第18話:1995年、音は混ざり合っていた──そして境界線が引かれた

第一章:スロー・ダンスと“交差点の音楽”

──融合の時代、リズムに身体を預けていた頃


あの頃の夜は、なぜかゆっくり流れていた。ダンスは跳ねるものじゃなく、寄り添うものだった。


Sealがラジオから流れ、Brandyの声が街灯を照らしていた。


1995年──音楽がまだ、交差点の真ん中で手を取り合っていた時代。


ヒップホップがまだ“語り”として生きていた一方で、R&Bは“歌”として人の体温を宿していた。


白も黒も関係なかった。


そのとき耳に届く声が、自分の心と呼吸に合えば、それでよかった。


車の窓を少しだけ開ける。


夜の風が肌を撫でるなかで、All-4-Oneの「I Swear」が流れてきた。


ハンドルに手を置きながら、その歌詞に、“自分以外の誰かの恋”を想ってしまうのは、不思議なことだった。


でも、それが許される空気が、確かにあった。


あの頃のアメリカは、“音楽の交差点”だった。


白人の少年がBrandyのアルバムを買い、黒人の少女がHootie & the Blowfishを口ずさむ。


リスナーはジャンルにではなく、気持ちに耳を傾けていた。


そして──僕もそのひとりだった。


ブラック・ミュージックに特別な造詣があったわけじゃない。


でも、あのスローなグルーヴに身体を預けたくて、そして彼女と同じ曲を聴きたくて、知らないうちにその世界に足を踏み入れていた。


縦ノリのダンスじゃない。


肩を寄せ合い、鼓動の速さを確かめるようなリズム。


まるで“人と人”の間に音楽が溶け込んでいたかのようだった。


Brandyの「Baby」


Monicaの「Before You Walk Out of My Life」


Boyz II Menの「On Bended Knee」──


声と声が重なり合うだけで、世界が少しだけ優しくなった気がした。


僕は、この「交差点」に未来を見ていた。


音楽が人種も文化も越えて、もっと自然に混ざっていく未来。


かつてMichael Jacksonが"Black Or White"で歌った世界。


白人向け、黒人向け、などという言葉が意味を持たなくなる、そんな“ひとつのリズム”が生まれる世界。


その予感は、たしかにあった。


そして──それはやがて静かに消えていくことになるのだが、


それはもう少し、後の話になる。


--------


第二章:1997年、音楽に境界線が引かれた

──リズムが分断された年、そして失われた“交差点”


