戦士オリビアは諦めない 〜欠点だらけの最弱パーティーですが、世界を救うことにしました〜

夜月 透

第1話 命を奪う音



 …………バキッ!



 あの日、初めて聞いた『命』を奪う音は―― 


 とても残酷なほど、空気を軽やかに跳ねていた。




***



 広大な国土をゆうするベルラーク王国の南東には、常緑の豊かな景色が続いている。



 穏やかな青空の下。


 空気が澄んだ早朝の森で、草を踏みしめる革靴ブーツの足音が溶けていく。



 ひとつに束ねたオリーブ色の長髪を揺らし、若い戦士――オリビアが森を歩いている。



 ベージュの長袖トップスに、質素な革のベスト。


 細身のパンツスタイルで、腰に差した一振りの剣がなければ、ただの農民に見える装いだ。



(ここも……異常なし)



 記憶に焼き付く、獣のうなりを聞き分けるように。


 微かな変化も見逃すまいと、慎重に辺りを見回して、歩いてを繰り返す。




 森の巡回は一年前から、戦士としての修行を兼ねてやっている。


 それがオリビアの師――アテナからの言いつけであった。



***




「見回り、行ってきます」

 

 

 森の中にぽつんとたたずむ小屋に戻ったオリビアは、寸刻すんこく留まった後にまた外へと出ていく。


 腰の装備を確認した後、森へ入ろうとしていた――その時。




「ちょっと待ちな、オリビア」



 後ろから投げかけられた声。


 振り返ると、家から小さな影が現れた。



 彼女は師匠、アテナ。


 短く整えられた橙色オレンジの髪。


 詰めえりの白いトップスは彼女の肌を覆い隠し、細身のパンツを履いている。



 背筋の伸びた華奢きゃしゃな体が特徴的な、齢60を超える年配の女だ。



「……師匠。どうかしましたか?」


「少し前に帰ってきたばかりだろ。疲れは判断をにぶらせる。家に戻れ」


「でも……」


「何度も言わせるな。――戻れ」




 彼女の碧灰ブルーグレーの瞳に鋭く貫かれると、本能的に怖気付きそうになる。



 アテナは昔から頑固で、怒るとかなり恐い。


 森で彷徨さまよっていたところを彼女に拾われ――剣の修行を始めて十年。




 これだけ長い年月をともに暮らしていれば、何を言っても無駄なのはもう分かっている。


 渋々オリビアが家へ戻ると、彼女は荒々しく椅子に腰を下ろした。



「森ばかり歩き回って、ろくに休もうともしない。お前、一体どういうつもりだ?」


「……」



 アテナは溜め息をつき、眉間にしわを寄せている。



 この国では、遥か昔から――


 魔王が生み出したとされる魔物によって、今も人々の生活が脅かされていた。


 都市部よりも自然豊かな地域であるほど、人や商人の荷車、時に村や町ごと襲われる事例が後を絶たない。


 だから――




「少しでも、魔物を減らしたくて。そうじゃないと、またどこかで村が……」


「ああ。そんなのはずっと前から分かってるさ。『魔物は全て殺せ』と、教えたのは私だからな」



「それなら――!」


「だけどな、今のお前は視野が狭すぎる。それが命取りになるって、そんな簡単なことも分からねぇのか!?」



 アテナの言葉が胸に沈む。


(分かってる。分かってるけど……)


 

 握り締めた拳に、オリビアは視線を落とした。




「……償わなきゃいけないんです。あの日、村が襲われたのはっ……私の、せいだから」



***



 記憶が一ヶ月前へと遡っていく。



 薄暗い森の中を、一人で駆け抜ける。



 木々の合間から覗いた、緑色の空。


 生ぬるい風が頬をうように撫でる。



 リトラ村へ駆け付けた時には、魔物が蹂躙じゅうりんした後の地獄が広がっていた。



 扉は破壊され、荒れ果てた家ばかり。



 何かが引きずり回されたような、血の跡。


 村人の亡骸なきがらは真っ赤に染まり、鉄と瘴気しょうきの混ざった死臭が立ち込めている。



「なんて、酷いっ……」



 (誰か……誰か、生存者は?)


 

 転々と建つ家を確認するたびに、見知った者たちの命が奪われている。

 

(どうして、こんなことに……。何が――)

 




 …………バキッ!



