パトラの薬草農園
NEO
第1話 ある夏の日
夏の日差しが錆びたトタンの屋根を焼き、私のお店は窓という窓を全開にしても、蒸し風呂のような暑さだった。
私の名前はパトラ・エリシオン。一応、これでもエルフだ。
「今日も暑いねぇ。お客さんも、この時間はあんまりこないから暇なんだよね」
大きめのポットからグラスに注いである冷たいお茶を一口飲み、私はぼんやり店の向こうに見える風景を見ていた。
ここは、人間が作った街道沿いにある『道の駅 カササギ』の片隅にある、小さな私の城だ。
道の駅とは、街道沿いに点々と設けられた休憩スペースのようなもので、様々な物を扱う店がある中、私は薬草類や薬を扱う店を営んでいた。
「今日は全然売れないや。駐車場に入ってくる馬車も少ないし、今のうちに整理しておこうかな」
私は店の一番奥にある休憩スペースにある金庫を開けてお金を確認し、それを終えると商品の薬草類が入っている、風の精霊の力を使っている保存ケースの点検をした。
「うん、問題ないね。だいぶ萎れてきちゃったけど、薬効に変わりはないから大丈夫」
定期チェックノートに確認した時間と状態のメモを書き、私はまた休憩スペースに戻った。
私たちエルフと人間の社会は隔絶していて、エルフがやっている店というだけで、物珍しさに冷やかしのお客さんはたまにくるが、商品を買ってくれそうなお客さんはまだこない。
時刻は、ちょうどお昼になるかどうかというところ。
まだ少し早めではあったが、私は持参したお弁当を食べた。
「うん、お母さんってば、また調味料の加減を間違えたな。少し塩っぱいよ」
私は苦笑した。
ちなみに、今日のお弁当は山菜の煮物とカルカスという、私が好む木の実を茹でたもの。
小さなお弁当箱だったが大食というわけではないので、それなりの量で私は満足した。
「あっ、商隊の馬車が入ってきた。これはチャンスだね」
大形馬車を七台連ねて入ってきた商隊を見て、私は休憩スペースから店頭に立った。
お昼ご飯が目当てだったようで、商隊の人たちが大きな食堂に入っていくのを見て、私は笑みを浮かべた。
「食べて満足したら、なにかめぼしい物がないか見て回るはず。エルフがやっている店なんて、他には多分ないだろうから、絶対にくると思う。売らないと」
私は俄然やる気になり、それとなく商品を整理しながら、商隊の人たちが食堂から出てくるのを待った。
程なく商隊の一団が食堂から出てきて、馬車の荷物の点検をしている様子が見えた。
その間に恰幅のいい、いかにも商人という感じがする人が他の店を見ては、徐々にこちらに近寄ってきた。
「おや、ここはエルフがやっている店なんですね。珍しいですな。少し商品を拝見させて下さい。薬草と薬ですか。私が見たことのない薬草ばかりです。どのようなものですか?」
商人に問いかけられ、私は一種類ずつ丁寧に説明した。
「ふむ、これは商品になりそうですね。薬草の在庫を全て頂きましょう。あとは、薬です。一般的な傷薬と似ているようですが、やはりこれも違いますね。エルフ特産のものですか?」
商人が笑みを浮かべた。
「はい、そうですよ。恐らく、人間の社会では出回っていないものでしょう。ここで扱っている薬は、全てエリクサーという万能薬です。あらゆる病気や怪我の治療に有効です。お値段は張りますが、それだけの価値はあると保証しますよ」
私は笑顔でさりげなく、人間社会で認められているという証になる、魔法薬販売許可証をポケットから取り出して提示した。
もちろん、これは正規のもので、偽造したものではない。
「なるほど、分かりました。では、これも頂きましょう。薬草と薬の在庫をまとめて全て購入させて頂きますので、二割引程度にして頂けると嬉しいのですがね」
商人がニコッと笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。では、お近づきの印に三割引にしましょう。私はずっとここで商売していますので、贔屓にしてやってください」
私は笑みを浮かべた。
「これはこれは…。では、今後ともよろしくお願いします。私はアンドラスというもので、この街道は行商のたびに通りますので、今後は寄らせていただきます」
アンドラスさんが笑った。
こういう事があるので、ここで商売するのは面白い。
薬はともかく、薬草はその日売れないと廃棄処分するしかないので、こういう買い方をしてくれるお客さんは好きだ。
商品の在庫が全てなくなってしまったので、私は一度店を閉じた。
「いきなり稼いじゃったね。まだお昼だし、もう一稼ぎしようかな。一度、里に帰ろう」
私は笑って、ポシェットの中にしまってある、一握りほどの透明な球体を取り出した。
それを右手で握って魔力を込めると目映く光り、一瞬の酩酊感の後、景色がいきなり変わった。
周囲を高い木立が囲み、まるでそこを切り抜いたかのように開けた土地には、みんなの姿があった。
ここが、私が住むエリシオン族の里だ。
「よし、とりあえず家に帰ろう。こんな時間に帰ってきたら、お母さんは驚くだろうな」
私は笑って、駆け足で自宅に戻った。
道の駅から里への往復は、あらかじめ転移の魔法を封じてあるオーブという球体をつかっている。
