第6話


 「スタミナ制限も同じです」

 幹部は指先でテーブルを叩き、リズムを刻むように言葉を置いていった。

 「三十分で回復か、一時間で回復か。人は“あと少し”に弱い。ログインボーナスを絡めると、さらに効果的です。次の日も来なければ損をする、という意識を無意識に植え付けられる」

 

「つまり、やめ時をなくすわけですね」

 「そうです。やめ時を消す。それが最も効率のいい課金導線になる」


 優はノートに大きく“やめ時を消す”と書いた。これは、依存の回路設計そのものだ。


 「ランキングも同じ理屈です」

 幹部は少し笑みを浮かべた。

 「一位を取らせる必要はない。むしろ二位や三位のほうがいい。“あと少しで届く”という感覚が課金を呼び込むから」

 「ある元課金廃人の方が言ってました……“あと一歩で届くと思った”って」

 優の言葉に、男は小さくうなずいた。

 「それは、設計通りということです」


 その一言が、優の胸に冷たく沈んだ。

 斎藤の体験は個人の弱さではなく、構造の必然だった。

 人の感覚は、会議室で数字として測定され、翌月の施策に反映されていた。


 「そうやってハマる人がいることがゲームの“面白さ”という価値観でした。楽しさという定性面は測りづらいですが、定量面の最大指標である“課金額”はわかりやすい。それが現実だったんです」


 「ひとつ、率直に聞いてもいいですか」

 優は、ノートを閉じてペンを置いた。

 「利用者が依存して、生活を壊していく姿を見て……怖くなったりはしなかったんですか」


 「正直に言えば、当初は怖さは感じませんでした。当時の私にとって、あくまで数字上での出来事でしかなく“感じる余地がなかった”と言ったほうが正しいですね」


 「どういう意味でしょう」


 「数字が伸びていれば、それが正解だと思っていたんです。ユーザーが多額の課金をしてもその背景までは慮る余裕ありませんでした。各イベントなどの施策を通じて、売上が伸びれば評価される。会社にとっては、それが“良い仕事”とされていましたから」


 その言葉は、刃物のように冷たかった。

 優は喉に硬い塊を飲み込むようにして、呼吸を整えた。


 「では……誰かを犠牲にしても構わない、と?」

 幹部は、表情を変えずに首を振った。

 「構わない、ではなく“考えない”。利益を生まない正しさを追えば、会社は潰れる。社員の生活も消える。だから、利益を守ることが正義だったんです。だが…。」と、元幹部は続けた。


「その考えは間違っていたと、今では思います。私自身、それに気付いてからは、仕事が手につかなくなって仕事を辞めましたから」と、元幹部は吐露する。


「何かあったんですか?」


「オフラインイベントを開催することになったんです。そこで重課金者と遭遇しました。私のイメージでは月に20万、30万と課金している人たちは余裕資金を使っている“お金持ち”だという認識だった。いや、本音をいうと自分の仕事を正当化するために“そう思おう”としていたんです。しかし、そのうちの一人に“……楽しんでいただけましたか?”と声をかけたら…」


「声をかけたら、どうだったんですか?」優が、続きを促す。


「もう、今回で“最後にします”と。“次の大規模イベントに参加するまでやったら、破産しますよ”と真顔で言われたんです。それを聞いて、現実を突きつけられました。“ごく普通の人の人生を狂わせてしまっているんじゃないか?”とね。そして、私のメンタルはそこまで強くはなかったんですよ。マネタイズにつながる施策を考えるために、“誰かの人生を壊しているんじゃないか?”という疑念が頭をもたげてくる。そうなると、仕事が手につかなくなりました。医者からは“抑うつ状態”ですと告げられました。それで、退職したんです」


 喫茶店のスピーカーからは、軽快なジャズが流れていた。

 だが、優の耳には、その旋律が空っぽなノイズにしか聞こえなかった。

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