いつからだっただろう。


カーラジオから流れる曲のリズムが、身体に馴染まなくなっていったのは。


あの、肩を寄せて踊れた音楽が、


どこか遠くへ行ってしまったように感じた年──1997年。


Timbalandが作る跳ねるようなビート。

Missy Elliottの奇抜なMV。


Puff Daddyのプロデュースによって、R&Bとヒップホップの線が一気に引き直される。


音楽は“融合”から、“領土”になった。


そこには進化もあった。


たしかに、Timbalandのサウンドは革新的だったし、Jay-Zの語り口は、詩よりも生々しくて新しかった。


でも──そのどれもが、「共有される音」ではなくなっていた。


誰かの“主張”であって、“共感”ではなかった。


ラジオが変わった。


選曲が明確に「セグメント」化されていくのがわかった。


以前はSealとMariahと2Pacが並んで流れていたのに、今は、音が分けられて配置されているように感じた。


あれほど自然だったコラボが、“ジャンルを跨ぐ戦略的行為”として扱われ始める。


音楽が“文化”ではなく、“アイデンティティの代理戦争”になっていった。


当時は気づかなかったが、いま思えば──あれは音楽の“境界線”が引かれた年だった。


それぞれが、自分たちの音を守ろうとしたのだろう。


奪われてきた歴史、評価されてこなかった現実、


黒人アーティストが「自分たちの声を自分たちの手で鳴らす」ことの意味。


それは、正しかったと思う。


でも──その正しさが、音を分ける壁として作用した瞬間、音楽は自由でなくなった。


ジャンルに囚われず、リスナーに届いていたあの頃の輝きは、


“区分け”の中に埋もれていった。


白人も黒人も、同じ曲に涙していた“交差点”は、気づけば、それぞれの“車線”へと振り分けられていた。


そして、僕はその頃、日本に帰る。


“融合の終わり”を見送るように、静かに飛行機に乗った。


あの音たちは、あのリズムたちは、


アメリカに置いてきたままだった。


--------


第三章:日本に戻って──あの交差点はなかった

──“融合”を知った者が、日本で感じた静かな断絶


日本に帰ってきたのは、ちょうど季節が変わる頃だった。


アメリカで過ごした日々の熱が、まだ身体に残っているうちに、


FMラジオから流れるJ-POPの音に、耳を傾けた。


──何かが、決定的に違った。


音楽が悪いわけじゃない。


メロディも、詞も、完成度も高い。


でもそこには、“音と音が混ざる余白”がなかった。


R&BはR&Bとして「外来のもの」として消費され、J-POPは“歌謡曲”から派生した形で、独自の進化を遂げていた。


洋楽ファンは洋楽を、邦楽ファンは邦楽を──


リスナーの側からして、ジャンルをまたぐ習慣がなかった。


アメリカで当たり前のようにあった「交差点の音楽」。


SealとMariahが並び、BrandyとBon Joviが共存し、ダンスフロアで人種もジャンルも忘れて踊っていたあの光景。


日本には、その交差点が、最初から存在していなかった。


テレビの音楽番組を見ても。


「J-POP枠」「洋楽コーナー」とはっきり区切られ、ブラック・ミュージックはあくまで“洋楽”の一部として、“少し気取ったもの”のように扱われていた。


あの頃のBrandyやAll-4-Oneを愛した自分は、まるで“ちょっと洋楽通気取りの若者”のように映っていたかもしれない。


でも、僕にとってそれは“かっこつけ”ではなかった。


体験してきた空気そのものだったのだ。


交差点で鳴っていた、誰かと誰かの間にあった“あの音”だった。

そして、どこかで感じたのだ。


「あの時、アメリカにいたからこそ、あの融合を知ることができたのだ」と。


日本では、音楽が文化ではなく、カテゴライズされた商品として届く。


ヒップホップはB-BOY文化として、R&Bはバラード路線の“洋楽的エッセンス”として──


混ざることを前提としていない。


混ざってしまうと、“どこにも属さないもの”になる。


だから混ざれない。


僕が知っていた“音楽の未来”は、


そこにはなかった。


ラジオから流れる曲が、身体に入ってこなくなる。


心ではなく、耳で止まる。


「好きな音楽は?」と聞かれても、


当時のBrandyやSealの名前を挙げることが、どこかで空気を遮ってしまう気がして、言葉を濁すようになった。


交差点のない国に来て、


交差点で踊っていた自分が、


だんだんと記憶の中へ後退していく。


でも、それでも、たまに一人の夜に、


あの頃の曲を再生することがある。


音がまた、交わり始める瞬間を、忘れないように。


--------


第四章:融合の夢と、音楽の暗黒中世

──起こり得たもうひとつの音楽史


