第二話:見えてますよ、そのジャージの下

「……なあ、森センセ」


 放課後の体育教官室。部活を終えた生徒たちのざわめきも、もう遠くに消えていた。残っているのは二人きり。それぞれの部活の指導を終えた森と伊達。毎日のように繰り返される光景──のはずだった。

 ……が、この日の伊達の目は、妙に据わっていた。


「ん?」


 体育教官室のソファにどっかりと腰を下ろし、タオルで汗を拭う森。がっしりとした骨格に筋肉の厚みもあるが、最も目を引くのは、やはり腹の丸みだった。ジャージの上からでも存在感を隠せず、座れば腿の上に少し乗るほどに膨らんでいる。

 さらに伊達の目を引きつけてやまないのは、股間の盛り上がりだった。ジャージの布地が不自然に張っており、形がはっきりと浮き出ている。


「それ、ジャージのせいにしてもムリっすよ」


「……何が?」


「センセのソレ、ばっちり形わかる。てか、さっきから目のやり場に困ってんすよ、こっちは」


 伊達はわざとらしく視線を落とし、ペロッと唇を舐めた。童顔に似合わぬ挑発的な仕草。筋肉質な体に、最近少し肉付きが増えた腹。少し小柄な彼がソファの縁に片手をつき、森を見下ろす構図は、まるで肉食獣が大きな獲物を追い詰めているかのようだった。


「……んー、でかいって噂は本当だったんだなぁ」


「おいおい、生徒じゃあるまいし。教師同士でそんな噂流すなよ」


 森は苦笑いを浮かべた。困ったように眉尻を下げてはいるが、声は柔らかい。拒絶するでもなく、完全に叱るでもなく。その緩さが、伊達の胸を余計に熱くする。


「触ってもいい?」


「ダメだ、当たり前だろ」


「見るだけでも?」


「見えてるだろ、もう」


「じゃあ──しゃぶ……」


「却下」


 投げつけられたタオルを、伊達はひょいと片手で受け止める。その顔はにやけたままだ。森が本気で拒絶しているのではないことを、経験として知っている。


 室内に、汗と消毒液と、二人の呼吸が混ざった甘い空気が漂う。煮え切らないようで、確実に熱を孕んでいる。


「……でもさ、森センセも俺の体、ちょいちょい触ってるよね」


「そりゃお前、隙あらば体くっつけてくるから、結果的にそうなってるだけだろ」


「俺、太めの上反りっすよ。触ればわかるのに」


「お前なあ……いきなり何の話をしてるんだよ」


 呆れたように返しながらも、森の視線はほんの一瞬だけ、伊達のジャージの股間に泳いだ。その微細な動きを、伊達は逃さなかった。


(──あ、今、見た)


 心臓が跳ねる。獲物を仕留める寸前の獣の昂ぶりに似ていた。森はいつも「それはダメだ」とかわす。その線引きはぶれない。だが、その拒み方が優しすぎる。突き放すのではなく、まるで「もっと焦らしてやろう」と煽っているかのように。


「……待たせるの、うまいっすね、センセ」


「育ててんだよ、期待を」


「エロっ」


 二人は声をあげて笑った。その笑いは、表向きは冗談の延長に見える。だが、互いの股間にはもう冗談では済まされない熱がこもっていた。ジャージ越しに張りつめたものが、脈打つたびに存在を誇示している。


 伊達もソファに腰を下ろし、森との距離を詰める。肩と肩が触れ、互いの体温が伝わる。大きな丸顔が赤く染まっているのは、気温のせいだけではなかった。


「……なあ、センセ。ほんとに俺のこと、嫌じゃないっすよね?」


 耳元でささやかれる声に、森は一瞬目を伏せる。

 そして、ごく短い間を置いてから、低い声で答えた。


「……嫌だったら、もうとっくに突き飛ばしてる」


 その言葉に、伊達の喉がごくりと鳴る。興奮で全身が熱を帯び、理性が薄らぐ。思わず手を伸ばし、森の太腿に指を置いた。分厚く、弾力のある筋肉と、その上に乗る柔らかな脂肪。指先が沈む感触に、息を呑む。


