03.黒ねこのシェイナ

 シェイナにミルクの入った皿を置きながら、フローゼは小首をかしげる。

「私には用のない場所だから、あんまり入ったことがないのよね。小さい方は……んー、何て言えばいいのかしら。おじいちゃんやお父さんの研究室みたいなものね。部屋ではできない、魔法の研究や勉強をしてるわ」

 魔法使いが使う道具類なども、そこに置かれているらしい。

「大きい方は、書庫よ」

「書庫って……個人のものにしてはかなり大きいみたいだけど。あそこには本しかないのか?」

「うん。昔からある魔法書が、全体の半分くらいかしら。ひいおじいちゃん以前の人達が、持っていたものらしいの。で、おじいちゃんも若い時から少しずつ集めていたんだけど、本って別の本を呼んだりするのかしらね。魔法書もだけど、他の本なんかも人からもらったりして集まってくるの。で、置けなくなってきたから大きくしてってことを何度か繰り返してるうちに、あんなに大きくなっちゃった。あそこまでくると、ちょっとした村の図書館ね。魔法書がほとんどだから、村の人達には関係ないんだけど」

 フローゼの話を聞いて、建物の壁の色が違う理由がわかった。

「昔の魔法書、か……。フローゼ、そこを見せてもらえないかな」

 書庫だと聞いて少し考え、アートレイドは頼んでみた。

「え、書庫の中?」

「ネイロスさんは明日か、明後日か……とにかく、しばらく戻って来ない予定なんだろ? だったら、待つ間に俺が探す魔法が載ってないか、読んでみたいんだ」

 ただぼんやりと、時を過ごしたくない。できることがあるなら、とにかくやっておきたいのだ。

 せっかく近くに大量の魔法書があるなら、見逃す手はない。

「うん、いいわよ。魔法使いが魔法書を触っても、おじいちゃんが怒るとも思えないし」

 自分の持ち物ではないが、フローゼは了承した。

 詳しい話は聞いていないが、アートレイドは魔法を探している。魔法書は、魔法を使いたい人が読む本。

 そこに拒否する理由はないはずだ。

 フローゼに案内され、アートレイドとシェイナは書庫へ向かった。

「すっげぇ……」

 天井はそんなに高くないが、それでもぎりぎりの所の高さまで棚が伸びている。

 そして、その中にはぎっしりと本が並んでいた。アートレイドがこれまで見たことのない魔法書が、そこにはたくさんある。

 厚い本、薄い本、新しい本に古い本など色々あるが、どれも保存状態はいい。ちゃんと管理されているようだ。

 入口から中を見る限り、窓がない。光が入って本が劣化しないように、という配慮だろう。魔法使いなら、いくらでも明かりを出せるから問題ない。

「奥の方が、昔からある本よ。手前、つまり入口へ向かうにつれて新しい本が並んでいるわ。刊行された年月日順で、同じ年の本ならタイトルや番号順になっているから」

「本当に図書館みたいだ。おじいさん、几帳面な人なんだな」

 相当昔の本があるような話だったから、もっと雑然としているかと思っていた。

「本がとても好きなのよ。私が何をしてもほとんど叱らなかったけど、本を汚しそうになったらすごく叱るんだもん。まだ四つか五つの子どもによ」

 フローゼがその時のことを思い出したのか、苦笑する。

「子どもでも、本を汚すなんて耐えられないって感じかしら。という訳だから、汚さないようにしてね。アートが聞きたいことも、教えてもらえなくなっちゃうわよ。ここで読むなら、汚しようもないでしょうけど」

「ああ、わかった。ありがとう。しばらくここにこもらせてもらうよ」

「あまり根を詰めないでね。食事の用意ができたら、呼びに来るわ」

 フローゼはそう言うと、アートレイドを残して書庫を後にした。

「これだけたくさんの魔法書があるなら、見付かるかもな」

 足下を見ると、アートレイド以上に目を輝かせているシェイナがいる。

「お前は触るなよ。もし爪で本に傷ができたら、困るからな。フローゼが言ったみたいに、ネイロスさんが情報を知っていても教えてもらえなくなるだろ」

 アートレイドの言葉に、シェイナはむすっとなる。

「古い魔法書の方が、載ってる可能性がありそうだよな」

 言いながら、アートレイドは奥へと向かった。

 装丁の色が「いかにも昔」と思わせる本が並んでいる。無作為に取り出してみた本は黒い革表紙で、背表紙には金色の文字。表紙を開いた途端に、魔法があふれ出しそうに感じられた。

