第9話 ソフィアの企み
最近イヴァンがよく耳にする噂がある。
「アッシュ騎士団長とノア様が恋仲らしい」
「あぁ、よく箱庭で国王陛下に隠れて逢引きしているようだ」
そんな噂を聞くたびに、「たかが噂だ」と自分に言って聞かせるのだが、心の中にさざ波が立つのを感じる。イヴァンは、自分が想像していた以上に嫉妬深い花食みなのだと感じていた。
今まで、周りになんと言われようと妃を娶ろうなどと考えたことなどなかったし、その気持ちは今も変わらない。自分にはノアがいれば十分なのだ。
あのまま誰の目にも触れないよう、箱庭に閉じ込めてしまいたい——。そんな独占欲に支配されそうになることもある。なにより、アッシュに時々ノアの様子を見に行くよう命じたのはイヴァン自身だ。自分の命令を忠実に実行してくれるアッシュに、文句の言いようもない。
それにアッシュは、この城の中でイヴァンが唯一心の底から信頼できる家臣だった。
「はぁ……疲れたな」
イヴァンは自分の目の前に積み上げられた書類を見て、大きく息を吐く。
有能な諜報員が持ち帰ってきた情報によると、この数日のうちに隣国がクルゼフ王国に攻め入ってくる可能性は高い。もしそうなれば、大規模な戦争へと発展することだろう。
イヴァンは国王に就任してからというものの、大きな戦争を経験したことなどなかった。
「果たして、私にこんな大役が務まるんだろうか……」
そんな思いに駆られるとき、ふとノアに会いたいと思う。しかしノアにとって己は、両親を殺めた憎き仇であることに変わりはないはずだ。そんな自分が、ノアの態度に甘えて、箱庭に閉じ込め逢瀬を繰り返し、今度は戦争をして、より人を殺めることになるかもしれないなどと……。一体、どれだけ懐が深ければ、拒絶することなく許してもらえるというのだろうか。
「たった一人の花生みのために、一国の王がこんなにも心を痛めることになるとはな……」
そう考えると可笑しくなってきてしまう。しかし、イヴァンにとってノアは何にも代えがたい存在になってしまっていた。
最後にノアに会ったあの晩から、もう数日が経とうとしている。
「会いたい」
イヴァンは筆ペンをペン立てに戻し、椅子から立ち上がった。
外に視線を移すと辺りは真っ暗になっており、空には見惚れるほど美しい満月が浮かんでいた。
城の中は静まり返っており、イヴァンが廊下を歩くと見張りをしている騎士たちが深々と
ノアがいる箱庭は、城の中でも一番高い塔にある。せめて見晴らしのいい場所に箱庭を作ってやりたい——。そう思ってのことだったが、今になって少しだけ後悔してしまう。
「ん、なんだ? こんな時間に……」
イヴァンが重たい足取りで箱庭へと続く階段を上っている途中、踊り場で口論をする声が聞こえてくる。不審に思ったイヴァンは気配を消し、耳をそばだてた。
「ソフィア、どういうことだ? お前はノア様を陥れ、この城から追い出そうとしているのか?」
「え? なんのことでしょう? 僕には何が何だかさっぱり……。こんな所に呼び出されたから何事かと思えば、そんなことですか?」
「そんなことだと? ふざけるな! 私とノア様が恋仲だとみんなに吹聴して回っているのはお前だろう?」
「……へぇ。案外、勘がいいんですね」
「ハッシェルを少し脅しただけで、簡単に口を割ったぞ」
「まったく……本当に、あいつはどこまでも使えない奴だ」
ソフィアは意地の悪い笑みを浮かべながらアッシュを見上げる。その顔は、ソフィアと付き合いの長いイヴァンでも見たことのないほど醜いものだった。
「ええ、そうです。だから貴方は今まで通り、ノア様のお世話を焼いて、甲斐甲斐しく務めてさしあげればいいんですよ」
「そんなことできるはずがないだろう!? 私はノア様を陥れるつもりなど、全くないからな!」
こんな真夜中に口論を繰り広げている二人を見て、イヴァンは目を見開く。そこにはアッシュとソフィアがいた。普段あまり接点のない二人の口論をしばらく観察しようと、イヴァンは息を潜めた。
「そうか、それは残念です。僕の作戦が上手くいけば、ノア様をこの城から追い出すことができ、国王陛下を再び自分だけのものにすることができたというのに……」
