岩、全ての草花に、くっきりとした黒い輪郭線が引かれている。そのせいで、現実の風景のはずなのに、どこか作り物めいた、奇妙な立体感があった。


 極めつけは、影だ。

 太陽は、まだ昇りきったばかりで、東の空にある。ならば、影は全ての物体の西側に落ちるはずだ。だというのに、眼下の森の物体は、その法則を完全に無視して、全てが真下に、あるいは右下に、半透明の黒い影を落としていた。まるで、物体の形に沿って切り抜かれた、黒い膜を地面に貼り付けたかのようだった。


 リリアが高度を下げ、森へさらに近づいていくと、その異常さはさらに増した。

 一行が近づいた瞬間、茶色だった岩肌が、ふわり、と鮮やかな青色へと変化したのだ。まるで、見えない何かの気配に反応しているように。


「……!」


 祐樹は、確信した。

 この現象を引き起こす力の正体を。

 ディアボロスが、あの時言っていたスキルの正体を。

 脳裏に、あの白い空間で、女神が言った言葉が蘇る。


『世界の見た目と装飾を司る力――CSS』


 そうだ。これは、スキルなんかじゃない。

 この世界の「見た目」だけを、誰かが自在に塗り替えているのだ。

 間違いない。この森にいるのは、祐樹が拒絶した、もう一つの力を持つ者だ。


 やがて、一行は森の中の開けた場所へと降り立った。

 リリアは光と共に再び少女の姿へと戻る。


「うっひょー! 面白そうな場所だな! おい、もう一人の手品師! どこにいる! 出てきて我と遊べー!」

 ディアボロスは、新しい遊び場を見つけた子供のように、ウキウキした様子で辺りを見回し、大声で呼びかけている。


 だが、返事はない。

 相手は、巧みに身を隠しているようだった。


「ディアボロス様、魔法で探知することはできないんですか?」

 祐樹がそう進言すると、ディアボロスは心底つまらなそうに、ぷう、と頬を膨らませた。

「それができんから、面白いのだろう。どうやら、そいつも貴様と同じでな。魔力が、ゴミなのだ。魔力が探知できん」


(魔力がゴミ……俺と同じ!)


 祐樹は、まだ見ぬ相手に、妙な親近感を覚えた。

 リリアとベヒーモスも、それぞれ龍の鋭敏な感覚と、ワイバーンの野生の嗅覚で周囲を探っているが、完全に気配を消されているのか、二人とも不思議そうに首を傾げるばかりだ。


(見た目を、完全に消しているのか……? でも……)


 祐樹は、思考を巡らせる。


(そうだ、あの時と同じだ……! 俺が木の枝でエラーを起こしたり、おしるこを作ろうとして失敗した時、物体は消えたのに、そこに『<div>の枠』だけがある、あの奇妙な感覚……! 見た目が消されていても、存在の『骨格』は残っているはずだ!)


 祐樹は、意識を集中させ、片っ端から辺りを見渡す。

 木々や岩、その一つ一つに意識を合わせ、存在の輪郭を探っていく。

 「見た目」を操る力なら、輪郭自体は消すことはできないはず。

 世界の「骨格」を司る俺の力なら、その隠れた輪郭を探知できるかもしれない。


 そして――見つけた。


  …

  <div class="human_female" id="character-karen" >…</div>

  …

 


 木々の間に、ぽつんと、不自然に存在する、人間サイズの空白の「枠」。

 そこには、何も見えない。だが、祐樹の目には、確かに、何かが存在する「骨格」だけが、くっきりと見えていた。


(いた!)


 祐樹は、ディアボロスたちに気づかれぬよう、静かにその枠へと歩み寄った。


 あと数メートル、というところまで近づいた、その時。

 その透明な枠が、びくん、と震え、次の瞬間、とんでもない速さで森の奥へと逃げ出したのだ。


「あっ、待て!」

 祐樹は、咄嗟に地面を蹴った。


 素早さ100。彼の体が、まるで弓から放たれた矢のように加速する。

 景色が後ろへ流れ、風が頬を鋭く切り裂く。岩を、倒木を、まるでハードル競技のように飛び越え、彼は透明な人型を猛追した。


 (後ろでは、異変に気づいたリリアが、10m以上離れまいと、文字通り命がけで祐樹を追いかけているなど、彼は知る由もない)


 祐樹は、相手の逃走ルートを予測し、大きく回り込むようにして、その進路を塞いだ。

 透明な枠は、目の前に突然現れた祐樹に驚き、ぴたり、と動きを止める。


 はぁ、はぁ、と荒い息をつきながら、祐樹は、賭けに出た。

 この世界の人間には絶対に理解できない、しかし、相手が「同類」ならば、必ず届くはずの言葉。


「はあっ、はあっ…君が、やったのか!? この森の…この、世界の『見た目』を変える、その力!」


 祐樹は、必死に言葉を続ける。

「俺は、世界の『骨格』を変える力を持ってるんだ! 女神はそれを『HTML』と呼んでいた! 君の力は、もしかして『CSS』じゃないのか!? 敵じゃない、話がしたい!」


