2 路地裏のネズミ

『ゴミクズどもの吹きだまり』


 下町の住民からも蔑まれ、忌避される地区にラトたちは住んでいた。

 最下層と見下される場所で、親なし子が身を寄せ合って。


 年長者たちが捕まって連れて行かれてからは半年が経った。生きていくためにどうすればいいのか考えて、試して、失敗して、また考えて。


 ラトが行きついた先は結局、兄貴のしてきたことと大差なかった。



 なにが悪かった。


 悪い手段の方が多くを手に入れられたという記憶を残していなくなった兄貴たち?


 最低限の食べ物しか手に入らないのに、キレイな理想ばかり口にしてサクシュされるばかりの新しいリーダー?


 気まぐれに野良猫にエサを投げるように食べ物の配給をして善人ぶる、街のお偉いさま?


 一度のチャンスを蹴ったラトのことなどもう忘れただろう、あれから一度も姿を見ない軍人の兄さんら?


 それとも──貴族の坊ちゃんの財布をかすめ取ったのを見逃さず、薄笑いを浮かべながら何度も何度も犯人の腹に靴先を埋めた護衛の男?


 悪いのはだれだ。

 まちがっているのは。


「おれは……まちがって、ない……」


 音にならない声。こんなかすれた声すら腹に響く。切れ切れに吐き出す息は、錆びた鉄臭くて気持ちが悪い。


「まちがって……ない…………」


 どうにか光のない路地裏の細小路に逃げ込んだ。繁華街のざわめきが近いのに、ずっと遠い。

 放置されて砂と枯れ草の積もった壊れかけの木箱の影に身を潜め、ラトはだれにも届かない声をふりしぼる。


「おれ、は……」


 まちがった。

 まちがったんだ。


 正しいことから顔を背けた。そんなんじゃやっていけないと、やってもないくせに。


 差し伸べてくれた手を見なかったことにした。どうせそんなものには裏があるんだろうと。信じて、また裏切られるのが怖かったから。

 施しのパンは礼も言わずにもらっておいて。プライドなんて食えないものを大事にした。


 これじゃ兄貴と変わらない。あんな、クソみたいな生き方はしたくなかったはずなのに。


 あのとき、あの軍人の兄さんらにこう言えていたら。なにかを変えられていただろうか。


『ありがとう』

『たすけてください』


 動かしてみたはずのラトの口は、もう笛のような喉鳴りの吐息以外に音をつくらない。

 伝えるべきだった相手には届かない。もう、決して。


(なんにも、イミがなかった。全部。おれの、人生)


 鼓動に合わせて脈打つ下っ腹の熱が、どんどん重く、深くなる。

 頬に、脚に腕に食いこんでいた小石の感触なんてとっくにない。

 まぶたが重い。このまま眠れば、腹の灼熱を感じなくてすむのかもしれない。楽になれるのかもしれない。もうよく見えない、かすんだ目をゆるりと閉じた。


 路地裏の暗い影でネズミみたいに終わる。

 きっと、それが自分の運命だったのだ。


 終わったあともネズミらしく、おれを知らないだれかにゴミみたいに片付けられるんだろう──


 嗤って、意識を闇にとかす刹那のこと。



「やっとみつけた」



 凜とした鈴の音みたいな。

 ひどく懐かしい、泣きたくなるような。そんな、知らない女の声を聞いた。気がした。


 都合のいい夢だったのか、現実だったのか。


 そのときのラトにはわからなかった。


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