第2話 山道を行く

 山奥の村へ一通の封書を届ける――それは比較的穏やかな依頼のはずだった。


 俺ディセル=インナーは単身緩やかながらも山頂へと続くであろう山道を黙々と歩いていた。道は険しくはないが表示板もないので後どれくらいで目的のハイマ村へとたどり着くのか見当もつかない。



 今日の日差しは柔らかく、晩春にしては肌寒いくらいだ。山の木々は空を覆い隠し、道は昼なお薄暗いせいもあるかもしれない。


 新緑が編み上げたアーチは光を遮り、足元には湿り気を帯びた影が重なっていた。


 このまま何も起こらなければ日暮れよりもずっと早く村へ辿り着けると、そう計算していたのだが。


 山道を行く以上は開けた平地の街道と違い、遭遇エンカウントは突如として訪れる。ふもとの簡易宿泊施設を発ってから、すでに二度ほど魔物に行く手を阻まれ、それを退けてきた。



 一度目は群れからはぐれた一匹の狼。


 二度目は傷だらけで弱りきった四匹のゴブリン。


 恐らくこの山道を先に移動した一団、冒険者の一行か何かが魔物を掃討していたのだと思う。


 長く使われてきた山道は固く踏みしめられており、雨も数日は降っていない。砂粒は全て風にさらわれてしまっているので、足跡から進行方向を読み取ることはできなかった。



 ただひとつ言えるのは、ひとりで行動する俺にとって彼らの存在はありがたいということだ。


 実家を出て旅に出てから十年。一時的に誰かと行動を共にする事はあったが、基本的にはひとりで歩む道を選んできた。


『一緒に冒険を続けないか』と誘われることも多かったが、冒険者とは基本、ホームタウン周辺を駆け巡るのを生業としている。遠隔地へと赴く事も無くはないがそれは相当の手練れにのみ許された特権だ。



 それに何より、俺の目的を告げると無理に引き留めようとする者はいなかった。


 そんな俺の旅の目的は――。


 ――ガサガサガサ……。


 ふと、不自然な物音に思考が途切れる。


 木々の間を吹き抜ける風がざわめきを立て、葉の揺れる音に混じって――確かに別の音がした。枝の折れる乾いた音。踏みしめられる枯葉のざわつき。


 それは自然のリズムから外れた、明らかに人工的な音。


 反射的に歩みを止め、息を潜める。


 森の影がひときわ濃く感じられ、視界の端にまで緊張が張りつめる。手のひらにじわりと汗がにじみ、腰の相棒に添えた指先が冷たく強張った。


「……ひとりと、一匹か。追われている……?」


 一瞬、俺の先に山道へと分け入った冒険者達が魔物を発見し戦闘中だろうか考えたが、即座にその考えを否定する。


 聞こえる足音は急いではいるが武装による重みや金属の擦れる音をまるで感じない高音のものと、人間をはるかに凌ぐ体重が繰り出す重低音。


 恐らくは、戦いを知らぬ素人。山菜かきのこ狩りのため村の外に出た人間が魔物と遭遇し、必死に逃げているのかもしれない。


 腰に吊るした即席の相棒に手をかける。


 今回の依頼を受けて急遽用意した無銘の剣、その刀身は先の連戦に疲れ、刃こぼれは増え、金具は緩み今にも外れそうになっている。


 正直な事を言えば、次に戦ったらこの長剣が破壊され自分が命を落とす可能性は限りなく高いと思う。


 だが追われている誰かが倒れたなら、次に狙われるのは近くにいる俺だろう。


 魔物にならずとも、動物と言うのは人間より嗅覚や聴覚、視覚に優れている。

 それが魔物化したのなら言わずもがな、というわけだ。

 

 ――間に合ってくれよ。


 少なくともここで命を落とすわけには絶対に行かないが、かと言って見ず知らずの人間が魔物に甚振いたぶられるようにゆっくりと苦痛を味わわされながら死んでいくのも見たくはない。



 ――まぁ何とかなるだろう。


 周囲を見回して楽観的な見解を見出す。


 なにせ道の両側は木々が無造作に生えているし、片側は少し先が崖になっている。


 いざとなったらそれらを盾にして、人間の知恵を振り絞った戦い方に切り替えればいいのだ。


 父さん譲りの剣技はその剣閃の流麗さから『流水の剣技』と呼ばれている。


 俺だって、その父さんの血を引いて、幼い頃から流水の剣技を習ってきたのだ。


 戦争に参加した父さんの剣技があれば、きっと――。



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