第2話 悪役令嬢、断罪される

その夜、城では冬至の祝宴がひらかれていた。


高い天井から吊された大きな鉄製のシャンデリアには百をこえるロウソクがともされ、星座を描いた天井画をほのかに照らしている。


ドレスをまとった令嬢や礼服の貴族たちが波のように行き交い、笑い声と談笑が絶えない。

奥の演奏台では、リュートの柔らかな旋律に、はなやかな管楽器の音がかさなり、祝祭の空気をいっそうきらびやかにする。


焼きたての鹿肉や、香草を効かせた温かいワインの香りがただよい、鼻腔をくすぐった。


馬車で到着した私は、一人でその広間に足を踏み入れた。


幾重にも重ねられた絹と金糸のドレスは、着るだけでずしりと肩にのしかかり、胸も腰も締めつけるコルセットが息をくるしくさせる。

丸みを帯びた自分の体がドレスの布地を押し返すたび、縫い目がミシッときしむのがわかった。


――ひい、ひい、体がおもい……。


ドレスのすそを持ち上げながら石の階段を上がる。

汗が背中をつたい、こめかみもじっとり濡れていく。

頬の紅や髪に仕込んだ香油の甘い香りが、かえって体の熱さをきわだたせるようだった。


広間の入口にたどりつくと、そこに待機していた城の侍従が声をひびかせる。


「カロリーナ・ディ・サルヴィア公爵令嬢、おつきでございます!」


会場のざわめきがぴたりと止まり、視線が一斉に私へ集まった。

男たちは息をのみ、目を細めて私に見とれる。

女たちは紅い唇をわずかにゆがめ、嫉妬の色を宿したまなざしを放ってくる。


――ああ、もう帰りたい……。


せっかくの祝宴でありながら、そんな衝動にかられた。


本来なら、婚約者である私を、王太子レオナルト殿下が腕を差し出してエスコートするのが礼法。

けれど彼はこないので、私は甘い香りのカカオ入りホットワインを給仕から受け取り、大理石の柱にもたれてグラスをかたむけた。


まあ、いいか。

彼がこないのは、いつものことだし。

前世から人目をあまり気にしない性格なのだ。

今さら、この世界のパーティーでひとりでいたところで、孤独を気にする理由にはならない。


人々の視線が自然と集まる場所があった。

中央の高座、王太子の隣に座るピンク色の髪の令嬢。


派手な髪は金糸を織り込んだようにキラキラと光を返し、私に負けないくらいのふくよかな体にまとうのは、露出の多い深薔薇色の絹のドレス。


胸元は大きく開き、肩から背中まで惜しみなくあらわにして、その大胆さは宗教会議の司教すら息をのむほどだ。


彼女、リヴィアはヒロインであり、レオナルト殿下の愛人だ。

海商同盟を束ねるマリノーヴァ侯家の次女で、航路と交易を握る一族の娘。

その莫大な富と影響力を背景にして、元老院も教皇庁も、彼女のワガママを注意することができない。


乙女ゲームの中では、彼女はもっと清楚でひかえめなはずだった。

画面の向こうでおとなしく微笑み、周囲を癒やしていたあのリヴィアが、どうしてこうなってしまったのか。


私には、その理由がわからないままだった。

この世界はすべてが反転しているから、彼女の性格も反転してしまっているのかもしれない。


レオナルト殿下は、リヴィアに顔を寄せていた。

二人はまるで、宮廷全体を自分たちの舞台にしているかのようにラブラブさを見せつけている。


ふと、前世の記憶がよぎった。

たしか攻略相手を王子に選んだ場合、国王となったレオナルトとヒロインは結婚し、生まれた子が勇者として成長するのだった。


グラスのワインをひと口すする。

果実の香りが口に広がるが、胸の重さは少しも軽くならない。


……はあ、帰りたい。

でも、一応私は殿下の婚約者だ。

さっさと帰れば、王家の面子にかかわる。


実家で鍛えられた“家の顔”としての自分。

その重さが肩にのしかかり、離れようとしない。


