第2話 人間の魔法使い

 私の朝は薬草の手入れからはじまる。

 まだ夜明けという時間に起き出し、家の薬草園で作業するのがいつもの事で、今日もまた白んできた空の下で、水やりや雑草取りなど、丁寧に作業していた。

「この辺りはもう収穫していいか。新しく種を蒔いて…。よし、できあがり。あとは、このオロモギ草だね。これだけ立派に育つと収穫しちゃうのが勿体ないけど、これ以上は薬効が落ちちゃうから採るか」

 オモロギ草とは、綿毛のような葉が特徴の希少品種で、エルフたちの間でさえ幻といわれるほどだ。

 それを惜しげもなく収穫して、栄養剤を混ぜた土を元々の土に混ぜて耕し、再びオモロギ草の種を蒔いた。

「よし、こんなものかな。今日はあまり天気が良くないって、お母さんから聞いているから、早めに行こう」

 私は収穫した薬草を山と積んだ背負い籠を背負い直し、一度家に戻った。

 お母さんが作ってくれた朝ごはんを食べてから、私はそうそうに店へ転移した。

「今日は曇りだね。お客さん少ないかもしれないな。まあ、様子を見て早めに切り上げよう」

 店のシャッターを半分だけ開けて中に入り、背負い籠を床に下ろして、各品種ごとに冷蔵商品棚に並べていった。

 これはいつも通りの作業。私の一日は、ここから始まるといっていい。

 まだ早朝なので、終日営業の食堂以外の店は静かなもの。

 簡易的な宿のようなものもあるが、朝が早い旅人がたまに出立していく程度で、この道の駅が本格的に目を覚ますまで、まだ時間はたっぷりあった。

「よし、陳列終わり。さっさと準備しよう」

 私は空になった背負い籠を休憩スペースの片隅に置き、地下室の金庫から手提げの簡素な金庫を取り出して持ち出し、簡単に掃除をしてから店内の魔力灯を全てつけ、シャッターを全て開けて営業を開始した。

 この時間、街道を行き来する馬車や人はまだ少なく、時折長距離の乗合馬車が休憩に寄る程度の出入りしかない。

「なんだか空気が湿気っぽいな。これは雨になる。このところ晴れが続いて埃っぽかったから、ちょうどいい感じになるかもしれない。お茶でも飲もう」

 私は魔法でお湯を作ってポットに入れ、お気に入りのハーブティーを煎れた。

「はぁ、落ち着いた。あとはお客さんを待つだけだから、のんびりしよう」

 私は笑みを浮かべた。


 陽が昇って本格的な朝になり、道の駅は混雑する時間になってきた。

 天候は曇りのままで、今にも泣き出しそうな様子だったが、私の読みはいい方に外れて、通りかかった旅人が次々と、傷を治癒する効果がある薬草を買いにきてくれて、そこそこ店は繁盛していた。

「はぁ、結構忙しいね。退屈しているよりいいけど、一度にきてくれないかな。休む暇がないよ」

 私は思わず呟いてしまった。

 お客さんを一組応対したら、数秒後に次のお客さんがくる。

 そんな感じで午前中が過ぎ、お昼になる頃にはいよいよ雨が降り始めた。

「あーあ、降っちゃった。これで、客足が遠のいちゃうかな」

 つかの間出来た時間を使って、急いでお昼ご飯を済ませ、私はパラパラと屋根のトタン板を雨粒が叩く音を聞いた。

 そのうちに雷を伴った大雨になり、私は店頭の雨よけを引き出した。

「これはもう、ほとんど嵐だね。いかにも夏っぽい」

 私は小さく笑った。

 雨と共に客足も止まり、私は午前中の売り上げ計算をする事にした。

「怪我や毒に備えた薬草の売り上げが伸びたね。在庫は十分にあるから大丈夫。派手に稼いではいないけど悪くない数字だ。嵐が過ぎれば、またお客さんがくるようになるかもしれなから、今のうちにちゃんと休んでおこう」

 私は激しい雨音を聞きながら、休憩スペースでお茶を飲んだ。

「ふぅ…」

 雨音だけが激しいお客さんが誰もいない店内を見まわし、私はこういう暇な時でないとできない、店内の隅を掃除する事にした。

 小さなロッカーから掃除道具を取りだし、箒で壁際の埃や砂を掻きだし、ちり取りでそれを取ってゴミ袋に捨てていると、一人が辛そうに右足を引きずり、もう一人が肩を貸して、なんとか歩いているという二人組が店に向かってきた。

