第2話 セレクトセール
⭐︎とある女性視点
競走馬のセレクトセール。
それは日本で大注目の競市である。
低価格落札馬でも数千万円はするという。過去には6億を超える額で落札された馬もいて大きな話題となった。
そんなビッグなマネーがムーブする場所に一世一代の覚悟を持って参加する1人の男と付き添いの女性。つまり私こと一ノ瀬 明梨がいる。
「佐々木社長、本当に行かれるんですか?」
「もちろんだ。私は競走馬のセレクトセール会場に行く」
この人は佐々木 昌幸。佐々木商事の社長。温和な性格で社員にも好かれる優しいおじさん社長。
決して大手商社とは言えないが、長年真面目にやってきたおかげでコツコツと利益を伸ばしており経営が順調な会社の社長だ。
私と佐々木おじさんは家がお隣りさんで小さい頃はよく遊んでもらった。大学を卒業した後、佐々木商事に就職。今は経理部として働かせてもらっている。
長年顔を合わせては雑談をしていたからかなり気心知れた仲になっている。
しかし今日は何かが違う。私は今日オフの日だから自室でのんびり窓の外を見てた。そしたらちょうど佐々木おじさんが玄関から出てくるところだったんだけど様子がおかしかった。
ただならぬ顔してスーツをバシッと決めて出て行こうとするもんだから心配になって付き添いで来てしまった。
今思えば別に来なくてよかったよね。まぁ暇だったからいいかな。
「何で突然?競馬好きは知ってますけど自分が馬主になろうなんて考えてもいなかったじゃないですか」
私は幼い頃からの付き合いから、接する態度もかなり気安い。
「今日はね……私の娘が売りに出されるのだよ!」
「………………」
「熱はない、熱はないぞ明梨君。自分の額と私の額に手を当てて確認しなくても大丈夫だ」
「本当ですか?何だかとち狂っていらっしゃるので」
「辛辣!」
佐々木おじさんにはひとり娘のユキちゃんがいたけど……5年前に病気で亡くなっている。
奥さんにも先立たれていた佐々木おじさんは当時自殺してしまうのではないかと思うほど落ち込んだ。
それでも佐々木おじさんは生きていくことを選んだ。天寿を全うして胸を張って妻と娘に会うと言っていたのだ。
「おじさん……」
もしかして本当はおかしくなってるんじゃないか。家族を失うというのは乗り越えられるような悲しみではないのではないか?
「いや、明梨君、深刻そうな顔してるけど本当に娘なんだよ。私にはわかるんだ。そして明梨君も見ればわかるかもしれないぞ」
私もユキちゃんとは面識があった。というより姉妹かのように一緒に遊び、育ってきた。
「わかりました。どうせ暇ですから一緒に行ってセレクトセールを楽しませていただきます」
◇
セレクトセールが開始された。
続々と未来の競走馬たちが紹介され、次々落札されていく。
「おじさんあの馬7500万ですよ!その前は5000万だったし、私の実家が2500万だから実家3個分と実家2個分ですね。額が異次元すぎて目ん玉飛び出そうです!」
「か、変わった数え方するね」
競走馬の競りは額がすごい。いい馬は億の資金を用意しても落札が難しいらしい。
「次が出てきましたよ」
「あの馬は……」
おじさんの様子が変わった。あれがユキちゃんだって言うの?えーっとあの馬の情報は
――牡馬。つまりオス。
絶対違うでしょ!!せめて性別くらい同じであってよ!
「おじさん違うよ!?絶対ユキちゃんじゃないよ!?そもそも牡馬だよ!?」
何とかおじさんの目を覚さないといけないと思って必死に説得にかかる。
「いやいや、この馬は娘じゃないぞ?明梨君の勘違いだ」
「そ、そうですよね。すいません……」
「しかし……あの馬を買おうと思う。安ければだが」
「それは何故です?目当ての馬だって買えるかわからないんでしょ?」
一頭数千万円の買い物だ。おじさんが狙っている馬がいくらになるかわからないけどここで資金を減らす意味はあるのだろうか?
「あの馬を買わなければ娘と再会できない気がするんだ。漠然としていて理由はわからないんだが、そう思う」
おじさんはどうしたんだろう。今日はほんとに意味不明だ。
「って言うかあの馬……安すぎじゃない……?」
「買えるな」
何と驚きの100万!実家0.05個分!それなのに誰も手をあげない!