「なんだと? 貴様もしや、ノア様を一人で教会に行かせて陛下を怒らせたのも、陛下とお前がタッピングをしているのをノア様に見せたことも……。すべて企み通りだったとでもいうのか!?」
「はい。その通りです」
「どうもおかしいと思っていたんだ。全てがお前の企みだったとしたら、すべて合点がいく」
「それだけではありません。僕の作戦は、ノア様がこの城に着いた直後から始まっていましたから」
「一体、ノア様に何をしたというのだ!?」
全く悪びれた様子もなく平然としているソフィアに、アッシュが食ってかかる。そんなアッシュを嘲笑うかのように、ソフィアは言葉を紡いだ。
「ノア様がこの城に来た翌日、ハッシェルに
「なんだと? あれが原因でノア様はバースレスとなり、花が生み出せなくなってしまったんだぞ!?」
「はぁ……。わかってないなぁ。それが狙いでしょう? 花を生み出せなくなったノア様に用などない。この国を追放されるか……、むしろ処刑されてしまえばよかったのに。だって、この国の花生みは私だけで充分なのですから」
「おい! 言葉を慎め!」
「ハッシェルは邪魔者がいなくなる、と喜んで協力してくれましたよ」
顔を紅潮させ大声を上げるアッシュは、今にもソフィアに掴みかかりそうな勢いだ。そんなアッシュを見て愚かな人だと言わんばかりにソフィアが薄笑いを浮かべる。
「あーあ、残念です。単純な貴方を利用したこの作戦も失敗に終わりそうだ。一生懸命知恵を絞ったのですが、僕の誤算は、想像以上に貴方が馬鹿ではなかった……ということです」
「なんだと?」
「国王陛下に必要とされなくなったノア様を貴方が慰めれば、あんな子ども、すぐに心変わりをして貴方に好意を抱くでしょう? それは貴方にとっても好都合なはずだ」
「ふざけるな……‼」
アッシュは余程激高しているらしく、握りしめられた拳がぶるぶると震えている。額に浮き出た血管がはち切れんばかりに拍動を打った。
「貴方だってノア様に気があるでしょう? ノア様をこの城から追放することができれば、その後は何とでもなるはずだ。優しい言葉をかけて彼を匿い、二人で仲良く暮らしていけばいいではないですか?」
「馬鹿なのはお前だろう? 私は陛下を裏切ることなんてできない」
「でも、ノア様に好意を抱いていることは事実でしょう?」
ソフィアの問いかけにアッシュが息を呑む。強く歯を食いしばってから、声を振り絞った。
「もしそうだとしても、私は絶対に陛下を裏切ることはない……! 私は、騎士団に入団した時、あのお方の為に命を懸けようと誓ったのだ。その気持ちは今も変わらない」
「そうですか。それは残念です。では、交渉決裂ですね」
「当たり前だ。私はこの国の騎士団の団長という誇りを捨てることなど、絶対にありえないのだから」
そう言い放つアッシュの目には、一寸の迷いも見られない。
「もういい。このことを陛下に報告する」
「待ってください」
「なんだ?」
その場を去ろうとするアッシュの腕を掴み、ソフィアが引き留めた。
「もしそんなことをしたら、私がノア様に直接手をくだしますよ」
「どういうことだ?」
「ふふっ。花生みにはね、花食みが知らない能力を隠し持っているのです。その能力を使えば、あんな少年を殺めることなど苦でもない。だから、このことはくれぐれもご内密に……」
「な……っ! どうせ……はったりだろう?」
「さぁ、どうでしょう?」
「ふざけるな‼」
我を忘れたかのよう激怒したアッシュが、近くにあった壁を勢いよく殴る。大きな音をたてて壁が崩れ落ちた後、アッシュの拳からポタポタと血液が滴り落ちた。
——そろそろ止めに入るか……。
イヴァンが二人の元へ駆け寄ろうとしたとき「これ以上ノア様に何かをするのであれば、絶対に許さないからな」と言い残し、アッシュがソフィアに背を向ける。
「あははは! 本当に馬鹿な男だ」
ソフィアはそんなアッシュを見て笑いが止まらないようだ。二人のやり取りを見たイヴァンの胸に、虚しさが津波のように押し寄せてくる。
——一体私は、国王として何を守ろうとしているのだろうか?
