第7話 寄り添う手

昼下がりのギルドはざわめきに包まれていた。

依頼掲示板の前に、黒い外套を羽織った男の姿がある。

渋い髭を蓄えた中年冒険者――ラウガンだった。


「ラウガン」

声を掛けようとした瞬間、ミリアがきゅっと俺の袖を握る。

彼女の金色の瞳は強張っていて、普段よりも俺の背に隠れるようにして立っていた。


ラウガンは俺たちに気づくと、口の端を上げて顎で掲示板をしゃくった。

「見てみろ。今、この街じゃこんなことが起きてる」


掲示板に貼られた紙には、大きく「冒険者連続殺人についての注意喚起」と記されていた。

この街の内外で複数の冒険者が殺害され、遺体には共通して無数の小さな切り傷と、とどめと思われる大きな斬撃があった――そう告げられている。


「……同じ奴の仕業、ってことか」

俺が問うと、ラウガンは軽く肩をすくめる。

「だろうな。楽しんで斬ってるような跡だ。最後にでかい一撃で仕留める……どの死体も似たもんさ」


その声音は妙に飄々としていたが、どこか現場を見てきたような生々しさがあった。


「物騒な時代だ。お前らも気をつけろよ」

そう言い残し、ラウガンは依頼票を一枚抜き取り、人混みの中へと消えていった。


彼の背中が遠ざかっていくのを見送りながら、俺は袖を握る小さな手に気づく。

ミリアはまだ強張った顔のまま、俺にぴたりと寄り添っていた。



「……お前、どうしてそんなにラウガンを怖がるんだ?」


ミリアはまだ俺の袖を握ったまま、きゅっと唇を噛む。

「わかりません……ラウガンさんが悪いことをしたわけじゃないのに」


そこで言葉を切り、彼女は視線を落とした。

「でも……幼い頃に、一度だけ同じような感覚を覚えたことがあるんです」


俺は黙って続きを促す。


「村の近くに、とても強力な魔物が来たことがあって……」

ミリアの声は震えていた。

「そのとき、体が勝手にこわばって、息が苦しくなるくらい怖くて……。ギルドに助けを呼んで、冒険者さんたちが退けてくれたから無事でしたけど」


彼女の小さな肩が、思い出しただけでかすかに震えている。


「その時の感覚に、少し似てるんです……」


言葉を終えると、ミリアは自分でも理由がわからないことに戸惑うように眉を寄せた。


「……今日は依頼やめておくか?」

ミリアを気遣いながら、俺はそう口にした。

「無理に気を張る必要はない。何か食いに行って、のんびりしてもいいんだぞ」


ミリアはぱっと顔を上げ、ぶんぶんと首を振った。

「大丈夫です! むしろ体を動かしたいです。じっとしてたら余計に考えちゃいますから」


そう言いながら、彼女の小さな手が俺の手をきゅっと握ってきた。

「……ん?」

俺は少し戸惑いながらも、その手を握り返す。


しばらくそのままでいると、ミリアがはっと気づいたように目を丸くした。

「あ……! すみません、私……!」

顔を赤くして慌てて手を離しながら、言葉をつなぐ。

「子どもの頃、魔物が怖いとき、いつもお母さんの手を握ってたんです。それで……つい……」


最後は消え入りそうな声になり、彼女は俯いてしまった。


「……そうか」

俺は小さく笑い、彼女の頭にポンと手を置いた。

「別に謝ることじゃない」


ミリアはますます赤くなり、小さく「うぅ……」と唸る。

その様子を見て、素直に可愛らしいと思った。

――もしかすると、娘を持つ父親は、こんな気持ちになるのかもしれない。

俺はそんなことをぼんやりと思いながら、視線を逸らした。

「……よし、じゃあ軽めの依頼にしよう」


 

その日の依頼は小規模な魔物討伐だった。

俺とミリアの連携は板についてきており、危なげなく討伐を終えることができた。

少なくとも、彼女の顔から曇りは消えていた。



夕暮れのギルドに戻ると、広間は酒の匂いと笑い声に包まれていた。

依頼を終えた冒険者たちが卓を囲み、ジョッキを打ち鳴らしている。


受付で報告を済ませて振り返ると、見覚えのある顔ぶれが目に入った。

《暁の環》の三人――アレン、イレーネ、ブラムが並んで席についていた。


「お、ユウタにミリアじゃない」

イレーネが気さくに手を振る。頬が少し赤いのは、もう酒が入っているせいだろう。


「カイルは?」思わず口をついた。

「ん? ああ、あいつはよく一人でふらっと森に行ったりするんだ」

イレーネは肩をすくめて笑う。

「気配遮断持ちだから、気がついたらいなくなってたりするし。まあ、放っといても帰ってくるわ」


アレンがジョッキを掲げる。

「そんなことより、一緒にどうだ? 腰を落ち着けて話そうじゃないか」


誘われて、俺とミリアは向かいの椅子に腰を下ろした。

木製の卓にジョッキが並び、泡立つ酒の匂いが鼻をくすぐる。


「そういえば、二人はどうやって出会ったんだ?」

アレンがにやりと笑い、イレーネも興味津々で身を乗り出してきた。


「えっと……ユウタさんが助けてくれたんです」

ミリアが少し照れくさそうに言う。


「いや、逆だろ」俺は苦笑して首を振る。

「最初にゴブリンから救ってくれたのはお前だ」


「でも、最後にゴブリンを倒したのはユウタさんです!」

ミリアは慌てて言い返す。その頬がほんのり赤くなって、ランプの灯に照らされている。


「だがお前が来てくれなかったら俺は死んでた」

思わず素直に言うと、ミリアが声を上げて反論しようとする。


「私だってユウタさんがいなかったらっ……!!」


その瞬間、イレーネが両手をテーブルに付いてニヤリと笑う。

「はいはい、イチャイチャはここまでよ。酒の席で仲良しこよし始まったら、他の客に刺されるよ?」


アレンが片方の眉を上げて笑い、ブラムも軽く口の端を上げる。

場の空気がふっと和らぎ、ミリアは顔をさらに赤らめて小さく俯いた。


「……いいんです、別に恥ずかしくなんかないですから!」

言い訳めいた声が出るが、どこか嬉しげで――いかにも年相応だった。


「ふん、いい組み合わせだ」ブラムが短く言い、アレンがもう一度ジョッキを掲げる。

「じゃあ今日はその“いい組み合わせ”に乾杯と行こうぜ」


ジョッキが軽くぶつかり、柔らかな笑い声がこだまする。


――だが、この夜を最後に、《暁の環》という名はギルドから消えることになる。

 

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