第4話 蒼の薬師
空に浮かぶ黒い人型の塊。頭と思われる部分には1本の縦線があり、その隙間から無数の手が這い出て来たかと思うと、割れ目をこじ開けるように動く。闇のような黒い空間の奥に、ぼんやりと赤い瞳が浮かび上がる。
「こ、んなの……勝てる、わけ…ない…」
村長は自分の何倍もの大きさの悪魔を前に膝を震わせ、全身から冷や汗を流した。持っていた聖水の瓶が手から離れて地面に転がり落ちる。
『生贄が2つもあるとは、中々の忠義ではないか』
内臓を直接触られているかのような圧迫感。唾を飲み込むことさえ、意識がこちらを向くのではないか、という恐怖心でままならない。
まともに息が吸えない。こんな怪物相手にどうすればいいのか。ただ殺されるのを待つだけだ。激しい後悔と、こんな目に遭わせた怒り。村長は負の感情で隣にいるシドラスを見た。
「これが悪魔ァ?なんかナメクジみてぇだな」
足が無く、尾がいくつもの人間の足で作られている悪魔を前に、シドラスはいつも通りの態度で持っていた聖水を瓶ごとブン投げた。蓋が開いているため中の聖水が飛び散り、悪魔の体をわずかに溶かした。
『……不快な真似をしてきたのは貴様か。まずは貴様の足から喰ってやろう』
「脚フェチのオッサンみたいなこと言ってんじゃねぇよ、気持ち悪いな…」
心の底から嫌そうな顔をしているシドラスに、村長はスンと落ち着いた。悪魔が脚フェチのオッサン…。確かにそれは嫌だ。
「来いよ、病原菌。根絶してやる」
『生きの良い贄だ。絶望に沈め』
湖から赤い触手が現れ、シドラスたちを襲う。2人はすぐにその場から離れて触手の攻撃を躱す。
『踊れ踊れ。疲れ果てた足はさぞ美味かろう』
「マジでキモイっつーの。変態かよ」
触手を避けながらシドラスは悪魔を挑発する。
『貴様の足は何日も時間をかけて喰ってやろう。死が救いとなるような絶望を与えてやる』
「出来もしねぇ想像を垂れ流すなよ。妄想が趣味なのか?おっと、百年も封印されてたら妄想ぐらいしか趣味がねぇか。こりゃ悪ぃ悪ぃ。聖女に封印されたマ・ヌ・ケな悪魔サマ♡」
一瞬攻撃が止まったかと思うと、数本の触手が一斉にシドラスに襲い掛かる。シドラスは鞭のようにしなやかな触手に打たれ、視界を白黒に点滅させながら地面に転がった。
「げほッ、カハッ、……クソが…ッ!」
シドラスは痛み止めの薬草を自分の口の中に無理矢理詰め込み、自分を捕まえようとする触手に聖水を振りかけて溶かす。
『おや?おやおやぁ?先程までの勢いはどうした?んん~?無様に命乞いでもしてみるか?』
「ハッ。誰が病原菌なんかに、命乞いするかよ。頭にウジでも沸いてんのかボケ」
『口の減らぬ下等生物が』
「薬師!逃げろ!」
複数の触手が1つ集まり、巨大な槍となる。それはシドラス目掛けて勢いよく突っ込んできた。
シドラスを触手を見上げ、口の端から血を流しながら笑った。
「おっせぇよ、馬鹿」
『何を言って……』
悪魔は突如として頭上に現れた強大な魔力にハッとして、空を見上げた。そこには太陽のように燃え盛る白い炎の球が浮かび、悪魔へと墜ちる。
『貴様、貴様、貴様ァァァ!!!!』
悪魔は白炎の傍にいる黒い狼を睨みつける。湖から全ての触手を出現させ、空を舞うロアに触手を伸ばす。
『許さん、許さんぞ!呪い殺してやる!』
だが、触手は届かない。ロアに触れることも出来ず、悪魔は触手ごと炎に包まれて焼かれていく。炎はやがて爆発し、周囲に激しい暴風を巻き起こす。シドラスは足のふんばりが利かず、風に吹き飛ばされて湖の中へと落ちた。
「薬師!」
村長は湖の中に飛び込み、沈んでいくシドラスを抱えて対岸へと移動した。陸にシドラスを寝かせて振り返ると、浮島そのものが炎に焼かれて消滅し、中央に空いた穴を埋めるように水が滝のように流れて集まっていく。
やがて静寂が戻り、ロアが湖の上を歩きながらシドラスの近付き、その頬を舐めた。
「やめろ……起きてる…」
「!良かった、目が覚めたんだな」
「俺がこの程度で死ぬかよ。……運んでくれて助かった。あんがとな」
「いや…」
「ロアもご苦労だったな」
「がう」
ロアは小さく応え、身体を震わせて水気を飛ばす。シドラスが悪魔の気を逸らすために挑発している最中、ロアは魔力を悟られないようにしながら対悪魔用の魔法を展開させていた。威力はご覧の通りだ。