「逆に怖くないですか?何かあるんじゃ?って入札してるうぅぅう!」
「即断即決は経営者の資質だ」
「もっと思慮深く生きてください!この前だって赤字の仕事決めてきちゃったばかりでしょ!」
結局誰も競りかけて来ず、そのままおじさんが落札で決まった。佐々木オーナーの誕生だ。
「心なしか落札額が決まった時あの馬「嘘でしょ!?」みたいな反応しませんでした?」
「賢い馬なんだろう。いい買い物だったかもしれないな」
賢いで済まされるのかなぁ……?
……いやいや、たまたまに決まってるよね。自分の落札金額を理解して「え……俺の落札金額安すぎ……」みたいなこと考える馬がいるわけない。
「目当ての馬が買えなくなっても知りませんよ」
「それは困るが……」
「それでいくら用意したんですか?おじさんの気合いから察するにかなりの額を用意したんじゃないですか?」
まさか全財産とか持ってきてないよね?今日のおじさんは暴走してるから心配だ。
「1億6千万用意した」
「え!?おじさんそんなに貯金があるんですか?やっぱり社長さんともなるとすごいんですね」
「貯金も含まれているが借金も可能な限りしてきた」
「ちょ!?ちょちょっちょっちょっちょちょと待て待て待て」
「ず……ずいぶんリズミカルな驚き方だね」
馬鹿だこの人……。ほっといたら破滅する。
「おじさんダメ。それはダメ。自暴自棄すぎ」
「娘を取り戻すための資金だ。悔いはない」
目が座ってる……。止めなきゃ……馬を娘と勘違いして全財産と借金分まで全放出なんてことになったらおじさんの人生が終わっちゃうよ。
「娘が……雪華が出てきたぞ!」
次の馬が出てくるなりおじさんの目の色が変わった。とても綺麗な白馬。ちゃんと牝馬――メスだ。あれがおじさんの娘で私の親友のユキちゃん?
生まれ変わりがあの白馬だと思ってるってことなんだろうけど、私にはわからない。おじさんは何でそう思ったんだろうか。
「おじさん、私にはやっぱりわからないよ」
「そうか。しかし私には雪華にしか見えない。テレビでたまたまドキュメンタリーを見た時からずっと」
たまに教育放送としてやってるやつね。私も仔馬可愛いと思ってたまに見てるやつ。
「一体おじさんに何が起こってるのか……。謎は深まるばかりだよ……」
そんなことを話している間も競りは続く。
だんだんと価格が釣り上がっていき、1億3千万を超え たあたりで競り合いが緩やかになる。
ついに白馬の価格が1億4千万を超えた。
「おじさん無理だよ無理!1億4千万なんて出したらおじさん大変なことになるよ!」
「1億6千万!」
「人の話を聞けえええええ!」
やった……やってしまった……。私はおじさんを止められなかった。
「明梨君、これでいいんだ。いつかきっと明梨君にもわかる」
「いや絶対わからないでしょ」
おじさんはやり切った顔をしている。
既に競りは緩やかになっていたところに2千万アップの1億6千万入札だ。これはおじさんに決まってしまう可能性が高いんじゃないだろうか。
そしたらおじさんは借金地獄に……。
私が自分の無力を嘆き、おじさんのこれからを心配していた時に新たな手が上がる。
「2億!」
「んな!?」
「えええ!?」
一気に額が上がって2億!マジですか……。私の実家8つ分ですよ。すごい……。そしてこれでおじさんは借金地獄に落ちなくてすみそうだ。
「ふおおおおおおおっ!ぐぅおおおおおお!」
泣いてる!?ガチ泣きじゃないですか!?
ちょ!?握り込んだ指先の爪が手に食い込んで血が出てますよ!?
おじさん……本当に本気のマジだったんだね……。
何だか私まで悲しい気持ちになってしまう。
結局この2億でハンマーが下りた。
「落札者は円城寺様です!」
円城寺 剛太郎 実業家として有名な人だ。あの人だったら2億は問題なく払える額なんだろう。
円城寺さんがセリに参加するのはここまでのようでそのまま去っていった。
その背中を見つめるおじさんの顔は悔しさ、絶望、不安など幾つもの感情が入り混じっていた。私は生涯この顔を忘れることはないと思う。
これが娘を目の前で連れて行かれる父親の顔なんだ。
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