第11話 復讐と真実

 その日クルゼフ王国は歓喜に沸いていた。至る所に国旗が掲げられ、国民は朝から酒を煽り、国家を歌いながら陽気に踊る。まさにお祭りムードである。

 皆、戦争に勝利したことに酔いしれていた。

「国王陛下ばんざーい‼」

「やはり我が国の騎士団は最強だ」

 イヴァンと騎士団を称賛する声に国中が震えている。

 そんな話をベーテルから聞いても、ノアにはまるで遠い世界のように感じられた。

「もうすぐ陛下が帰還されます。陛下にタッピングをしていただいたら、きっとノア様もよくなりますから。もう少しの辛抱です」

「うん。ありがとうございます」

 きっと今頃、イヴァンは勝利の旗を手に国中を闊歩していることだろう。まさに英雄の帰還だ。割れんばかりの拍手に歓声——。国民は皆、この若き国王陛下に誇りを感じているに違いない。

 その姿を想像すると、イヴァンが途方もなく遠い人物のように感じられる。こんな貧相な、しかもガーデニングに陥っている花生みの元へと帰ってくる人物ではない。なぜなら、彼はまさに命を懸けて国を守った英雄なのだ。

 ソフィアの言う通り、ソフィアのような立派な司祭こそがイヴァンには相応しいのだろう。

 ノアはよろよろしながら窓際へと近づく。庭園はノアのベゴニアを蒔いたため、かつての美しさを取り戻しつつある。

 馬に乗った騎士団に続き、多くの兵士たちが城へと戻ってきたことを見届けたノアの瞳からは、再び涙が溢れ出す。

「よかった、無事に帰って来てくれて……」

 その時ノアは、大勢の兵士の中から一際輝きを放つ青年を見つける。太陽の日差しにキラキラと輝く真っ白な毛をした立派な馬に跨り、出迎えた家臣に向かい手を振っている。

 ——あぁ、国王陛下だ。

 ノアの胸が熱くなり、次から次へと涙が溢れ出す。イヴァンの近くにはアッシュの姿もある。その元気そうな二人の様子に、ノアはその場に崩れ落ちてしまいそうになるほどの安堵感を覚える。

 それと同時に、この戦で、一体何人の兵士の命が奪われたのだろうか……。そう考えるだけで、ノアの心が押し潰されそうなほど痛んだのだった。


 イヴァンが帰還してからしばらくしても、イヴァンが箱庭にやってくることはなかった。

「やっぱりソフィア司祭の元へ行ってしまったのだろうか」

 辺りが薄暗くなり、リヴィア教会にランタンの明かりが灯る。

「なんで俺の所に来てくれないんだよ……!」

 ノアはその場に崩れ落ちる。

「ブートニエールになろうって言ってくれたじゃん」

 涙が次から次へと溢れ出し、床がベゴニアで埋め尽くされていく。涙が溢れ出す度に、目が炎を押し付けられたように熱く、頭が割れそうに痛む。それでも涙は止まることなく溢れ続けた。

 いつの間にか、ノアの周りはベゴニアで溢れかえってしまっている。それでもノアは涙を流し続けた。 

 どんなにたくさんのベゴニアを生み出し、意中の花食みを誘っても、その花食みはノアの元には来てくれない。

「全部嘘だったんだ」

 花を生み出し過ぎたノアの意識は朦朧としており、箱庭の草花が霞んで見える。体は衰え、心は冷え切ってしまった。しかし、ノアの元にイヴァンは来てくれない。

 今頃、愛するソフィアと再会の喜びを分かち合っているに違いない。あの日、二人が仲睦まじくタッピングをする光景が脳裏に焼き付いている。とてもお似合いの二人だった。

「俺は、利用されていただけだったんだ」

 ノアはすぐ近くにあるベゴニアの花をグシャッと握りつぶし、投げ捨てる。

「花生みなんかに生まれてこなければよかった」

 最後にそう呟いて、ノアは意識を手放した。


 ◇◆◇◆


「ノア、大丈夫か!? しっかりしろ‼」

 誰かに体を揺らされる感覚に、ノアはうっすらと瞳を開ける。虚ろな瞳で声のする方を向くと、自分のことを心配そうに見つめるイヴァンがいた。

 ノアの体を抱き起し「可哀そうに」と優しく髪を撫でてくれる。

「すまない。帰還してから色々しなくてはならないことがあって、なかなか箱庭ここにくることができなかったんだ。まさか、こんなにも悲惨な状態になっていたなんて……」

 真っ青な顔で自分を抱きかかえるイヴァンを見て、ノアは可笑しくなってしまう。

 ——何を白々しいことを言っているんだよ。俺のことなんてどうでもよかったくせに……。

 ノアは何も言わずに、そっとイヴァンから視線を逸らした。

「其方をガーデニングに陥らせてしまったのは私の責任だ。大切な花生みに、こんなにも辛い思いをさせてしまったなんて……。花食みとして本当に情けない」

「…………」

 うっすらと瞳に涙を浮かべるイヴァンの頬を、ノアはそっと撫でてやる。

 ——一体、どっちが本当のお前なんだろうな?