 空気をねた音が、静寂を呼ぶ。


 視線を向けた先。


 村の開けた場所にいたものは、横たわった村人に顔をうずめる――魔物の黒い影だ。



 湿った咀嚼音そしゃくおんが、何度も鼓膜を叩いてくる。


 爪が肉を裂き、牙が骨を砕く。


 終わらない悪夢を見ているようだった。




(ダメだ。……剣を、抜かなきゃ……)

 


 腰に伸ばした手が小刻みに震える。


 息を吸う余裕もなく、魔物から目を離すことができない。


 目を離した瞬間に、何が起きてもおかしくないからだ。




 血溜まりに人間の片腕が零れ落ち、魔物がぬるりと振り返った。



 黒狼の姿をした魔物の背から、溢れ出した黒い瘴気。


 血走った赤眼せきがんが、真っすぐオリビアへ語りかけてくるのだ。




 『次は、お前の番だ』と。



 背筋に怖気おぞけが這い上がり、地面に縫い付けられたように動けない。



 それでも――



「……オリビアッ!」



 遠くからアテナに名前を叫ばれ、体に染み込んだ動作がその身を突き動かす。


 張り付いた足が、反射的に魔物に向かって駆け出していく。


 剣を引き抜いたその瞬間は、恐怖も、絶望も、何もかもが弾け飛んでいた。



***

 


 リトラ村での負傷者、八名。


 行方不明者、九名。


 死者――34名。



 魔物の襲撃にあった村の凄惨な光景が、いまも脳裏にこびり付いて離れない。

 


 この国に住む者なら誰もが知っている、魔物が暴走化する災厄の夜――『緑夜』が起きた日。


 この身がどうなろうと、もう同じことは繰り返したくないとオリビアは心に誓ったのだ。




「前にも言ったはずだ。あの時のことは……運が悪かったんだ」


「でも……! 私が、ちゃんと前もってケルピナも殺していればっ……こんなことにはならなかったと思うんです」




 ケルピナ――鹿によく似た姿で、穏やかな性格の草食の魔物だ。



 緑夜が起きる直前。森で見かけた時に、ただ遠くに追い払うだけでいいと思った。


 否、オリビアには殺せなかったのだ。



 子連れのケルピナが震える姿。


 その恐怖に呑まれた瞳を見て、剣を突き立てることを躊躇ためらってしまったから――


 

 ケルピナを見逃したことで別の肉食魔獣を呼び寄せたと、オリビアは後悔していた。



「ケルピナのことは……関係ない。前にも言ったはずだ」


「……」



 村を襲った魔物との因果関係はない。


 何度アテナに無関係だと言われても、リトラ村に駆け付ける途中で、あの日に見たのだ。



 ――村からほど近い森の中。逃がしたはずのケルピナが、無惨に喰い荒らされた姿を。




「……もう二度と、誰も死なせたくないんです。だから、森の見回りを増やせば……役に立てると、そう思って……」



 振り絞った声に、確かな思いを乗せた。


 その言葉に嘘はない。


 自分なりに考えた、贖罪しょくざいのつもりだった。





「――それに何の意味がある?」


「……え」



 しかし、アテナはそれを真っ向から否定した。


 意思を殴り付けるような、強い眼差し。



 温かな陽が差し込む部屋で、オリビアの心臓がぎゅっと掴まれたような衝撃を受けた。




「魔物がいる世界で、人が死ぬのは珍しいことじゃない。戦場なら、なおさらだ。誰も死なないようになんて……そんなのは綺麗事だ」


「……っ」



 喉が詰まる。焼けるように熱くなる。


 それなら、どうしたらいいのか。


 罪を償うためには。


 誰かの役に立つためには。



 (私は、どう生きていったら……)



 

「闇雲に歩き回って、それが人の為になるのか? ただ、誰かに許されたいだけじゃないのか?」


「私は――!」



 (許されたい。……確かにそう思ってる)


 

 どんなに後悔しても、死者は戻らない。


 自分は自分のできることを、やらなければいけないのは分かっていた。


 

 思いが上手く言葉にならない。


 胸が熱くなって、苦しくて。


 でも、何か行動せずにはいられなくて。


 

 オリビアが俯いていると、アテナは気付かれない程度に拳を握り締めた。


 そして力強く、よどみのない声で――



「……オリビア、この家から出ていきな」

 


 突如として放たれた鋭利な言葉で、世界が冷たく壊れる音がした。

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