 いつの間にかシェイナがアートレイドの肩へ飛び乗り、そこから彼の手にある魔法書を覗き込んでいる。早く表紙をめくれ、と言わんばかりに細い前脚を振った。

 白いページの次に現れたもくじには、火の魔法や水の魔法など、属性別に様々な術の名前が並んでいる。

 かなり昔の本のようだが、ページが取れたり印刷がかすれたりした部分はない。古くても、本当に状態のいい本だ。

「ダメだな。これに載ってるのは、攻撃魔法ばっかりだ」

 シェイナが覗き込む前で、アートレイドは本を閉じた。

「にゃ~」

 シェイナが不満そうな声を出す。

「今は本を読む時間じゃないだろ。これだけの本があるんだ。目的の魔法を探すのに、どれだけ時間がかかるかわからない。本当にあるかどうかも怪しいし、のんびりしてられないっての」

 アートレイドは、その本を一旦棚に戻す。

 さっきは無作為だったが、改めて端の本を取り出してはもくじを確認する、という作業を始めた。

 余程不親切な魔法書でもない限り、もくじを見ればだいたいどんな魔法について書かれているかがわかる。そこに探す魔法がなければ次の本を見る、という単純作業だ。

 しかし、本はまさに山のようにある。一日や二日で終わる量ではない。これらを読んだのであろうネイロスには、早く戻ってくれと願わずにはいられなかった。

 一方、その作業をただ見詰めるしかできないシェイナは、明らかに不機嫌になる。

 触るなと言われるし、触らずに覗き込んでも、自分が思うようにゆっくりと見られる訳ではない。何もできなくてつまらない、とふてくされる。

 アートレイドの肩から降りると、シェイナは戸口の方へと向かった。アートレイドは、そんなシェイナに気付く様子はない。

 それを見て、シェイナはふんっと鼻をならし、外へ出る。

 書庫にいても何もできないし、フローゼは夕食の準備で忙しい。

 誰にもかまってもらえず、面白くないシェイナは、何となく村の中をぶらぶらと歩いていた。

「あ、ねこだぁ」

 子どもの声に、シェイナは振り返った。村の子どもが、こちらを見ている。

「見たことないよ、このねこ」

「どこから来たの?」

 五歳前後であろう、男の子と女の子だ。目を輝かせて、シェイナを見ている。

 こちらへ向かって走って来たので、反射的にシェイナは逃げ出した。

 まずいと思ったのは、逃げた方向がフローゼの家と反対だと気付いたからだ。

 戻ろうとすれば、そちらから追い掛けて来る二人の子ども。このままターンすれば、その子ども達とぶつかることになる。

 いくら小さな村とは言え、知らない場所を走り回って迷子になるのも困るから、おかしなルートへは行けない。

「ねぇ、まってよ」

「ねこぉー、まてー」

 書庫ではいらいらさせられるし、こうして外へ出れば追い掛けられる。

 シェイナの不機嫌度が、ピークに達した。

「ついて来ないでよっ!」

 その言葉を聞いて、子ども達の足がぴたっと止まった。

 それを見て、シェイナは「しまった」と思ったが、もう遅い。間違いなく、子ども達はシェイナの声を聞いたのだ。

 しかも、彼女の声を聞いたのは、その二人だけではない。

「な、何だ、今の……」

 農作業を終えたらしい村人が、たまたま近くにいたのだ。はっきりとシェイナの声が聞こえる距離に。

 そちらを見れば、三人もいる。誰もが目を大きく丸く見開き、口をぽかんと開けて。

 三人が同じ顔をしているのを見れば、全員がしっかり聞いてしまった、といやでも知らされる。みんな、大人だから「子どもの聞き間違い」などで済まされることはまずない。

「ねこが……しゃべった?」

「お、おい。人間の言葉をしゃべるなんて、魔物じゃないのか」

「ええっ、魔物っ? どうしてこの村に魔物が……。それに、まだ夜じゃないぞ」

「関係あるか。そんなことより、子どもが喰われちまうぞ」

 それを聞いて、シェイナはあきれた。

 ほんっと、田舎者ってすぐそういう考えに至るんだから。魔物全部が人間を喰う訳じゃないのに……って、あたしは魔物ですらないのよ! だいたい、どこの世界に赤いリボンを首に巻く魔物がいるっての。

 ますますいらっとした。振り返ると、子ども達は立ったまま硬直している。

 もう知らないっ。

 やけになったシェイナは、子ども達のいる方へと走った。

 村人達の「わーっ」という声が聞こえる。シェイナが子どもを喰うつもりで襲いに向かった、と思ったのだろう。子ども達も、顔を引きつらせている。

 ねこに対するトラウマができても、あたしの責任じゃないわよ。

 そう思いながら、シェイナは立ちすくむ子ども達を迂回した。そのまま、フローゼの家へと突っ走る。

 後ろでは、呪縛が解けたように子ども達の泣き出す声が聞こえた。

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