 いくら考えても答えなんて出ない。

 今、自分の髪を優しく撫でてくれるこの手で、一体何人の人間を殺めてきたのだろうか? この優しい手は、血で真っ赤に染まっているのではないだろうか? そう思うと、イヴァンのことが恐ろしくなってきてしまう。

『この力だけは、何があっても絶対に使ってはいけないよ』

 ふと、あの言葉を思い出す。ノアが幼い頃から、繰り返し両親に言われてきた言葉だった。

「もう俺には、何がなんだかわからないよ」

「ん? どうしたノア?」

「俺にはどちらが本当のお前なのかがわからない。今こうして俺に優しくしてくれているのが、本当のお前なのか? それとも、無慈悲にも俺の両親を殺めたのが本当のお前なのか? それが俺にはわからない……」

「ノア……」

「もう考えることも疲れた。それにこれ以上……」

 そう言いかけてノアは口を噤む。「これ以上、お前を好きになることが辛い」と言いかけて、ノアは口を閉ざした。

「こんなにも花を生み出して、其方体は大丈夫か?」

「大丈夫なわけないだろう?」

 イヴァンはノアの周りに雪のように積もったベゴニアを、大切そうに手に取り見つめている。そのうちの一つを口に入れ咀嚼する。そして「やはり、其方のベゴニアは本当に美味しいな」と顔を綻ばせた。

「……なぁ、体がしんどいんだ。タッピングしてくれる?」

「勿論だ。ノアよ、ここにおいで」

 イヴァンはノアの体をそっと抱き寄せてくれる。久しぶりに感じるイヴァンの温もりに、ノアの瞳からまた涙が溢れ出す。

 ——もう、これで終わりにしよう。父さん、母さん、約束を守れなくてごめん。

 ノアは心の中でそっと謝罪をしてから、イヴァンを見上げる。それから、形のいいイヴァンの唇をそっと指でなぞった。

「キスして。唇に……。花食みの体液をちょうだい」

「ノア、辛いのか?」

「あぁ。このまま抱いてもらってもかまわないから。お願い、タッピングをして」

「わかった。花食みとしての体液を、其方に分け与えたい。もらってくれるか?」

「うん。ちょうだい」

 ノアが頷いて目を閉じると、イヴァンに顎を掴まれて軽く上を向かされる。

「ノア、私は其方を好いている」

 イヴァンの耳障りのいい声が鼓膜を震わせる。それから二人の唇がそっと重なった。

「んッ……」

 その柔らかくて温かな感触に、ノアは思わず甘い吐息を吐く。イヴァンの唇が離れていったことが寂しくて、ノアは「もう一度……」と自ら口づけをねだった。

「可愛らしいな」

 そんなノアを見たイヴァンが、幸せそうに笑う。この笑顔を見るのもこれが最後だ——。ノアはそう心に決めた。

 花生みは花を生み出す以外に、禁断とされている能力も併せ持って生まれてくる。花生みとして他よりも優れた能力を持つノアは、その禁断の能力も他の花生みに比べ恐ろしいものであった。そのため、両親より『この禁断の能力は使うな』と言われ続けたのだ。