そうでないと、慣れている私たちでさえ、到着まで数日かかってしまうので、商売にならないのだ。
里の中央にある広場を駆け抜ければ、私の家はすぐそこだ。
「お母さん、帰ったよ」
家の扉を開けて中に入ると、中で椅子に座って読書をしていたお母さんが、小さく笑った。
「こんな時間にどうしたの。嫌になってサボった?」
お母さんが本を閉じた。
「違うよ。店の在庫を丸ごと買ってくれた商人がいて、商品がなくなちゃったんだよ。だから、もう一稼ぎしようと思って、薬を取りにきたんだ。この時間じゃ薬草はダメだけど、薬は大丈夫だから」
私は笑った。
「今日はもういいと思うけど、あなたがやりたいならそうしなさい。約束通り、夕飯までには戻ってね」
お母さんが笑みを浮かべた。
「うん、分かってる。それじゃ、急いで準備してくるよ」
私は笑って家から出て、裏手にある薬草園に向かった。
私たちの食料は森で採取するものなので、畑という人間社会では当たり前にあるものが珍しい。
結界魔法を使っていわゆるハウス栽培をしているので、基本的な薬草は年中採取出来る。
その薬草園の中に建ててもらった大きな倉庫が、薬の保管場所になっていた。
「えっと、二十個もあれば十分かな。気軽に買えるような値段じゃないしね」
私は笑って、倉庫の棚に置いてある薬瓶を取り、片隅に置いてある麻袋に入れた。
これ一本で金貨百枚。原価が自作している陶器製の薬瓶だけなので、手間賃をそのまま値段に設定してある。
私たちには、お金という概念がないので、本当にこの価格で見合っているのか分からないが、命を落としてさえいなければ、どんな怪我でも病気でも治してしまえるという薬なので、もしかしたらこれでも安いかもしれない。
「よし、準備出来た。さっそく、店に戻ろう」
私は笑みを浮かべ、球体を握った。
本来、エルフは自分たちのテリトリーから離れる事を好まない。
さらにいえば、里の掟で事実上の無断外出を固く禁止していたりする。
それなのに、なぜ私が道の駅で店を開いているのかというと、それが好きだからという私の気持ちと、いざという時のために人間の通貨を蓄えておく必要があるという、里の事情が絡んでの事だった。
「今日は好調だったよ。また、エリクサーが五個も売れた」
薬だけ持って店に戻り、夕方まで商売を続けた結果、エリクサーが身分が高いお金持ちの目に留まり、結果として今日は絶好調の売り上げとなった。
この店には狭い地下室があり、そこには商品の在庫や休憩スペースに置いてある手提げで運べるような、簡素な金庫を入れておくようにした、少し大きなちゃんとした金庫がある。
店頭に置いてあったエリクサーを地下室の保管棚に移動し、お金をしっかりした金庫に入れて扉を施錠すると、私は再び休憩スペースに戻り、敷物で隠してある地下室への出入り口の扉を閉めてしっかり施錠した。
「よし、これで大丈夫だね。早く帰ろう」
最後に店のシャッターを下ろしてきっちり戸締まりしたあと、私は球体を握って里に転移した。
「少し遅くなっちゃたな。急ごう」
私は転送ポイントにしている里の出入り口から家まで、お母さんをあまり心配させないようにダッシュした。
「ただいま。今日は儲かったよ!」
私は笑った。
「そう、それは良かった。もうすぐ夕食ができるから待って」
お母さんが笑った。
「うん、お腹空いた」
私は笑い、テーブルに向かった。
今日の夕食はハシバミという木の実と数種類のキノコを煮込んだもの。
お母さんの得意料理で、匂いだけでもう分かるほど頻繁に食べている。
「はい、出来ました。頂きましょう」
お母さんが大皿に盛った料理をテーブルに置いた。
「うん、いただきます。今日は大儲け出来たから、里長も喜ぶよ」
私は笑った。
「それはいいんだけど、気を付けてね。里の外に護衛も付けずに出ているんだから、お父さんにもいっているんだけど、掟があるからどうしてもつけられないって、一点張りなのよね」
お母さんが小さく息を吐いた。
私のお父さんは、里の警備を受け持つ隊長だ。
その立場上、里の掟は絶対であり、その掟の例外を私以外に作りたくないというのは分かる話だった。
「大丈夫。いざとなったら転移で逃げるから。心配しないで」
私は笑った。
「本当に気を付けるのよ。私は人間のことは分からないから」
お母さんが苦笑した。
「人間って、そんなに悪くはないよ。たまに、変な人はくるけどね」
私は笑った。
「その変な人が問題なんだって。危害を加えられそうになった事もあったって聞いてるけど」
お母さんがため息を吐いた。
「うん、たまにいるよ。でも、それはエルフ同士だってそうでしょ。特別な事はないよ」
私は笑った。
「まあ、そうだけど。よし、明日も早いんでしょ。早く寝なさい」
お母さんが笑った。
明日もまた店がある。開店時間は、人間の時刻だと朝六時半開店なので、商品の薬草を収穫したり世話をしたり、これでなかなか忙しい。
「うん、食べたら寝るよ。明日もお弁当をよろしくね」
私は笑ったのだった。
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