第十話:二頭の管理者と黄金の夜明け

 リリアとの間に、奇妙な相互理解が生まれた夜。


 祐樹は、ひとまず彼女にゆっくり休んでほしいと、客室の外にあるであろうメイド用の部屋で休むように促した。しかし、彼女は申し訳なさそうに、首につけられた漆黒の首輪にそっと触れた。


「あの、ユウキ様……申し上げにくいのですが……」

「ん?」

「この首輪は、主である貴方様から半径10メートル以上離れると、わたくしの命を維持する魔力の供給が絶たれ、死に至る、と……」


「なんだそのご都合主義な設定は!?」

 祐樹は、思わず心の声を叫んでいた。


 あまりにもゲーム的で、あまりにも漫画的な、そしてあまりにも祐樹とリリアをこの部屋に縛り付けるための、都合の良すぎる制約。ディアボロスの趣味なのだろうか。


 こうして、祐樹はリリアを部屋に置いたまま、一夜を明かすことになった。

 当然、天蓋付きのキングサイズベッドで一緒になど、冗談じゃない。倫理的にも、祐樹の心臓的にも、絶対に避けなければならなかった。


「わ、わたくしが床で眠ります! 勇者様を床になど、とんでもない!」

「いや、俺が床で寝る! 俺は勇者(仮)だから、このくらい平気だ! いいから、君はベッドで休んでくれ!」


 謎の押し問答の末、祐樹は半ばゴリ押しでその取り決めを決定させた。リリアは最後まで恐縮していたが、主(仮)の命令には逆らえなかったらしい。




 ……翌朝。


 **バタン!**と、デリカシーの欠片もない音を立てて、客室の扉が開け放たれた。

 現れたのは、案の定、擬人化したベヒーモスだった。彼女はノックという概念を知らないらしい。


 彼女は、部屋の中の光景を一瞥すると、その眉をぐっとひそめた。

 豪華なベッドの上では、金髪の少女が、すやすやと幸せそうな寝息を立てている。

 そして、そのベッドの傍らの床には、雑に毛布にくるまった男が、ミミズのように転がっている。

 ベヒーモスの瞳に、下品なものを見るような、最大級の侮蔑の色が浮かんだ。


(……なるほど。そういうプレイか。ますますもって、下劣な男だ)


 彼女の中で、祐樹の評価がさらに地に落ちたことなど、彼は知る由もない。ベヒーモスは、その重大な勘違いを胸にしまったまま、何も言わずに、ただ冷たく告げた。


「起きろ、汚物。ご主人様が、朝の散歩にお前を連れてこいと仰せだ」


 その声で、祐樹は目を覚ました。慌ててリリアを起こすと、彼女は眠そうに目をこすりながら、頭に巨大な寝癖をこさえていた。そのあまりに無防備な姿に、祐樹は少しだけ和んでしまう。


 祐樹は、寝癖が芸術的な領域に達しているリリアを引き連れ、ベヒーモスについていった。


 城の中庭に出ると、ディアボロスが腕を組んで待っていた。彼は祐樹の姿を認めると、ぱあっと顔を輝かせる。それは、初めて友達ができて、一緒に遊びに行くのを待ちきれない子供のような、無邪気な笑顔だった。


「来たか、玩具! ……いや、今日から貴様は我の友人だ! さあ、散歩に行こう!」

「は、はあ……」


(散歩……?)


 ベヒーモスは、まあわかる。

 彼女の本来の姿はワイバーンだ。空を飛ぶのが、彼女にとっての散歩なのだろう。



 うん?



 ちょっと待てよ。



 この城にいるのは、ディアボロス以外、全員が擬人化した魔物のはずだ。

 

 ということは……。


「……リリアさんって、もしかして」

 祐樹が、恐る恐る隣でまだ目をこすっているリリアに問いかけると、彼女はこくりと頷いた。


「はい。わたくしは、『白龍』です」


「やっぱ魔物!?」


 しかも、白龍? それって、『終焉の剣聖と始まりの聖女』に出てきた、聖女のパートナーだった神聖な魔物じゃなかったか? なんでそんなのが、魔王城のメイドに……。

 祐樹が新たな謎に頭を悩ませていると、リリアは「では、失礼します」と一言断って、ふっと目を閉じた。


 彼女の体が、淡い光に包まれる。

 次の瞬間、光が弾け、そこにいたのは、小柄な少女ではなかった。

 月光をそのまま固めたかのような、白銀の鱗。天を衝くかのようにしなやかに伸びる、二本の角。そして、世界の全てを見通すかのような、気高く、慈愛に満ちた蒼い瞳。

 全長20メートルはあろうかという、巨大で、荘厳で、あまりにも美しい、一頭の白龍がそこにいた。

(もちろん、10m以上離れると死んでしまうため、窮屈そうに体を曲げてはいたが)