「看板を見たのだが、ここは薬を扱っている店のようだな。連れが足をサイドバイパに噛まれてしまってな。処置をお願いしたいのだが」

 そこそこの年齢とみた、ヒゲを生やした男の人が、顔色が悪い足を引きずっている女の人を視線で示した。

「分かりました。そこに横になってください」

 私は店内に設けてある、簡単なベッドを指さした。

 私の仕事は薬草や薬を売るだけではない。こうやって、旅の途中で怪我や病気になった人の処置をする時もある。

 男の人が女の人をベッドに寝かせると、私はさっそく処置に入った。

「サイドバイパに噛まれてどのくらい経ったか分かりますか。かなり毒に浸食されてしまっているので、危険な状態です」

 私はハサミで女の人が履いていたズボンの右足を切り裂き、状態を確認した。

 サイドバイパとは、この辺りに生息する毒蛇だ。

 急がないと、命に関わる。

「時計がないので正確には分からないが、一時間は経っていると思う。持ち合わせていた解毒薬では効果がなくてな。なんとかなりそうか?」

 男の人が心配そうに問いかけてきた。

「それだけ時間が経ってしまうと、ギリギリですね。場合によっては、右足を切断しなければならないかもしれません。とにかく、治療をしましょう」

 私は急いで商品棚から目的の薬草を集め、まずはすでにどす黒く変色している傷口に塗る薬を作る事にした。

 薬のオーダーメイドにも対応しているので、調剤機材は揃っている。

 私は複数の薬草を包丁で細かく刻み、オオベラという大きな葉に乗せると、それを女の人の傷口を覆うようにして被せて麻紐で密着させた。

 それから、同時進行で煎じていた薬を水差しに移し、魔法で急速に温度を下げて飲みやすい温度にしてから、男の人の手も借りてなんとか服薬させた。

「これから二十分くらいが勝負です。薬は問題ありません。時間を待ちましょう」

 私は額の汗を拭った。

「分かった。なんとかなればいいが…」

 脂汗を掻いて苦しみ始めた女の人を見つめながら、男の人が心配そうに呟いた。

 私はなにもいわず、五分単位で足の傷に貼った薬を交換しながら、冷静に女の人の様子を診ていた。

 そのうち女の人の呼吸が落ち着き、そのまま静かに眠ってしまった。

「解毒薬が効いたようです。今のところ命に問題ないと思いますが、右足はもうダメかもしれません。私は医師ではないので、これは応急処置に過ぎません。少し様子をみてから、すぐにちゃんとした病院で処置する事をお勧めします」

 お客さんには、お客さんの都合がある。

 正直、もうこの人の右足は使い物にならないほどの重傷だと思うが、それでもこうしろという指示をする資格はないので、強要は出来ない。

 ここから乗合馬車の特急便に乗れば、三十分以内に大きな街に行く事ができる。

「分かった。命さえ助かればいい。少し休ませてくれ」

 男の人は、大きくため息を吐いた。

「それは構いません。お茶をサービスしますね」

 私は笑みを浮かべた。

「ああ、ありがとう。ここにくるまでに、大きな街を経由した。そこまでの、移動手段があれば教えて欲しい」

 男の人が問いかけてきた。

「はい、ここから三十分間隔で、王都方面行きの乗合馬車が出ています。それを利用するのが、最速の移動手段です」

 私は壁に貼ってある乗合馬車の時刻表を確認した。

 今からだと、ちょうど十分後にここを発つ乗合馬車があった。

「分かった、戻るとしよう。助かったよ」

 男の人が、大きく息を吐き小さく笑みを浮かべた。

「いえ、このためにここで店を開けていますので。こんな時になんですが、処置料と薬草代を頂いてよろしいですか。金貨十枚になります」

 忘れてはいけないので、私は代金を請求した。

「思っていたより安いな。ありがとう」

 男の人から代金を受け取り、私は小さな笑みを浮かべた。


 私も手伝い、二人のお客さんを乗合馬車に乗せた。

 その頃には雨は上がっていて、雲間から陽の光が差し込むようになっていた。

「では、お気を付けて」

 出発した乗合馬車に乗った男の人に手を振って送り出し、私はまたすぐに店に戻った。

「はあ、エルフ魔法の使用許可があれば、薬だけじゃなくてちゃんと処置も出来たんだけど、人間の社会で使うと大騒ぎになっちゃうからなぁ」

 私は苦笑した。

 人間の間ではエルフ魔法と呼ばれる、私たちが使う特有の魔法があれば、あの女の人の右足をちゃんと治療する事も出来たのだが、それは長から固く禁じられていた。

「まあ、私はあくまでも薬屋さんだからね。出来る事を出来る事だけやればいい」

 私は大きく伸びをした。

「さて、雨が上がったし、またお客さんがくるかもしれないね。頑張ろう」

 私は小さく笑みを浮かべた。


 夕方を過ぎてそろそろ店じまいにしようと思った頃、店にふらりと長身の女の人が一人やってきた。

「ここが、エルフがやっている薬草店か。私はクレッシェンドという、単なる旅の魔法使いだ。魔法薬の研究をしていてな。噂を聞いて立ち寄ったのだ。さっそくだが、薬草を見せてもらっていいか?」

