戦士オリビアは諦めない 〜欠点だらけの最弱パーティーですが、世界を救うことにしました〜
夜月 透
第1話 命を奪う音
…………バキッ!
あの日、初めて聞いた『命』を奪う音は――
とても残酷なほど、空気を軽やかに跳ねていた。
***
広大な国土を
穏やかな青空の下。
空気が澄んだ早朝の森で、草を踏みしめる
ひとつに束ねたオリーブ色の長髪を揺らし、若い戦士――オリビアが森を歩いている。
ベージュの長袖トップスに、質素な革のベスト。
細身のパンツスタイルで、腰に差した一振りの剣がなければ、ただの農民に見える装いだ。
(ここも……異常なし)
記憶に焼き付く、獣の
微かな変化も見逃すまいと、慎重に辺りを見回して、歩いてを繰り返す。
森の巡回は一年前から、戦士としての修行を兼ねてやっている。
それがオリビアの師――アテナからの言いつけであった。
***
「見回り、行ってきます」
森の中にぽつんと
腰の装備を確認した後、森へ入ろうとしていた――その時。
「ちょっと待ちな、オリビア」
後ろから投げかけられた声。
振り返ると、家から小さな影が現れた。
彼女は師匠、アテナ。
短く整えられた
詰め
背筋の伸びた
「……師匠。どうかしましたか?」
「少し前に帰ってきたばかりだろ。疲れは判断を
「でも……」
「何度も言わせるな。――戻れ」
彼女の
アテナは昔から頑固で、怒るとかなり恐い。
森で
これだけ長い年月をともに暮らしていれば、何を言っても無駄なのはもう分かっている。
渋々オリビアが家へ戻ると、彼女は荒々しく椅子に腰を下ろした。
「森ばかり歩き回って、ろくに休もうともしない。お前、一体どういうつもりだ?」
「……」
アテナは溜め息をつき、眉間に
この国では、遥か昔から――
魔王が生み出したとされる魔物によって、今も人々の生活が脅かされていた。
都市部よりも自然豊かな地域であるほど、人や商人の荷車、時に村や町ごと襲われる事例が後を絶たない。
だから――
「少しでも、魔物を減らしたくて。そうじゃないと、またどこかで村が……」
「ああ。そんなのはずっと前から分かってるさ。『魔物は全て殺せ』と、教えたのは私だからな」
「それなら――!」
「だけどな、今のお前は視野が狭すぎる。それが命取りになるって、そんな簡単なことも分からねぇのか!?」
アテナの言葉が胸に沈む。
(分かってる。分かってるけど……)
握り締めた拳に、オリビアは視線を落とした。
「……償わなきゃいけないんです。あの日、村が襲われたのはっ……私の、せいだから」
***
記憶が一ヶ月前へと遡っていく。
薄暗い森の中を、一人で駆け抜ける。
木々の合間から覗いた、緑色の空。
生ぬるい風が頬を
リトラ村へ駆け付けた時には、魔物が
扉は破壊され、荒れ果てた家ばかり。
何かが引きずり回されたような、血の跡。
村人の
「なんて、酷いっ……」
(誰か……誰か、生存者は?)
転々と建つ家を確認するたびに、見知った者たちの命が奪われている。
(どうして、こんなことに……。何が――)
…………バキッ!
空気を
視線を向けた先。
村の開けた場所にいたものは、横たわった村人に顔を
湿った
爪が肉を裂き、牙が骨を砕く。
終わらない悪夢を見ているようだった。
(ダメだ。……剣を、抜かなきゃ……)
腰に伸ばした手が小刻みに震える。
息を吸う余裕もなく、魔物から目を離すことができない。
目を離した瞬間に、何が起きてもおかしくないからだ。
血溜まりに人間の片腕が零れ落ち、魔物がぬるりと振り返った。
黒狼の姿をした魔物の背から、溢れ出した黒い瘴気。
血走った
『次は、お前の番だ』と。
背筋に
それでも――
「……オリビアッ!」
遠くからアテナに名前を叫ばれ、体に染み込んだ動作がその身を突き動かす。
張り付いた足が、反射的に魔物に向かって駆け出していく。
剣を引き抜いたその瞬間は、恐怖も、絶望も、何もかもが弾け飛んでいた。
***
リトラ村での負傷者、八名。
行方不明者、九名。
死者――34名。
魔物の襲撃にあった村の凄惨な光景が、いまも脳裏にこびり付いて離れない。
この国に住む者なら誰もが知っている、魔物が暴走化する災厄の夜――『緑夜』が起きた日。
この身がどうなろうと、もう同じことは繰り返したくないとオリビアは心に誓ったのだ。
「前にも言ったはずだ。あの時のことは……運が悪かったんだ」
「でも……! 私が、ちゃんと前もってケルピナも殺していればっ……こんなことにはならなかったと思うんです」
ケルピナ――鹿によく似た姿で、穏やかな性格の草食の魔物だ。
緑夜が起きる直前。森で見かけた時に、ただ遠くに追い払うだけでいいと思った。
否、オリビアには殺せなかったのだ。
子連れのケルピナが震える姿。
その恐怖に呑まれた瞳を見て、剣を突き立てることを
ケルピナを見逃したことで別の肉食魔獣を呼び寄せたと、オリビアは後悔していた。
「ケルピナのことは……関係ない。前にも言ったはずだ」
「……」
村を襲った魔物との因果関係はない。
何度アテナに無関係だと言われても、リトラ村に駆け付ける途中で、あの日に見たのだ。
――村からほど近い森の中。逃がしたはずのケルピナが、無惨に喰い荒らされた姿を。
「……もう二度と、誰も死なせたくないんです。だから、森の見回りを増やせば……役に立てると、そう思って……」
振り絞った声に、確かな思いを乗せた。
その言葉に嘘はない。
自分なりに考えた、
「――それに何の意味がある?」
「……え」
しかし、アテナはそれを真っ向から否定した。
意思を殴り付けるような、強い眼差し。
温かな陽が差し込む部屋で、オリビアの心臓がぎゅっと掴まれたような衝撃を受けた。
「魔物がいる世界で、人が死ぬのは珍しいことじゃない。戦場なら、なおさらだ。誰も死なないようになんて……そんなのは綺麗事だ」
「……っ」
喉が詰まる。焼けるように熱くなる。
それなら、どうしたらいいのか。
罪を償うためには。
誰かの役に立つためには。
(私は、どう生きていったら……)
「闇雲に歩き回って、それが人の為になるのか? ただ、誰かに許されたいだけじゃないのか?」
「私は――!」
(許されたい。……確かにそう思ってる)
どんなに後悔しても、死者は戻らない。
自分は自分のできることを、やらなければいけないのは分かっていた。
思いが上手く言葉にならない。
胸が熱くなって、苦しくて。
でも、何か行動せずにはいられなくて。
オリビアが俯いていると、アテナは気付かれない程度に拳を握り締めた。
そして力強く、
「……オリビア、この家から出ていきな」
突如として放たれた鋭利な言葉で、世界が冷たく壊れる音がした。
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