「……っ」


 森は咄嗟に息を止めたが、すぐに強く拒むことはしなかった。ただ、手の甲で伊達の頭を軽く小突き、「調子に乗るな」と笑う。


「俺ばっか熱くなってんの、ずるいっす」


「俺だって……まあ、ちょっとはな」


「え、今なんて?」


「聞き流せ」


 大きな体をソファに預け、森は視線を天井に逃がした。伊達は隣で肩を震わせ、声を殺して笑っている。けれどその股間は笑い事ではなく、森の横で堂々と自己主張していた。


 静まり返った教官室に、互いの荒い息づかいが響く。時計の秒針が妙に大きく耳に届き、その合間を埋めるように、心臓の鼓動がやけに早くなる。


 伊達は森の丸い顎を指先でつついた。


「……次、絶対我慢させないっすから」


 挑発めいた声に、森は苦笑しつつも視線を戻し、穏やかに返す。


「──じゃあ、次は俺も本気で逃げるかもな」


 互いに笑い合いながらも、視線は絡み合ったまま。冗談の体裁を取りつつ、すでにその境界は紙一重だった。


「……で、森センセ」


 伊達はソファの背もたれに片肘をつきながら、にやりと笑う。童顔に似合わぬ口髭が妙にいやらしく見えて、森は目をそらした。


「まだ何かあるのか」


「あるっすよ。……俺、ずっと気になってんす」


「何を」


「森センセが、どこまで俺を本気であしらってんのか」


「……ん?」


 不意に投げかけられた言葉に、森はタオルを首にかけたまま瞬きを繰り返す。伊達はその反応を楽しむように、さらに身を寄せてきた。


「だってさ、拒否るならもっとはっきり拒否すればいいでしょ?でも森センセ、俺が触っても、抱きついても、絶対に本気で怒んない」


「怒ったところでお前、懲りないだろ」


「それはそうっすけど。でも……優しいんすよ、センセは」


 声色が少しだけ低くなる。伊達の童顔が近づいて、吐息が頬にかかる。森は苦笑しながらも、心臓が跳ねるのを自覚していた。


「優しいって……俺はただの体育教師だぞ」


「俺にとっては、それ以上っすけどね」


 その一言に、森の腹の奥がぐっと熱くなる。冗談とも本気ともつかない響き。伊達はいつもこうだ。境界を曖昧にしたまま、じわじわと距離を詰めてくる。


「……それ以上って、何だよ」


「さあ?想像に任せます」


 そう言いながら伊達は、森の二の腕をむにっと掴んだ。鍛え上げられた厚い腕。だが、伊達の手はそのまま滑って、脇腹の柔らかみに触れる。


「うわ、ここ……やっぱ気持ちいい」


「やめろ、くすぐったい」


「くすぐったいだけじゃないでしょ」


 伊達はわざと指を沈めるように撫でる。森の体がぴくりと震えた。


(……やばい、これ以上は)


 理性がブレーキをかけようとする一方で、下半身はあからさまに反応している。伊達の視線はそれを逃さず、下唇を噛みながら笑った。


「センセ、バレバレっすよ」


「……なにが」


「もう勃ってるでしょ」


「勃ってねぇ」


「ウソついちゃダメですよ。……ほら」


 そう言って伊達は、森のジャージの膨らみに指先を伸ばしかけ──直前で止めた。わざとらしく、森の目を覗き込む。


「触ってほしい?」


「……お前なぁ」


 森は苦笑混じりにため息をつく。呆れているように見えて、その目にはほんの少しの期待が滲んでいた。

 伊達は確信した。森は本気で拒絶していない。


「ねえセンセ、俺らもう三十超えてんじゃないっすか。ガキじゃないんだし、好きなら好きって言えばいいのに」


「好きなんて言ってねえ」


「でも嫌いでもないんでしょ」


「……」


 沈黙。返事の代わりに、森はタオルで顔を覆った。

 その仕草が答えのように思えて、伊達の胸が高鳴る。


「……ずるいっすよ、そういうとこ」


「ずるいのはお前だろ。いつも押してばっかりで」


「押されて困ってる割には、笑ってるじゃないっすか」


「……ったく」


 ぽつりと漏らした森の声は、困惑と甘さが入り混じっていた。

 伊達は一瞬本気で抱きつこうとしたが、直前で止まった。森の瞳に「それ以上はまだ」というサインが読み取れたからだ。

 その代わりに、肩に顎を預けるように身を寄せ、ささやく。


「……じゃあさ、待っててもいいっすか」


「待つって、何を」


「森センセが、俺にちゃんと触れてくれるのを」


 伊達の声は真剣だった。童顔に浮かぶ笑みの奥に、熱のこもった眼差し。森の胸がぐっと鳴った。だが──彼はすぐにタオルをくるりと丸め、伊達の額に軽く投げつけた。


「……バカ言え」


「えっ」


「そんなこと、簡単に言うもんじゃない」


 森はソファから立ち上がり、ロッカーの方へと歩いていく。大きな背中がゆったりと揺れる。振り返った顔は、相変わらず穏やかで優しい。


「俺はお前の相手役じゃない。教師同士なんだからな。──ほら、さっさと着替えて帰れ」


「……センセ」


 伊達は肩を落としながらも、その声色にはどこか諦めきれない響きが残っていた。

 森はそんな彼を見て、ふっと笑う。


「……まあ、からかわれるのは嫌いじゃないけどな」


「マジでずるいっすよ、それ!」


「はいはい。お前の押しの強さはわかったから、今日はもう解散」


 柔らかい声で、しかししっかりと線を引く。伊達は唇を尖らせながらも、結局それ以上踏み込むことはできなかった。

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