 クレッシェンドと名乗った、いかにも旅の魔法使いという感じの格好をした女の人が、軽く一礼した。

「はい、もちろん構いませんよ。不明な点があれば、お声がけ下さい」

 私は笑顔で答えた。

「では、失礼して。うむ、見慣れぬ薬草ばかりだな。非常に興味深い」

 クレッシェンドさんが商品棚のあちこちを見ながら、真剣な面持ちで薬草を手に取ってなにかを確認するかのように頷いて回りはじめた。

「参考までに聞くが、この薬草はこの辺りの森で採取出来るものなのか?」

 クレッシェンドさんが、問いかけてきた。

「はい、一部はあちこちに自生していますよ。そうでない薬草は、私が里で栽培しています。詳しく説明しましょうか?」

 私は笑みを浮かべた。

「ああ、頼む。これは面白い。新薬がいくつも作れそうだ」

 クレッシェンドさんが笑った。

「話が合うお客さんは珍しいので、私も嬉しいです。では、さっそくそのキルン草から。主に病気の治療に使うのですが…」

 私はこの店にいるときは一人なので、たまにやってくるこういったお客さんは大歓迎である。

「うむ、そうか。エルフの間では、これをそう使うのだな。見た事のない薬草だ。人間にも効果があるのか?」

「それは分かりません。試す機会がありませんので。研究されるのであれば、割引しますよ」

 私は笑った。

「うむ、いくつか貰おう。他にも気になる薬草がいくつもある。あくまで、噂を聞いてきただけなので、これほどとは思っていなかった。この道の駅には宿舎もある事だし、しばらく滞在するとしよう。研究し甲斐がある」

 クレッシェンドさんが、笑った。

「それは嬉しい言葉です。私はパトラといいます。今後ともよろしくお願いします」

 私は笑った。


 日が暮れるまでクレッシェンドさんを相手に薬草話しに花を咲かせ、いつもより遅くなってしまったが、私は店を閉じて自宅に戻った。

「あら、遅かったじゃない。なにかあったの?」

 お母さんが心配そうに声をかけてきた。

「うん、面白いお客さんがきたから、つい話し込んじゃったんだよ。大丈夫、危険はなかったから」

 私は笑った。

「危険がないなら構わないけど、気を付けてね。さて、ご飯が出来ていますよ。夕食にしましょう」

 お母さんが笑った。

「うん、お腹空いたよ。今日は複雑な気持ちになる事があってね。サイドバイパに噛まれた人間を、ちゃんと治療出来なかったんだよ。エルフ魔法が使えればなぁ」

「エルフ魔法ではなく、アルフといいなさいと何度もいってるでしょ。エルフがエルフ魔法とは、違和感があるでしょう」

 お母さんが怒った。

 アルフとはいわゆるエルフ魔法の事。

 こちらが正式な呼び名なのだが、人間を相手にしているので、ついエルフ魔法といってしまう。

「それはそうなんだけど、どうしてもね。それより、早くご飯を食べよう」

 私は笑った。

「全くこの子は…。人間社会に染まるのも、ほどほどにしなさいね」

 お母さんが苦笑した。

「はいはい、分かってるよ」

 私は笑った。

「全く、分かっているのかいないのか…。まあ、これもお役目なので諦めましょう」

 お母さんが苦笑した。

「お役目っていわれると寂しいな。半分以上は好きでやってるのに」

「であれば、なおさらです。だから、最初は反対したのに…」

 お母さんが、ため息を吐いた。

「この里に籠もっていたら、退屈でたまらなかったよ。私の性格は分かっているでしょ?」

 私は笑った。

「当然、分かっているから反対したのです。いいですか、パトラはエルフです。ちゃんと、心の隅に留めておきなさい」

 お母さんが、軽く首を横に振った。

「もちろん忘れていないよ。ほら、ご飯にしよう」

 私は笑い、お母さんが深くため息を吐いたのだった。

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