第8話 無念を胸に
翌日、依頼を終えてギルドへ戻ると、広間はいつもと違う空気に包まれていた。
ざわめきはあるが、笑い声はどこにもない。
冒険者たちの視線が一点に集まり、低い声が交わされている。
「……暁の環が……」
「やられたらしい」
「でも、ひとりだけ……」
耳にした瞬間、心臓をつかまれたような感覚に襲われた。
慌てて受付へ向かうと、険しい顔の職員が言う。
「暁の環は郊外で何者かに襲われました。生きていたのはイレーネさんだけ……昏睡状態で、治療院に運ばれています。全身に切り傷があり、とても酷い有様です」
「……そんな……」
隣のミリアが小さく息を呑み、唇を震わせた。
その目にたちまち涙が浮かび、ぽろぽろと零れ落ちる。
「アレンさんも、ブラムさんも、カイルさんも……あんなに強かったのに……!」
絞り出すような声が震える。
拳を握りしめ、涙を拭おうとしても止まらない。
「みんな優しくて……イレーネさんまで……」
しゃくり上げながら告げるその言葉に、胸が締めつけられる。
彼女にとって暁の環はただの仲間ではなく、冒険者としての指針そのものだった。
その存在が一度に失われかけている現実が、彼女にはあまりに重いのだろう。
俺は言葉を失いながらも、震える肩にそっと手を回した。
支えられるのは、ただこうして寄り添うことだけだった。
「……同じ犯人、か」
「ええ。これまでの犠牲者と同じ特徴がありました」
受付嬢は苦い表情で頷く。
やはり例の連続殺人だ。
だが今回は、証言を残せる生存者がいる。
ギルドも動かざるを得ないだろう。
その予感はすぐに現実となった。
数日後、ギルドは正式に「調査隊」の編成を発表した。
冒険者を中心に、王国警備兵の一部も加わる大掛かりな捜索だ。
ギルドの広間に集められた冒険者たちの前で、ギルドマスター・ドルガンが一歩進み出る。
分厚い胸板を張り、手にしていた一枚の依頼票を高く掲げると――
「冒険者連続殺害犯を突き止める!」
その怒声が広間を震わせた。
次の瞬間、依頼掲示板へと歩み寄り、他の依頼票を押しのけるようにして、その紙をドンッと叩きつける。
通常の依頼票よりひと回り大きな羊皮紙には、太い文字で「調査隊募集」と書かれていた。
「参加を希望する者は名乗り出ろ!」
場に緊張が走る。次々と腕が上がり、名のある冒険者たちが前へ出ていく。
その流れに、俺とミリアも自然と歩み出していた。
――暁の環の無念を胸に刻みながら。
◆
ギルドの会議室は、普段の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
長机が並べられ、その周囲に三十人を超える冒険者が集まっている。
軽装の双剣使い、重鎧に身を包んだ斧戦士、ローブ姿の術師――名も知らぬ顔ぶれがずらりと並ぶ光景は、この街では滅多に見られない。
それだけ、今回の事件が重大であることを物語っていた。
広間の中央に立つのは、分厚い胸板を持つ壮年の男。
ガルド支部を束ねるギルドマスター、ドルガンだ。
机上の報告書に手を置き、低く響く声で告げる。
「……既に知っている者もいるだろうが、暁の環が襲撃を受けた。
生存者はイレーネのみ。治療院で昏睡状態にある。
現場には三つの死体が残され、いずれも無数の切り傷を負い、首を落とされていた」
重苦しい沈黙が広がる。
俺は息を詰め、隣でミリアが拳を握りしめる気配を感じた。
「暁の環は、濃霧の森での依頼に向かっていた。その道中で襲撃を受けたと、意識を失う直前にイレーネが証言している。
……彼女の言葉を無駄にするわけにはいかん」
ドルガンの声はさらに低く重くなる。
「首を落とされた被害者は、過去の事件でも数件あった。珍しいことではない。
だが今回を含め、犠牲者の多くは濃霧の森周辺で出ている。……犯人がそこに潜んでいる可能性は高い」
ざわ、と場が揺れた。濃霧の森――その名を聞いただけで冒険者たちの表情が曇る。
その中に、黒い外套を纏ったひとりの男がいた。
壁際に背を預け、渋い髭を指でなぞりながら人々を眺めている。
ラウガンだ。
緊張に呑まれることなく、ただ飄々とした笑みを浮かべている。
「よって、ギルドは三十名以上の冒険者を集め、調査隊を結成する。
濃霧の森を小隊に分かれて徹底的に洗う。……生きて帰れる保証はない。覚悟を持て」
「そこで各小隊の編成を発表する」
ドルガンは手元の羊皮紙を広げ、視線を走らせる。
「まず第一隊――」
ひとつずつ名が読み上げられていく。呼ばれた冒険者たちは小さく頷き、互いの顔を確かめ合った。
やがて、俺たちの名が響く。
「《蒼雷の守護》のユウタ、ミリア。魔法使いのレオン、それにラウガン。四人で一隊を組んでもらう」
「……」
隣でミリアが小さく息を呑み、俺の袖をぎゅっと握った。緊張と、不思議な不安が入り交じっているのが伝わってくる。
俺は彼女の手を軽く包み返し、低く囁いた。
「……嫌なら、ドルガンに言ってパーティーを変えてもらうか?」
ミリアはぱっと顔を上げ、ぶんぶんと首を振った。
「だ、大丈夫です! 逃げたりしません。ユウタさんが一緒なら……」
言葉の最後は少し震えていたが、瞳の奥に確かな意志が宿っていた。
俺は小さく息を吐き、頷いた。
「……わかった。でも、気が変わったらいつでも言え」
「……はい」
ミリアは一瞬きょとんとしたあと、ふわっと花が咲くように笑った。
その笑顔に触れた瞬間、俺の胸の奥で、暁の環の無念を晴らす決意がいっそう固まった。
「調査の開始は二日後だ。装備を整え、体を休めておけ。あと各小隊での顔合わせも忘れるな。以上だ。」
ドルガンの低い声が響き、会議室を満たしていた重苦しい空気が少しだけ緩む。
冒険者たちは椅子を引き、自然とそれぞれの隊ごとに集まりはじめた。
俺とミリアも立ち上がると、黒い外套の男が壁際で待っていた。
ラウガン。昨日も見かけたばかりだが、今は仲間として名を連ねることになる。
「よう、また一緒になるとはな」
隣のミリアは俺の袖をそっと握る。わずかに震える指先を感じながらも、彼女は勇気を出して小さく頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」
その時、軽い足音と共に若い声が響いた。
「こんにちは!!」
振り向けば、栗色の髪を短く刈り込んだ青年が立っていた。
年の頃は俺より少し下、十八か十九だろう。ローブの裾を慌ただしく整えながら、明るい表情で自己紹介をした。
「僕はレオンです。まだ駆け出しですけど、火系魔法とちょっとした回復なら任せてください!」
勢いよく頭を下げる青年に、ラウガンがくくっと笑う。
「おいおい、そんなに肩に力入れるな。命懸けの場じゃ、緊張は毒だぞ」
「は、はい……!」
レオンは耳まで赤くしながらも、必死に頷いた。
このパーティーは暁の環のような歴戦の仲間ではない。だが、この顔ぶれで濃霧の森へ向かわなければならないのだ。
ミリアが握る袖の感触が、俺にその重みを思い知らせていた。
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