空を見上げると満月が静かに自分を見下ろしていた。イヴァンは少し考えを巡らせてから、再びゆっくりと階段を上り始める。その足音に気づいたソフィアとアッシュが、同時にイヴァンに視線を移し目を見開いた。
「こ、国王陛下……。まさか今の話を……」
「あぁ。盗み聞きするなど、行儀が悪いとは思ったのだが。内容が内容だけに気になってしまってな。全て聞かせてもらった」
「……そんな……」
「ソフィアよ、言い逃れなんてできないぞ」
ソフィアは顔を真っ青にして、その場に崩れ落ちる。華奢な体はガタガタと震え、今にも過呼吸になってしまいそうだ。そんな中「ノアが悪い。あいつが悪いんだ」とまるで呪いの言葉を吐くかのようにブツブツと呟き出す。
その姿があまりにも痛々しくて、イヴァンは目を細める。しかし、厳しい声色でソフィアに語り掛けた。
「戦争が終ってから、ソフィアの処遇を決定する。恐らくこの国にいることは、もうできないだろう。其方のような有能な花生みを失うことは非常に残念だが、仕方がない」
「あいつがいなければ……ノアさえこの城に来なければこんなことにはならなかったんだ‼ あいつが悪い……全て、あいつのせいなんだ……」
泣き崩れるソフィアの背中に、イヴァンはそっと手を乗せる。それは、イヴァンがソフィアに向けた、最後の優しさだった。
「陛下、私も陛下に謝らなくてはならないことが……」
「なんだ?」
アッシュがイヴァンに向かい深々と頭を下げる。その様子をイヴァンは黙って見つめた。
「私がノア様に好意を抱いていたことは本当です。しかし、恋仲になったということは一切ありません。どうか、それだけは信じてください!」
「アッシュ、わかっている」
イヴァンはアッシュの肩を叩き「頭を上げよ」と声をかける。それから、アッシュに向かい微笑みかけた。
「其方は私が一番信頼している家臣だ。大丈夫、信じている」
「ありがとうございます。私は、この命を陛下に捧げる覚悟です」
「ありがとう、アッシュ。其方にも色々迷惑をかけたな」
その言葉を聞いたアッシュは、瞳を輝かせながら再び頭を下げる。イヴァンは、この馬鹿が付くほど真面目で忠実な男が好きだった。
「もうすぐ戦争が始まる。アッシュ、よろしく頼むぞ」
「はい!」
イヴァンがもう一度空を見上げると、満月が暗闇を照らしている。その月明かりが、イヴァンには一筋の光のように見えたのだった。
◇◆◇◆
「本当にもうすぐ戦争が始まります」
そうノアに告げてから、アッシュもほとんどノアの元へとやってくることがなくなってしまった。
いやに騒がしい料理長に、時々世話をしにきてくれる優しい家来たちだけが、ノアの唯一の話し相手だ。花に話しかけることはあっても、花は答えてくれはしない。それでも、箱庭に植えられた草花は、ノアの心を癒してくれた。
「会いたい」
ノアがそう望んだところで、イヴァンにこの思いが届くはずがない。いつ始まるかわからない戦争を目の前に、ノアを構っている余裕などないだろう。
わかってはいるが、この孤独を掻き消すことはできない。
それと同時に、イヴァンに戦争に行ってほしくないという思いもある。もうイヴァンには誰も殺めてほしくない。誰かが命を奪われることで、得られるものなんて何一つない、ということをノアは知っているのだ。
自分はイヴァンに復讐をするために、ここへやってきたというのに、未だにそれを果たすことはできていない。両親に「決して使わないように」と言われ続けた、花生みの隠された力も使わずにきてしまっている。
「いくらでも、イヴァンに復讐する機会はあっただろうに……」
わかってはいた。だがノアには、今更イヴァンを手にかけることなど、できるはずはなかった。
イヴァンに惹かれている自分と、両親の仇を討ちたいという思いが、ノアの中で葛藤していて、苦しくて仕方がない。
「イヴァンは、今日も来てくれないか」
冷たい布団に潜り込むと、寂しさが大波のように襲ってくる。イヴァンが一緒にいるときにはあんなにも温かったのに——。
「寒い……」