「ノア……」

 そう自分の名を呼びながら口づけられた時、ノアは舌を使いイヴァンの口内にそれを押し込んだ。

「はっ!? ……っ、其方、今何を……っ」

 自分の口を押えながらイヴァンがノアから体を離す。毒などの知識はたくさん持っているであろうイヴァンは、とっさに吐き出そうとしているが、それは叶わなかったようだ。

 ノアはそんなイヴァンを静かに見つめていた。

「……今、私に何を飲ませたんだ?」

「俺たち花生みには、花を生み出す他にも禁断と呼ばれている能力を持ち合わせているんだ」

「禁断の能力?」

「そう。俺の禁断の能力は、口づけを介して他人の体内に猛毒の種を植え付けることができるんだ」

「じゃあ、其方は今、その毒を私に飲ませたのか?」

「あぁ。俺がこの城に来たのは両親の復讐のため。たった今、俺はそれを果たすことができたんだ」

 苦しそうに顔を歪めるイヴァンから、ノアはそっと体を離す。

「苦しいか? 毒の種が体内で芽を出したのかもしれないね」

「ノア……」

「さよなら、国王陛下」

 ノアはイヴァンに向かい、深々と頭を下げる。何度も考えて決心したはずなのに、心が張り裂けそうに痛い。再びノアの頬を涙が伝った。

「ノア、其方、体調は大丈夫なのか?」

「は? お前、こんな時に何を言ってんだよ?」

「其方は、私の愛しいブーケだからな」

 イヴァンは弱々しい笑みを浮かべながらノアの元へと歩み寄り、様子を伺いながらそっとノアを抱き締めた。咄嗟に腕の中から逃げだそうとしたノアに、イヴァンは「少しだけ、このままでいてくれ」と囁く。

 イヴァンは余程苦しいのだろう。肩で息をしているし、体が氷のように冷たい。手足が震え、立っているのがやっとという様子だった。

「戦から生きて戻ってこられたのに、まさかここで命を落とす羽目になるとはな。しかし、其方に命を奪われるのであれば、後悔などない」

「お前、何言って……」

「ノア、其方に話しておきたいことがある。聞いてくれるか?」

 ノアを強く抱きしめ苦しそうにイヴァンが囁く。ノアはそんなイヴァンを突き放すことなどできず、静かに頷いた。

「ありがとう、ノア」

 苦しそうに顔を歪めながらも笑うイヴァンに、ノアの胸は締め付けられた。

「私の本当の名はイヴァンではない」

「は?」

「私はクルゼフ王国の第二王子、ユリアスだ」

「……ユリアス……」

「そうだ。イヴァンはクルゼフ王国の第一王子であり、私の双子の兄だ」

「え?」

 ノアは目の前の男の言葉が理解できず唖然としてしまう。そして、ユリアスと名乗った男の顔をジッと見つめた。

「兄であるイヴァンは前国王が崩御した後、国王に就任した。しかし兄は元々傲慢で、プライドの高い男だった。自分が気に入らないことがあれば、躊躇なく殺人も犯すし、手に入れたいものは強奪をも厭わない……冷酷な男だった」

 ノアはユリアスと名乗った男の言葉が信じられず、彼を見つめることしかできない。そんなノアに微笑みかけながら、その男は言葉を紡ぎ続けた。

「しかし、そんな傍若無人な国王をよく思わない家臣たちに、彼は殺害されてしまった。けれど、私はある目的のため、イヴァンになりすまし国王に就任したのだ」

「……ある目的?」

「そうだ。其方に恨まれるために、だ」

「なんで……そんなことを……?」

 ユリアスの顔はどんどん血の気を失い、口角からは血液が滴っている。恐らく、ノアが飲ませた猛毒の種がユリアスの体を侵食し始めているのだろう。

「私はイヴァンがリリス村を襲撃し、其方たちが酷い目にあっているのを目の当たりにしたにもかかわらず、何もしてやることができなかった。私は、イヴァンから其方たちを守ってやることができなかったのだから、イヴァンと同罪だろう……ク、ゥ……ッ!」

 膝がガクッと折れ床に崩れ落ちそうになったユリアスの体を、ノアは必死に受け止める。もう立っているのも苦しそうだ。

「しかし、いずれ我々は其方の力が必要になるときがくることはわかっていた……だから、其方と再会するときにはイヴァンとして再会し、其方に恨まれることで罪滅ぼしがしたかった」

「そんな、そんな……」

「だから、私は愛しいブーケに命を奪われるのならば、こんな幸せなことなどない。ノアよ、ずっと苦しい思いをさせてしまい、すまなかった」

 そう言い残すと、ユリアスは床に倒れ込む。苦悶に満ちた呻き声と共に吐き出される血液を見て、ノアは途方に暮れてしまった。

「俺、お前のことをイヴァンだと思ってて……。だからこんなこと……。どうしよう、どうしたらいいんだ……?」

 崩れ落ちるユリアスを抱えるノアの体がガタガタと震えだし、全身からすっと血の気が引いていった。

 氷のような表情で両親を殺めたイヴァンと、優しい笑みを浮かべるイヴァン。ノアはどちらが本当のイヴァンかわからなかった。しかし、たった今その謎が解けた。まるで、パズルのピースが音をたててはまった時のように——。