『ユウキ様。さあ、わたくしの背中へ』

 凛とした、しかし優しい声が、祐樹の頭の中に直接響く。

 祐樹は、ただただその神々しい姿に圧倒されていたが、ふと、我に返った。


「……あの、どうやって登れば?」

 見上げるような高さだ。ハシゴでもあるんだろうか。


「ぶはははは! そこからか、友人! 面白い!」

 そのやり取りを見ていたディアボロスが、腹を抱えて笑い転げている。彼は、雑に祐樹へと手を向けると、ふわり、と祐樹の体を魔法で浮かせ、リリアの背中へと運んでくれた。


 こうして、漆黒のワイバーンと、白銀のドラゴン。そして、その背に乗る、二人の主人(?)。奇妙な一行は、魔王城から、朝の空へと飛び立った。


 その瞬間、祐樹は、息を呑んだ。

 昨日まで、城の周りを覆っていた禍々しい暗雲が、嘘のように晴れ渡っている。

 眼下に広がるのは、地平線の彼方まで続く、どこまでも雄大な大森林。


 そして、東の空。

 地平線から、ゆっくりと太陽が顔を出し、世界を黄金の光で染め上げていく。

 雲一つない、完璧な日の出。


(きれいだ……)


 バグだらけで、狂った住人ばかりで、どうしようもなく歪んだ世界だと思っていた。

 だが、この世界は、こんなにも、美しい。


 祐樹は、そのあまりに荘厳な光景に、ただ、心を奪われていた。




 

 白龍となったリリアの背中は、驚くほど安定していて、まるで高級な絨毯の上に寝そべっているかのようだ。吹き抜ける風は心地よく、肌を優しく撫でていく。


 隣を飛ぶベヒーモスに乗せられていた時の、全身を叩きつける暴力的な風圧と、振り落とされまいと必死にしがみついた恐怖とは、まさに天国と地獄の差だった。


 その、束の間の平穏を打ち破ったのは、やはり、あの男の声だった。


「おーーい、友人トモよー!」


 数十メートル先を飛ぶベヒーモスの上から、ディアボロスがひっきりなしに話しかけてくる。その声は、不思議なことに、風の音にかき消されることなく、クリアに祐樹の耳へと届いた。


「貴様、一体どうやってこの魔王城の近くまで来たのだ!? 我が魔王軍の監視網は、蟻一匹通さんはずだが!」


「どうやってあの服を出したのだ! 教えてくれ!」


「あの素早さは何なのだ! 我の魔法でも、あそこまで一点集中の速度強化は難しいぞ!」


 質問の嵐。それは、尋問というよりは、新しい友達に自分の知らない遊びを教えてほしいとせがむ、純粋な好奇心の塊だった。


(友達、ねぇ……)

 祐樹は、背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、当たり障りのない返答を必死に脳内で組み立てる。


「い、いきなり謎の魔法陣が光って、気づいたらここに飛ばされてまして……」


「手品は、その……子供の頃から、練習してるだけで……。ディアボロス様の魔法の方が、よっぽど手品みたいですよ」


 我ながら、百点満点の答えだ。相手を立てつつ、自分の情報は一切明かさない。

 その答えに、ディアボロスは「ふむ、そうか!」とあっさり納得したようだった。

 

 本当に、友達との会話を楽しんでいるかのようだ。

 一つセリフを間違えれば、次の瞬間には、この美しい空から真っ逆さまに落とされて、首がなくなることを除けば。


 そんな、命懸けのフレンドリータイムがしばらく続いた、その時だった。

 不意に、先行していたベヒーモスが速度を緩め、鋭い視線で遥か下方の森林の一点を凝視した。彼女の喉が、グルル、と低く鳴る。


 そして、背中に乗るディアボロスに何事かを耳打ちする。

 祐樹にはその内容は聞こえなかったが、ディアボロスの表情が、みるみるうちに変わっていくのが見て取れた。


 最初は、わずかな驚き。

 それが、次の瞬間には、最高の娯楽を見つけたかのような、満面の笑みへと変わる。

 それは、祐樹が初めて「面白い玩具」と品定めされた時と、全く同じ種類の、無邪気で、残酷で、底なしの好奇心に満ちた顔だった。


 ディアボロスは、きらきらと瞳を輝かせながら、祐樹のいるリリアの方を振り返った。

 そして、心底嬉しそうに、こう言ったのだ。


「友人よ、朗報だ!」


「……はあ?」


「どうやら、あの「異次元のスキル」の使い手が、再び現れたらしいぞ!」

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