 その、あまりに突拍子もない呼びかけに、透明な枠は、完全に動きを止めた。


 数秒の、永遠にも思える沈黙。


 そして、次の瞬間。

 まるで、そこに掛かっていた透明な膜が、剥がれ落ちるかのように。

 祐樹の目の前の空間に、**ぱっ**、と一人の少女の姿が、現れた。


 夜空を溶かしたかのような、美しい青色の髪。

 こんな森の中には、あまりにも場違いな、角ついたフリルが幾重にも重なった豪華なドレス。

 彼女は満月のような瞳を見開き、呆然と祐樹を見つめていた。


「――キミ、本当に?」


 か細い、鈴を転がすような声が、静かな森に、響いた。

 祐樹は、目の前の少女があまりにも呆然としているのを見て、こくりと頷いた。


「ああ。俺は、相葉祐樹。君は?」


「……カレン」

 少女――カレンは、まだどこか信じられないといった様子で、きょとんとした表情のまま祐樹を見つめている。


「あの……キミも、会ったの? 白くて、綺麗で……女神様、みたいな人に」


「ああ、会った!」

 祐樹は、思わず声を大きくした。間違いない、彼女は自分と同じだ。


「俺は、あの人から力を授かったんだ。世界の『骨格』を司る力だって」


 その言葉に、カレンの表情が、驚きから確信、そして安堵へと変わっていくのが見て取れた。彼女は、ふわりと花の綻ぶような笑みを浮かべた。


「やっぱり……! わたしは、『見た目』を司る力を授かったの。キミと、対になる力だね」


 予想通りだった。

 祐樹は、安堵と共に、この世界で初めて「仲間」と呼べるかもしれない存在に出会えたことに、胸が熱くなるのを感じた。


「じゃあ、君も使えるのか? 視界の端に出てくる、あの青いウィンドウとか……」


「うん、使えるよ」

 カレンは頷く。


「[全画面表示を終了]とか、[←戻る]とか……わたしの場合、[{c}ページのソースを記述]を使って、物体の見た目を変えられるの」


 なるほど、権能を持つものは、共通のツールバーを持つのか。


「ただ」と、カレンは少しだけ困ったように付け加えた。

「わたしの力は、すでにあるものの『見た目』を変えることしかできなくて……。だから、そこに何も実体がないと、いくら力を込めても何も表示できなくて、意味がないの」


 話を聞く限り、彼女もこの力を手に入れたのは、ごく最近らしい。

「わたし、昨日までこの森の近くの村で、貧乏な暮らしをしてて……。でも、昨日、女神様にこの力を授かって、まずは自分の服を、思い描いた通りのドレスに変えてみたの」

 そう言って、彼女は嬉しそうに自分のドレスの裾をひらひらと揺らす。


(なるほど……だから、こんな森の中に場違いなドレス姿で……)

 そして、この周囲の奇妙な光景は、彼女が力を手に入れて、色々と試しているうちに出来上がった「実験場」というわけか。


「でも、キミはすごいね。わたしの姿が見えないのに、よく見つけられたね」


「いや、俺はただ、君がいる『枠』が見えただけで……」


「ふふ。それは、display: none;って呪文を、わたしに書き加えたの。キミは、姿が見えなくても、その『枠』ってやつが見えるんだね」


「でぃすぷれい……? のーん……? 」


 祐樹は、彼女の口から飛び出してきた、意味不明な呪文に、完全に思考を停止させた。

 それは、紛れもなく、あの拷問のような講義で聞いた「古代遺跡の暗号」そのものだった。なぜだ。なぜ、彼女は、こんなにもスラスラと、この力の「専門用語」を解読し、覚えているんだ?


 いや、違う。


 そもそも、祐樹は値を変えたりコピペするだけで、実際にプログラムを学ぶ事なんて一回もしていなかった。ただ、プログラムを消費するだけで、概念は何となく分かるが、専門用語など理解しようともしていなかった。

 


 対して、彼女はこの森で様々な実験を通して、プログラム——彼女の言う呪文を学んでいるのだろう。専門用語を多少なり使えるのは、当たり前だ。


 祐樹が、その根本的な応用レベルの違いに愕然としている、その時だった。


「――あの、勇者様……?」

 森の奥から、静かな、しかし慈愛に満ちた声が響き渡った。

 後ろを見ると、10mギリギリの範囲で、リリアがこちらを困惑の表情で見つめている。そういえば、リリアは祐樹から10m以上離れると死んでしまうのだった。


 さらに運が悪いことに、その後ろでは、バキバキと木々を破壊し、ディアボロスが満面の笑みでこちらへ歩いてくる。その後ろには、ベヒーモスの姿もあった。


 その、異形の者たちの姿を認めた瞬間。

 カレンの顔から、さっと血の気が引いた。


「ひっ……! な、なに、あれ……」


 彼女の体は、先ほどまでの快活さが嘘のように、カタカタと震え始める。

 無理もない。昨日までただの村娘だった少女が、いきなり魔王と二頭の龍に遭遇したのだ。恐怖で気を失わないだけ、大したものだろう。


 祐樹は、咄嗟にカレンの前に立ち、庇うような体勢を取った。

 まずい。まずいことになった。

 ディアボロスは、カレンを、自分と同じ「面白い玩具」としてしか見ていない。

 このままでは、彼女も自分と同じように、あの悪魔の気まぐれに囚われてしまう。


 祐樹は、背後で震える少女の気配を感じながら、これから始まるであろう、あまりにも理不尽な邂逅に、奥歯を強く噛み締めることしかできなかった。

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