P.14 Episode 14:亡霊の盟約

March 10th, 2005

曇り

Etajima, HIROSHIMA

海上自衛隊 第1術科学校



 中村健太の葬儀は、「事故死」として、雨の降る江田島でひっそりと執り行われた。


 棺の中に、彼の亡骸はない。代わりに、イラクの砂と、彼が愛用していた一冊のボロボロになった歴史小説だけが納められていた。参列したのは、遺族と、アルファ分隊の隊員たちだけ。東京から来た官僚は、誰一人いなかった。


 その数週間後。


 風間竜司と倉本は、自衛隊を去った。


 退官の理由は、二人とも「一身上の都合」。引き留める者は、誰もいなかった。彼らは、国家にとって、もはや触れてはならない、不都合な真実そのものだったからだ。


 脱ぎ捨てた制服と共に、彼らは、かつての自分たちの全てを、その場所に置いてきた。


 国に仕える誇りも、仲間と笑い合った日々も、そして、人間としての心さえも。



2005年 - 2011年



 それからの数年間、彼らは、亡霊となって日本を彷徨った。


 倉本は、その有り余る暴力の衝動と、心の虚無を埋めるかのように、裏社会へと身を投じた。非合法の地下格闘技場、暴力団の用心棒。彼は、その圧倒的な戦闘能力で、闇の世界でのし上がっていく。だが、彼の瞳は、常に虚ろだった。どれだけ敵を殴り倒し、どれだけ金を手にしても、彼の魂の渇きが癒えることはなかった。中村を失ったあの日の悪夢は、夜ごと彼を苛み続けた。


 風間は、対照的に、社会から完全にその姿を消した。彼は、都心の、日当たりの悪い安アパートの一室で、ただひたすらに、来るべき日のための準備を続けていた。SBU時代に築いた国内外の裏のコネクションを駆使し、情報を集め、武器を調達し、そして、世界中に散らばる、自分たちと同じように「国に捨てられた」兵士たちのリストを作成していく。


 彼の部屋の壁には、巨大な世界地図と、中村健太の、遺影だけが飾られていた。彼は、毎朝、その写真に向かって、静かに手を合わせる。それは、祈りではなかった。復讐の、誓いだった。



November 5th, 2011

Prague, CZECH REPUBLIC

旧市街のバー



 雪が舞うプラハの、石畳の路地裏。観光客の喧騒から隔絶された、古いバーの片隅で、二人の男が対峙していた。


 一人は、風間竜司。


 そして、もう一人の男は、ウォッカのグラスを静かに傾けながら、風間の顔を、値踏みするように見つめていた。


 「……ディミトリ。元ロシア連邦軍特殊作戦軍(SSO)所属。チェチェンの地獄を生き延びたが、あまりに汚い仕事をやりすぎ、祖国からその存在を抹消された、と聞いている」


 風間が、静かに切り出した。


 男――ディミトリは、肩をすくめて見せた。


 「それは、どこの情報機関から仕入れたお伽話だ、カザマ。元海上自衛隊特別警備隊(SBU)、イラクでの輝かしい功績を、自ら捨てて姿を消した、日本の亡霊」


 彼らは、互いの素性を知っていた。闇の世界では、言葉以上に、経歴と実力が、その人間を物語る。


 「単刀直入に言おう。俺のチームに入れ」


 「ほう。日本の亡霊が、ロシアの亡霊をスカウトか。面白い冗談だ。目的は?」


 「革命だ」風間は、表情一つ変えずに言った。「腐りきった国家というシステムを、内側から破壊する」


 ディミトリは、初めて声を上げて笑った。


 「革命、か。青臭いな。お前ほどの男が、そんな夢物語を。俺は、イデオロギーでは動かん。信じるのは、金だけだ」


 「金は払う。お前が満足するだけの額をな」風間は、そこで言葉を切ると、ディミトリの目を、真っ直ぐに見つめた。「だが、お前を動かすのは、金じゃないはずだ。……お前も、仲間を失ったそうだな。ベスランで」


 その一言に、ディミトリの顔から、笑みが消えた。


 ベスラン学校占拠事件。ロシアの特殊部隊が、人質もろとも、テロリストを殲滅した、あの悪夢の作戦。ディミトリは、その作戦に参加し、政府の非情な命令によって、多くの仲間と、そして、救うべき子供たちの命が失われるのを、目の前で見ていた。


 風間は、一枚の写真を、テーブルの上に滑らせた。


 中村健太が、穏やかに笑っている、あの写真だ。


 「……俺は、この部下を、祖国に見殺しにされた」


 風間は、感情を排した声で、バビロンの桜作戦の、真実を語り始めた。国家の体面のために、いかにして一人の兵士の命が、塵芥のように捨てられたか。


 ディミトリは、黙って、聞いていた。


 風間の話が終わった時、彼は、ウォッカのグラスを、一気に飲み干した。


 「……くだらないな」


 ディミトリが、吐き捨てるように言った。


 「アメリカも、ロシアも、そして、お前の国も。結局、やることは同じか」


 彼の瞳には、皮肉な光の奥に、風間と同じ、癒えることのない痛みの色が浮かんでいた。彼は、風間という男に、そして、写真の中で笑う中村という男に、かつての自分と、救えなかった仲間たちの姿を、重ね合わせていた。


 「……いいだろう」


 ディミリは、静かに言った。


 「お前の国に、恨みはない。だが、快適な椅子に座って、兵士に死を命じるようなクソ野郎どもは、俺の敵だ。……俺の牙を、貸してやるぜ、カピタン(隊長)」


 その日、プラハの雪の夜に、三つの国の、三人の亡霊が、一つの暗い盟約を結んだ。


 彼らの目的は、金ではない。イデオロギーでもない。


 ただ、自分たちから全てを奪った、国家という名の巨大な怪物へ、その牙を突き立てる。


 それだけが、彼らが生きる、唯一の理由だった。

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