ヴィーキツ
猫姫花
第1話 店主フィドと少年アデレート
その昔。心優しきサランマダルは、彼が百歩を歩く間に、人間の戦を終わらせた。
ーーそれから数百年後。戦場となったその地に彼の石碑像が建てられ、サランマダルの御足百歩内を非戦闘地区・ムアナと定める。隆々とした筋肉を誇るサランマダルの像は、今日も遠くを見つめている。巨人とは名ばかりに、何分の一だろうか?人間より少し大きめの像がある広場を中心に、街は形成されていた。
サランマダルの正面を横ぎり、東から西通りに抜けていく一人の少年は、買物袋を抱えて走っていた。背後からは警報笛が鳴り、赤い制服の警官が追いかけてくる。
「待ちなさいっ、待て、コラッ、止まらんかっっ」
「止まれって言われて、素直に止まるはずねぇだろがっ」
嫌味なほどに空が青い日だった。
身軽な少年は石階段を数段飛ばし。トマトが袋から落ちるのを舌打ちしながら振り返ったが、そのトマトを踏んで警官が転んだのを見て、ニヤリと笑った。
弾んだ息をそのままに貨物用の小船に飛び乗り、物陰に隠れて来た道を戻っていく。頃合を見計らって上陸し、意気揚々と路地を歩く。昼間でも薄暗いその道にはネズミとゴミくずが多かった。
角に差し掛かって大きな人影と鉢合せになると、少年と男は目を見開いた。運の悪い事に、先ほどの警官だった。
「ーーっっっやぁっべぇっ」
「あっっ」
少年は警官の隙間から体を滑り込ませ、路地を失踪した。すぐに角を曲がると、怒声が聞こえてくる。もはや帰り道も忘れてしまったが、とにかく逃げた。
(もとより、帰る居場所なんてないのだが・・・)
買物袋を引っ手繰ったぐらいで、警察に突き出されるのは御免だ。
宿酒場が立ち並ぶ地区に出ても、背後から赤い制服が追いかけてきた。今まで出会った警官の中で一番しつこい。さすがに息が切れ、脇腹が痛んできた。長旅のせいで疲れが溜まっていたので、本域で走れなくなる。
ある酒場の裏側に回りこむと、ゴミ箱の影へと逃げ込んだ。
警官の怒鳴り声が近づいてくる。
とても苦しかったが息を極力抑え、体を縮こめた。
突然側にあったドアが開くと、ゴミを出しに来た店員と視線が合う。
少年は息を飲んだ。男は眉をひそめ、近づいてくる声の方に振り返る。
もう一度少年を見ると、事情を察したようだった。
数秒睨み合っている間に、警官の足音が建物の角まで近づいてくる。
男は突然少年の首根っこを掴むと、まるでネコでも扱うように軽々と店の中に入れ、ドアを閉めた。
「くそっ、ドコへ行ったんだ、あのガキはっ・・・」
ドアの向こうから警官の声がしたが、やがて足音が遠ざかっていく。
男はへたり込んでいる少年を見下ろし、少年の帽子をひょいと取り上げた。片眉を上げる。
「見ない顔だな?」
少年は応えない。
「お前、ここらへんの者じゃないな?銀髪は悪目立ちするぞ」
「うるせぇ」
男は片方の口角を上げ、帽子を放り返した。
「心配すんな。突き出すなんて真似はしねぇよ。俺は警官が嫌いでな・・・まぁ、ここらで警官が好きなんて奴ぁ、いねぇんだがな」
男はたくましい腕を組んだ。
「俺はフィド。この店の店主だ」
店主は顎をしゃくった。
「お前は」
少年は警戒心を隠そうともせず、身を竦めたネコのような瞳で呟いた。
「アデレート・・・」
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