「んじゃ、戻って患者の様子を見るぞ」
「怪我は…!」
「痛み止めが今頃効いていたんでな。帰る最中に手当するから気にすんな」
シドラスは立ち上がり、魔法鞄から消毒液と軟膏を取り出して自分の体を治療していく。
「ボサッとしてんな。早く村まで案内しろ。言っとくが、俺は村までの道とか覚えてねぇからな」
「堂々と言うことか…?」
村長は呆れつつもフッと笑い、村まで歩き出した。
長年、村長の間で受け継いできた伝承には、こう付け加えないといけない。
彼方よりやってきた青い瞳の薬師が、黒い狼と共に悪魔を打ち滅ぼした、と。
* * *
村に帰還すると、村人たちが鍋の蓋や鉄鍋を持って緊張感のある表情をしていた。
森の中から現れたシドラスたちを見て、村人たちが一斉に群がる。
「村長!どこに行ってたんですか!?」
「大変なんです、禁足地から大きな音が…!」
「ああ、わかってる。今、そこから帰って来たところだ」
村長は片手を上げて村人たちに落ち着くように言う。
「そっちは任せた。俺は患者を見に行く」
シドラスはさっさと村人たちから離れ、患者であるセシリアの様子を見るために村長の家に行く。玄関を開けると、床に落ちたシャツを拾っている彼女と目が合った。
「あら。おかえりなさい」
「足の調子は?」
「一度すごく熱かったけれど、今はもうなんともないわ。この通り、元気に動けるわよ!」
「母さん、とりあえずシーツは干したけど……あ!シドラスさん!帰って来たんですね!」
その場でクルリと身を翻すセシリアは、確かに顔色も良くて元気のようだ。無事に完治したと言ってもいいだろう。
裏の勝手口からやってきたアグリも合流し、和気藹々とした空気が流れている。
「そんじゃ依頼は達成ってことで良いな。これにサインしてくれ」
シドラスは依頼書と羽ペンを取り出して机の上に置く。依頼主のサインがないとギルドで報酬金が受け取れないからだ。
アグリは頷き、依頼書の右下に自分の名前を記載した。シドラスはきちんと名前が書かれているか確認すると、依頼書を丸めて魔法鞄にしまう。
「確かに。じゃあ俺はこれで」
「待って下さい!お礼がまだ…!」
アグリはポケットからお金が入った袋を取り出す。シドラスは迷うことなく袋を受け取り、代わりに青色の瓶を手渡した。
「悪いが、預かった薬袋は紛失しちまった。代わりにその風邪薬をやるよ。朝と夜で1つずつ飲めよ」
「えっ、シドラスさん…!」
青色の瓶は大きく、中に入った薬も数年は持ちそうな量だ。アグリは貰いすぎではないかとシドラスを引き留めようとするが、彼はすでに家から出て行ってしまった。玄関の扉がパタンと静かに閉じられる。
「ロア。王都に帰んぞ」
家の外で待っていたロアは立ち上がり、シドラスの後をついていく。
「薬師!」
村を出ようとしたところで、シドラスは村長に声をかけられた。振り返ると、村長が笑顔で口を開く。
「村人たちには、今回の件について包み隠さず全部話した。それで、感謝のために宴を開きたいんだ」
「で?」
「参加してくれないか?一番の功労者を紹介したいんだ」
シドラスはロアと目を合わせる。そしてどちらともなく、地面を蹴って駆け出した。
「断わる!俺を呼びたきゃギルドに指名依頼でも出せよ!珍しい病気なら受けてやるぜ!」
「薬師…、……シドラス!ありがとう!」
村長は遠く離れて行く背中に感謝の言葉を投げかけた。シドラスは今度こそ振り返ることなく、夕日が照らす丘の向こうへと走り去った。
「彼は、どこまで行くんだろうな」
シドラスはどんな未来を歩むのか。村長はそれを想像して微かに笑った。
そう遠くない将来、シドラスの名は世界中に広がることになる。それは悪名か、それとも…。
「……やべっ、ここどこだ?迷った…」
「………」
懲りずに森の中で彷徨う彼の明日はどっちだろうか。
ロアはいい感じの木のウロを寝床にして欠伸をした。
【あとがき】
読んで頂きありがとうございます。
更新は毎週土曜日の朝7時です。好きな色は青紫です。
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