ノアは小さく震えてから目を閉じる。目を閉じるとイヴァンの優しい笑みが瞼の裏に浮かんできた。
「会いたい、会いたいよぉ」
ポロポロと頬を伝う涙を、ノアは止めることができない。ノアの瞳から溢れ出した涙は、ベゴニアの花に姿を変えていったのだった。
「ノア、ノア、大丈夫か?」
「ん、んッ……」
何者かに、そっと体を揺すぶられる感覚に目を覚ます。ノアが目を開くと、そこには会いたくてたまらなかったイヴァンがいた。
「国王陛下……!」
ノアは夢中でイヴァンにしがみつく。そんなノアの体をイヴァンは優しく抱きとめ、愛おしそうに髪を梳いてくれた。
「其方、こんなにたくさんの花を一度に生み出すなんて危険だ。体は大丈夫か?」
「花?」
イヴァンの言っていることの意味が分からずノアが辺りを見渡すと、ノアのベッドの周りには色とりどりのベゴニアの花が数えきれないほど落ちている。そして、部屋中に甘いベゴニアの花の香りが充満していた。
「……あ、違うんだ。ベゴニアを生み出そうと思ったわけじゃない」
「じゃあ、なんでこんなにもたくさんのベゴニアの花が?」
「……知らねぇよ、そんなの」
ノアが照れくさそうにイヴァンから顔を背けると、イヴァンが首を傾げる。それから、にやりとほくそ笑んだ。
「そうか。其方、今度はガーデニングに陥っていたのか?」
「うるせぇよ」
「私に会えなかったことが、そんなにも寂しかったなんて……本当に可愛らしい」
頬を赤く染めるノアを、イヴァンが愛おしそうに抱き締めてくれた。
ガーデニングとは、花生みが花食みと長時間触れ合うことができず寂しさを感じたときに、花生みが花を過剰に生み出してしまうことである。花食みを誘惑するために多量の花を生み出し、愛情を注いでもらおうとする花生みの本能なのだ。
「私はどうやら其方の花の甘い香りにまんまと誘惑されてしまったみたいだ」
「うるさい、黙れ」
「可愛いな、ノア」
耳元で囁くイヴァンの吐息がくすぐったくて、ノアが肩を上げる。それでも、イヴァンは抱き締める腕を緩めてなどくれなかった。
「だがしかし、一度にたくさんの花を生み出すことは危険だ。其方の命にも関わってくる」
「……ならもっと傍にいてよ」
ノアはイヴァンの洋服をギュッと掴む。「戦争なんかに行かないで」と言いかけた言葉を呑み込む。今自分の目の前にいる男は国王陛下であり、これから己の命を懸け国を守るために戦争へと出向くのだ。それを、自分の我儘なんかで困らせてはいけない……。そんなことくらい、ノアにだってわかっている。
「しかし、其方をガーデニングにまでしてしまった責任は私にもある」
「そ、そんな。お前のせいなんかじゃねぇよ」
「寂しい思いをさせてすまないな、ノア」
それでも少し困惑したような顔をしながら、ノアの頭を優しく撫でてくれた。
「お詫びと言ってはなんだが、其方に見せたいものがある。こんなに遅い時間ではあるがついてきてくれるか?」
「……俺に見せたいものって?」
「それは秘密だ。さぁ、参ろう」
イヴァンは自分が羽織っていたマントをノアに掛けてくれ、そっと手を引いてくれたのだった。
イヴァンが連れてきてくれたのは、クレーア城の庭園だった。庭園はノアがこの城にやってきた日に少し眺めただけで、こんな風に庭を見て回ったのは初めてだった。
庭園に敷かれた芝は枯れ果て、所々に植えられている木も枯れてしまっている。この庭に草木がある頃には、さぞや綺麗な庭園だったことだろう。
そんな中、甘い花の香りがノアの鼻腔をくすぐる。こんな荒れ果てた庭園に花が……? ノアが辺りを見渡すと、庭園の真ん中にある大きな噴水の近くに、真っ赤な薔薇が一面に咲き乱れていた。
「なんでこんなところに薔薇が?」
「綺麗だろう? この薔薇を其方に見せたかったのだ」
「うん。すごく綺麗だ」
薔薇は噴水の水飛沫を受け、月明かりにキラキラと輝いている。ノアは思わず薔薇の近くに駆け寄り、そっと顔を寄せる。薔薇からは上品で甘い香りがした。
「其方のベゴニアの花を、其方のことを思いながら植えたんだ。そしたら、こんなにも美しい薔薇の花が咲いた」