グラスをにぎりしめた、そのとき――


「カロリーナ・ディ・サルヴィア」


殿下に名を呼ばれた瞬間、会場のざわめきや音楽が吸いこまれるように消えた。


いきなり背後から二人の騎士に肩をつかまれる。

殿下につかえる、公国近衛騎士だ。


「殿下がお呼びです。こちらへ」


淡々とした声が耳もとに落ちた。

返事をするより早く、左右から両腕をつかまれたまま歩かされ、大理石の床に軽くひざまずかせる形で押さえこまれる。


手に持っていたワインをおとしてしまい、グラスが割れた。

足元で散ったワインが、まるで血のように甘く重たく床に広がっていく。


顔を上げると、正面の高座に立つレオナルト殿下が、肉にうもれた目をさらに細くして、つめたく私をみていた。


「婚約者カロリーナ・ディ・サルヴィア。おまえとの婚約を、ここにて破棄する」


――ゲーム本編の婚約破棄イベントが始まったのだ。

前世の記憶が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。


「……その理由を、うかがってもよろしいでしょうか」


かろうじて声をしぼり出すと、殿下は厚い唇をゆっくりと動かした。


「おまえは、メイドに暴力を振るい、舞踏会の費用を横領し、街の孤児院への寄付をさまたげ、貴族の男たちを誘惑し――国を乱す数々の罪を犯した」


大広間にどよめきが走る。


でも、それはすべてリヴィアがしでかしたことだ。

舞踏会の資金を勝手に使い込んだのも、メイドを泣かせて城を抜け出したのも、街の寄進金を横流ししたのも――どれも彼女が私の名をかたってしたこと。


「そ、それは――」


私は震える唇をかみしめ、必死に声を絞り出す。


「それは、すべてリヴィアが……。彼女が私の名をかたって――」


言葉を重ねようとした刹那、殿下はほんのわずかに片手を上げた。

その仕草ひとつで、広間に走るどよめきも、私の声も、いとも簡単に押しつぶされる。


「言い訳は聞かぬ」


その冷ややかな言葉のあと、私は騎士たちに床へと押しつけられる。

重い手甲が骨に食い込み、胸がつぶれて息が苦しい。


――断罪された悪役令嬢って、このあとどうなるんだっけ?


頭の奥を必死に探る。

けれど前世で遊んだゲームの記憶は、霧のようにほどけて何もつかめない。


でも、正直……どうでもよかった。


牢屋に入れられようが、処刑されようが、修道院に追放されようが、家をつぶされようが――

どの未来を思い描いても、胸の奥には何の痛みも浮かばない。


私はこの世界に来てからずっと、心のどこかで疲れきっていた。

生まれながら「至高」と呼ばれ、人々からは顔だけをほめられ、家族からは家を守る駒としてあつかわれる。


教育は厳しく、礼儀作法を一度でも間違えれば一日中やり直し。

外出や本を読むことさえ許可が必要で、好きなこともできなかった。


せっかくの人生だから――そう思っても、この世界は前世と変わらず、やさしくはなかった。

現代で得た知識を役立てようとした時期もあったけれど、この世界では道具すらも現代とは違う。


私の知識は異国の言葉のようにかみ合わず、思うようには使えなかった。

器用さも行動力も足りない自分の無力さを、痛いほど知るだけ。


だから私は、あたえられた立場を受け入れるしかなかった。

貴族の娘として礼儀と体面を守り、誰かの妻となる未来を選ぶほかに、生きる道はなかったのだ。


胸の奥で、かすかな反発がくすぶり続けていても――

それを声にすることは、ここでは夢のように遠いこと。


そんな毎日につかれてしまい、破滅の筋書きがどこへ向かっても、もう恐れる気持ちも、希望もわいてこなかった。

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