第10話 覚悟の重さ
街道を進む荷馬車の車輪が、軋んだ音を立てて土を踏みしめる。
道の両脇には鬱蒼とした森が続き、陽光は枝葉に遮られてまだら模様を描いていた。
「いやぁ、二人がついてくれて心強いですよ」
御者台から商人が振り返り、にこやかに声をかけてきた。三十代半ばほどの柔和な顔立ちだ。
「ミラナ村は、街道沿いでもわりと栄えてましてね。陶器や織物なんかの細工物が特産で、私もそこへ仕入れに行くんです」
「陶器……」
思わず聞き返すと、ミリアが嬉しそうに頷いた。
「食器とか、飾りとかですよね! 私の村にもありました。王都に持っていくと高く売れるって」
商人は「そうそう」と笑い、少し声を潜める。
「ただ、この辺りは最近、魔物や盗賊の話が増えてましてね……。ギルドの人から『初心者でも護衛は可能』と聞きましたが……」
視線がこちらを伺うように向けられる。
俺は言葉を詰まらせたが、隣のミリアが胸を張った。
「大丈夫です! 私たち、連携なら自信ありますから!」
「……お前、簡単に言うな」
苦笑しながらも、胸の奥が少し温かくなる。ミリアの真っ直ぐな声は、不思議と重みを持って響いた。
「はは、頼もしい。お二人はご夫婦か、ご兄妹ですかな?」
「えっ、ち、違います!」
ミリアが慌てて両手を振る。頬を赤く染める彼女を横目に、俺は曖昧に咳払いした。
そんなやり取りに、荷馬車を引く馬の足音が重なる。
のどかな空気のまま進んでいた――その時。
やがて、前方に大木が倒れているのが見えた。
荷馬車どころか人一人通るのも難しいほどの太さだ。
「……おい、止まってくれ」
俺は商人に声をかけ、足を速める。
近づいた瞬間、胸にざらつく違和感。無意識に【構造理解】を発動する。
木目が浮かび上がり、切り口が視界に線として重なった。
「……不自然だ。これは、意図して倒された跡だ」
小声でそう告げると、ミリアも商人も息を呑む。
次の瞬間――。
茂みが揺れ、死角から数人の影が飛び出してきた。
錆びた剣や棍棒を振りかざし、狂気じみた笑みを浮かべた男たち。
「へへ、気づかれてたか……けど遅ぇ!」
「来るぞ!」
俺が叫んだ瞬間、盗賊の刃が振り下ろされる。
辛うじて受け止めた剣が震える。鉄同士が噛み合い、嫌な音が響いた。
◆
「ユウタさん……人を、斬ったことは?」
短剣を構えるミリアの声は、かすかに震えていたが、その瞳は揺らがなかった。
「……ない」
思わず答える。胸の奥に冷たいものが広がる。
「私もありません。でも――やるしかない」
小柄な体を前に出し、彼女は迷いなく刃を構え直した。
その姿に、心臓を掴まれるような感覚が走った。
……そうだ。やるしかない。
盗賊の一人が棍棒を振りかざして突進してくる。
俺が【看破】を発動すると、赤い光点が浮かんだ。右脇腹。
「ミリア、右脇腹だ!」
「はいっ!」
彼女は素早く滑り込み、短剣でその光点を突いた。
刃が食い込み、盗賊は呻いて崩れ落ちる。致命傷ではないが、動きは完全に止まった。
「……できた……!」
小さく呟くミリア。その声には震えが混じっていたが、確かな覚悟も宿っていた。
残りの二人が同時に飛びかかってくる。
俺は咄嗟に【看破】を発動――赤い光点が浮かぶ。胸、喉、左腿。
息を呑む。致命部位ばかり……!!
その時、ミリアが俺を見た。声はない。けれど理解できる。
「……行け!」
俺が叫ぶよりも先に、彼女は地面を蹴った。
「【迅雷】!」
稲光のような残像が走り、盗賊たちの目が一瞬にして奪われる。
棍棒を振るう腕が空を切り、翻弄された盗賊の体勢がわずかに崩れた。
その瞬間を、俺は逃さなかった。
踏み込み、刃を逸らそうとした――だが、崩れた姿勢に導かれるように、剣先は胸の光点に触れてしまった。
【弱点特効が発動しました】
轟音と共に血と肉片が飛び散る。爆ぜるように崩れ落ちる盗賊を見て、息が詰まった。
残った一人は目を剥き、恐怖に駆られて後退する。
「な、なんだよあれ……!」
残った盗賊が顔を引きつらせ、互いに叫びながら森へ逃げ込んでいった。
◆
残されたのは倒木と血の匂い、そして爆散した死体の残骸。
肉片が枝に張り付き、赤黒い染みが土に広がっていく。
胃の奥がぐらりと揺れ、吐き気がこみ上げた。
喉の奥が焼けつき、今にも胃の中身を吐き出してしまいそうになる。
剣を持つ手が震えていた。
……俺は、人を殺した。
しかも、魔物を討つのとは違う。弱点特効による“爆散”という、あまりにも一方的で無惨な形で。
正義でも誇りでもない。ただ「斬ったら壊れた」という、道具のような無機質さ。
けれど、それがかえって胸を抉る。
生きていたものが、俺の手で無惨に終わった――その事実だけが、頭の中で何度も繰り返された。
「ユウタさん」
ミリアの声が、重い思考の底に差し込む。金色の瞳は真剣で、それでも静かだった。
「仕方ありません。彼らが先に襲ってきたんです。守るために戦っただけです」
……分かっている。理屈では。
だが、胸の奥の震えは止まらない。
目を閉じても、さっき爆ぜた音と、飛び散る影が焼き付いて離れない。
返事は出なかった。息を荒く吐き出すしかできなかった。
揺らいでいる。けれど、彼女の落ち着いた声にすがるように、俺はなんとか立っていられた。
「助かりました、本当に……!」
荷馬車から商人が飛び出してきて、深く頭を下げた。
「もしあんたたちがいなければ、私は命も荷も失っていたでしょう」
その感謝の言葉が、ほんの少しだけ胸の重石を軽くした。
だが、足元に広がる血の匂いは消えない。
――これが、人を斬るということか。
俺は剣を強く握りしめながら、自分の覚悟を試されている気がしてならなかった。
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