 ノアはただ、ユリアスを抱き締めることしかできなかった。

「ごめん、ユリアス。俺、お前の気持ちなんて全然知らなかったから、毒を……」

「ユリアス……。最期に其方にそう呼んでもらえて私は幸せだ。ノア、本当にすまなかった。許してほしいなんて、今の私には言えることではないが……。其方には幸せになってほしい」

「嫌だ、嫌だ、ごめんなさい。だから死なないで!」

 ノアはユリアスを力いっぱい抱き締める。かろうじて聞こえるユリアスの心音が今にも止まってしまいそうで、強い恐怖に駆られた。

「でも、私が其方のことを想っていたことは本当だ。其方と、ブートニエールになりたかった」

「ごめん、ごめんなさい、ユリアス。お願い死なないで……‼」

「泣かないで、ノア。私は今とても幸せだ。ありがとう、ノア……」

 ユリアスの腕がだらんと床に落ち、全身の力が抜けていく。彼の顔から血の気が引いていき、体が徐々に冷たくなっていくのを感じた。

「嫌だ、嫌だ、こんなの嫌だ……‼ ユリアス死なないで……‼」

 ノアの泣き声が静かな箱庭に響き渡る。


「嫌だ、絶対にユリアスを死なせるもんか……」

 しかしノアには禁断の能力を消し去る方法がわからない。色々と思考を巡らせてみるものの、答えなんて見つからない。そのとき、『其方のベゴニアは本当に美味しい』と笑うユリアスの笑顔が脳裏を過った。

「もしかしたら……」

 ノアは床に落ちているベゴニアの花を口に含み、勢いよく咀嚼する。

「不味い……!」

 ベゴニアを噛んだ瞬間、花の苦い汁が口中に広がりノアは思わず顔を顰める。花食みのユリアスだったからこそ、美味しいと感じてくれたのだろう。

 ノアは噛み砕いたベゴニアを、ユリアスの口を強引にこじ開けて口移しで押し込む。

「頼む、飲み込んでくれ!」

 しかし、意識のないユリアスの口端からベゴニアの花はこぼれ落ちた。

「ユリアス、頼む飲み込んでくれ! もしかしたらこれで助かるかもしれない……!」

 ユリアスにベゴニアの花を食べさせれば、毒の種の効果を消すことができるかなんて、ノアにはわからなかった。ただ、今のノアができることは限られている。果たして、これがトライフルに値するかなどわからないが、ノアは無我夢中だった。

 ベゴニアの花を奥歯ですり潰し、ユリアスの口内に押し込む。

「頼む、飲み込んでくれ‼」

 ノアの瞳からは涙が溢れ、ベゴニアの花へと姿を変え、ユリアスの上にそっと落ちた。

「飲み込んでくれ、ユリアス」

 何度も何度も同じことを繰り返しているうちに、コクンとユリアスの喉元が動いたのを感じた。

「まさか……」

 ノアがもう一度口移しでベゴニアをユリアスの口内に入れてやると、もう一度喉元がコクンと動く。それを見たノアは思わずユリアスを抱き締めた。

「お願いだ、戻ってきてくれ。俺はお前とブートニエールになりたいんだ」

 涙は次から次へと溢れ出し、ユリアスの上にベゴニアとなって落ちていく。

「ユリアス、戻ってきて……」

 ノアがユリアスの胸に顔を埋めると、規則正しい心音が聞こえてくる。冷たかった体にも少しずつ温もりが戻ってきているのを感じた。

「よかった……」

 もう一度ユリアスを抱き締める。

「あぁ、疲れた……」

 ノアはユリアスを床にゆっくりと寝かせた後、自分もその隣に横になる。長いことガーデニングに陥っていたノアには、もう力など残されていなかった。

 久しぶりにユリアスをこんなにも近くに感じることができ、ノアの心は熱くときめく。

 きっと戦争でたくさんの傷を負ったのだろう。ユリアスの体にはたくさんの生傷があり、ひどく痛々しい。ノアは、ユリアスの傷を優しく撫でた。

「本当に、よかった。お前が生きていてくれて」

 ふとユリアスの胸の辺りに膨らみを感じたノアがそっと手を伸ばすと、そこにはハンカチーフに包まれたベゴニアの花が姿を現す。

「これ、ずっと大切に持っていてくれたんだな。ありがとう。ありがとう……」

 ノアはユリアスの手を握りそっと目を閉じる。

 そんな二人を、ベゴニアの花が優しく包み込んでくれたのだった。

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