音楽は、もっと美しくなれるはずだった。


1995年から96年にかけて、確かに世界は音を“混ぜる”方向へ向かっていた。


R&Bはポップを柔らかく包み込み、ヒップホップも歌声に寄り添っていた。


それぞれの文化が、それぞれの良さを失わずに、響き合うことができた。


白人も黒人も、ステージもダンスフロアも、音楽の中では“私たち”でいられた。


あの交差点は、理想でも幻想でもなかった。


たしかにそこに、鳴っていた。


けれど、世界はそちらを選ばなかった。


1997年以降、音楽は純化と排他の時代に入っていく。


融合は「曖昧なもの」「不明瞭なもの」として距離を置かれ、アイデンティティの明確さが求められた。


ヒップホップは怒りと自己主張の言語となり、R&Bもラップとの融合で“硬さ”を帯び始めた。


繊細で柔らかい音は、「弱い」とされ、BrandyやAll-4-Oneのような存在は“過去の産物”として片付けられていった。


音楽は境界線を引き、互いのエリアを守るようになった。


もちろん、それぞれの領域には新たな名曲も生まれた。


表現も深化した。


だが──その代償として、音楽は“聴く者”を選ぶようになってしまった。


かつてのように、「ジャンルなんて気にせず、ただ響く音を受け取る」ことが、難しくなっていった。


音楽は“好き嫌い”ではなく、“立場や所属”に絡みつくものになった。


僕が「暗黒の音楽中世」と呼ぶのは、そのことだ。


混ざることを恐れ。

分かり合うより、守り合うことを選び。


結果として、音楽の可能性を自ら狭めてしまった時代。


音の“広がり”ではなく、“所属先”ばかりを気にする空気。


──それは、音楽が本来持つ「越境する力」を、失わせた。


あの時、BrandyやSealやAll-4-Oneが作っていた世界線。


誰かの声が誰かの痛みに重なり、


文化が文化に抱かれるような音楽。


その未来が、ほんの数年で閉じてしまったこと。


僕は、それを「退化」と感じたし、今でもそう思っている。


それぞれが正しいと信じて、自分の音を守ろうとした結果、


「交差点」は封鎖され、音楽は“民族”や“階級”や“ジャンル”に閉じられていった。


もし、あの融合が続いていたら──



音楽は、もっと多くの人に届いていたはずだ、1985年のあの時の様に。


もっと深く、もっと優しく、


もっと強く“分かち合う力”を持てていたはずだ。


それは“奪うこと”ではなかった。


“溶け合う”ことだったのだから。



いま、音楽は再び小粒な作品が乱立する時代にある。


プロダクトとしての完成度は高い。


だが──心を震わせるような“響き合い”は減った。


あの時見ていた未来。


音楽が、人種も文化も飛び越えて、


ただ「いい音」として受け入れられる世界。


それは今でも、"起こり得たもうひとつの音楽史"として、僕の中で静かに鳴り続けている。


--------


結章:再び音が交差するときまで

──あの夜のメロディを、まだ覚えている


いま、Brandyの「Baby」を久しぶりに聴いている。


あの声は、何も変わらず、あの頃の夜の匂いを運んでくる。


混ざり合っていた空気、触れたくて手を伸ばした音、


そして、誰のものでもない“共有されたリズム”。


すっかり忘れていたと思っていたのに、一音だけで、時間も場所も、一気に戻ってくる。


たぶん僕は、あの時代の“音楽の感触”を、ずっと心の底に抱えていた。


それはもう戻らないものだと、どこかで諦めながらも、


失くさずにいたいと願っていた何かだ。


あの頃、音楽は境界を越えていた。


そして今、音楽は再び、少しずつ混ざり始めているようにも思う。


Spotifyがアルゴリズムで“ジャンルの壁”を壊し、若いアーティストが言語や国境にとらわれず、自由に音を鳴らし始めている。


かつてほど明確な“交差点”はないけれど、音はまた、“壁ではなく通路”になる準備を始めているように思える。


けれど──僕にとっての“交差点”は、1995年の夜にある。


スローなリズムでステップを踏み、耳に届いた声が、心にも触れていた、あの時間。


もし、あの融合が夢であったとしても、僕はその夢の中で、確かに踊っていた。


それだけで、十分だった。


音楽が人をつなぐものである限り、そして誰かが“音が混ざる未来”を諦めない限り、その交差点はきっと、またどこかで現れるはずだ。


静かに、自然に。


Brandyの声のように、Sealの旋律のように。


気づけばそこにあるような音として。


音楽がまだ、“私たち”のものだった頃の話。


そして、もう一度、“私たち”と呼べる日を願って。



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