「そうか……すごく綺麗だ。薔薇の花が咲いてよかったな」
「そうだな。ありがとう、ノア」
イヴァンもノアの近くに来て薔薇の花の香りを堪能している。
「本当にいい香りだ」
それからノアに向かって笑いかける。あまりにもイヴァンの顔が近くにあったものだから、ノアは慌てて体を離す。
鼓動がどんどん速くなり、頬に熱が籠っていく。ノアが空を見上げると三日月が頼りなく庭園を照らしている。それでも宝石のようにキラキラと輝く星々が、空いっぱいに広がっていた。
こっそりイヴァンを盗み見ると、漆黒のような長い黒髪が夜風に揺れ、三日月の淡い光が眉目秀麗な彼の姿をより一層引き立てて見せる。彼が少し俯くと、長い睫毛が影を落としそれがたまらなく美しい。ノアはしばし、イヴァンに視線を奪われてしまう。
「ノアよ、先程私が其方のことを思いながらベゴニアの花を植えたところ、赤い薔薇の花が咲いたと話しただろう?」
「あぁ、うん」
「赤い薔薇の花言葉は『貴方を愛す』だ」
「え?」
少しだけ頬を赤らめたイヴァンがノアの手をそっと握った。
「私は過去に其方の両親を殺めた。この事実は私がどんなに其方に償っても変わることはない。でももし、其方が私のことを許してくれるのならば……」
「…………」
その時、庭園を風が吹き抜け二人の髪を優しく揺らす。イヴァンは顔にかかったノアの前髪を搔き上げながら、優しい笑みを浮かべた。
「私の花嫁……。つまり、ブーケになってほしいのだ」
「ブーケに?」
「そうだ。初めて其方を抱いた時にも私の想いを伝えたが、正式に申し込ませてほしい。ノアよ、私が戦争から戻ったら、正式に私とブートニエールになってほしい」
ノアはイヴァンの告白に、自分の耳を疑ってしまう。
それでも、イヴァンの穏やかな顔を見ていると、あまりにも綺麗で涙が溢れ出しそうになった。
お前みたいな一国の王たる者が、自分のような田舎育ちの花生みとブートニエールになりたいだなんて、頭がおかしいのではないか? とからかってやりたくなったが——。イヴァンのそのあまりにも真剣な表情に、ノアは何も言えなくなってしまった。
「花食みと花生みがブートニエールを成立させることが、どんなに大変なことかわかっているのか?」
「あぁ、私だって子どもではない。それくらいわかっているさ。でも、私は其方とブートニエールになりたいのだ」
イヴァンはノアの手の甲に、そっとキスを落とす。
「考えておいてくれ。そして、どうか過去の私を許してほしい……などと言ったら、都合がよすぎるか……」
そう言いながら、イヴァンは寂しそうに笑う。そんなイヴァンを見ていると、「いや、許すよ」と言いたくなってしまうのだ。
「寒くないか、ノア?」
「あ、うん。大丈夫だ」
「では、もう少しだけ庭園を散歩しよう。今日は気持ちのいい夜だ」
「……うん」
ノアは一度離れてしまったイヴァンの手を、そっと握る。イヴァンはびっくりしたのか、少し驚いたような顔をしてからにっこりと微笑む。
——俺はあの日のことを許し、この人の愛情を受け入れることができるのだろうか。
空を見上げると星が硝子細工のように輝いている。
愛しい。
でも、憎い。
二つの相反する感情が、再びノアの心を搔き乱していく。
「なぁ、今日はキスしてくれねぇの?」
「キスしていいのか?」
「……うん」
自分から言い出したくせに恥ずかしくなってしまったノアは、足元に視線を落とす。そんなノアのことを気遣うよう、イヴァンがノアの顎に指を添えてそっと上を向かせてくれた。
ノアの目の前には、優しく微笑むイヴァンがいる。その美しい瞳に吸い込まれそうになってしまう。そして、この男を信じたい——。そう思わずにはいられない。
「ノア……」
ノアが期待に睫毛を震わせながら瞳を閉じると、イヴァンの柔らかな唇がそっと自分に唇に重なる。静かに息継ぎをすると、もう一度優しく口づけられた。
薔薇の香りに包まれながら、二人は静かに口づけを交わし続けた。
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